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聖歌は生歌

聖歌は生歌

続唱

続唱=ラテン語ではSequentia は、もともと、アレルヤ唱に続いて歌われたことから、その名がつきました。かつて
は、数千ともいわれる続唱が作られたと言われていますが、トリエント公会議で、復活(Victimae)・聖霊(Veni
sancte)・聖体(Lauda Sion)・死者(Dies irae)の4つに整理され、その後、悲しみの聖母(Stabat Mater)が加えられ
ましたが、第二バチカン公会議で、復活と聖霊以外は任意となり、死者の続唱は、「教会の祈り」の賛歌に移されま
した。
 上にも書いたように、もともとは、アレルヤ唱の後に歌われていましたが、現在は、アレルヤ唱の「福音で語られる
主キリストを歓迎する」という内容を重視するため、アレルヤ唱の後=アレルヤ唱へと続くものとして歌われます。
 『典礼聖歌』では、351 復活の続唱は復活の主日には必ず歌い、復活の八日間は任意です。352 聖霊の続唱
は聖霊降臨の主日に歌われます。

《351 復活の続唱》
【解説】
 復活の続唱は、全体が3部にわかれています。
A 先唱「キリストを信じるすべての者よ」~「今や、生きておさめられる」
B 「マリアよわたしたちに告げよ」~「ガリレアに行き待っておられる」
C 「ともにたたえ告げ知らせよう」~「アーメン。アレルヤ。」
 これら三つの冒頭の呼びかけの部分は、主の昇天の祭日に歌われるグレゴリオ聖歌の入祭唱(Introitus)、「ガリ
ラヤの人々よ」(Viri Garilei)の冒頭の旋律から取られています。
 復活の続唱は、1♯ですが、よく見ると、旋律は主音G(ソ)ではなく、D(レ)で始まり、また、終わっています。です
から、1♯の長調であるG-Dur(ト長調)ではなく、グレゴリオ聖歌の入祭唱(Introitus)と同様に、教会旋法の、第7
旋法と考えられます。
 Bの部分、すなわち、マグダらのマリアに語りかけ、マリアの見たことを歌う部分、「開かれたキリストの墓」~は、
A「開かれたキリストの墓」、a「よみがえられた主の栄光」
A「あかしする神の使いと」、a「残された主の衣服を」
の繰り返しで、aはAより、旋律がほぼ2度低く動いています。
「わたしの希望」からは、独特の旋律構造になり、特に「希望」は、曲全体の中で、最も高い音D(レ)で歌われ、マグ
ダラのマリアのみならず、ここで、この続唱を歌うわたしたち一人ひとり「の内におられるキリスト、栄光の希望」(コロ
サイ1:27)を強調しています。
 復活の続唱は、復活の主日および、その八日間以外にも、特に、「キリスト者の死の復活的性格をより明らかに表
現」(『典礼憲章』81)する、葬儀においても、賛歌として、告別式などで、また、追悼ミサの派遣の歌(閉祭の歌)で
歌うことができます。これらのミサでは、四旬節に歌うことがありますが、その場合には、最後の「アーメン。アレル
ヤ。」を「アーメン。アーメン。」と「アーメン」を二回繰り返します。
【祈りの注意】
 冒頭を、はじめ、三箇所出てくる呼びかけの部分は、それぞれ、
A=すべてのキリスト者に向かって
B=今、主の墓から帰ってきたマグダラのマリアに向かって
C=そこにいるすべての人、また、すべてのキリスト者に向かっても
 呼びかけるようにします。もちろん、声を張り上げて、ということではなく、その精神・こころをそれにふさわしく、とい
うことは言うまでもありません。特に、A=すべてのキリスト者は、今、この世界に生きているキリスト者だけではな
く、すでに、神の国の栄光に入っているキリスト者も含めて、「キリストを信じるすべての者よ」という呼びかけにするこ
とで、キリストの復活に結ばれた救いの秘跡がより深く味わえ、キリストを頭とする教会共同体の本来の意味がさら
に大きなものになるのではないでしょうか。
 冒頭の先唱は四分音符=66くらいですからかなり、ゆったりと歌われますが、続く、一同で歌う部分は、同じく80
くらいですから、先唱の部分と比べるとかなり早めです。この先唱の後は、間をあけず、すぐに、間髪を入れず、一同
で歌い始めるようにしてください。「もたらされた」のところは、やや rit. するとよいかもしれません。ただ、次の「死と
いのちとの」に入ったら、テンポをきちんともとに戻しましょう。Aの最後、「今や生きておさめられる」は、Aの一番大
切なことばですから、先ほどよりも、十分に rit. します。
 「マリアよ」からは、再び、テンポをもとに戻します。その後、マリアに語らせる部分、「開かれたキリストの墓」から
は、今までより少し早めに歌います。作曲者も『典礼聖歌を作曲して』の109ページで「それに答えるマリアは、走り
続けて使徒たちのところまで来て、はずむ息ももどかしげに早くすべてを話そうとしています。」と書いているとおりで
す。「わたしの希望」~はマリアの希望と同時に、わたしたちの希望もしっかりとかみ締めて、やや、ゆっくり目に歌い
ましょう。また、この間に、わたしたち一人ひとりにとっての「キリストが待っているガリラヤ」とはどこなのか?それも、
こころの中で考えましょう。
 「ともにたたえ」~は再び、会衆の冒頭のテンポに戻します(「開かれた」~のテンポではありません)。「いつくしみ
をわたしたちに」は、やや rit. しますが、「アーメン」では急にゆっくりにならないように注意しましょう。「アーメン」は
基本のテンポのままでもよいでしょう。「アレールーヤ」で十分に rit. してていねいにおさめて終わるようにします。
 全体に、長いテキストですから、まず、歌詞=祈りのことばをしっかりと覚えることが肝心です。言い換えれば、「歌
いなれて祈りなれる」ということでしょうか。
【オルガン】
 最初の先唱の部分は、補助鍵盤だけで弾き、一同で歌うところは主鍵盤+ペダルで弾けるとよいかもしれません。
ストップは、基本的にフルート系だけでよいと思います。人数が多い場合には弱い、プリンチパル系を加えてもよいか
もしれませんが、あまり、派手なストップは避けたほうが祈りを深められると思います。

《352 聖霊の続唱》
【解説】
 聖霊の続唱の基本構造は、
A 先唱~1の終わり
 B 2+3=繰り返し=4+5 
  A 6
 B 7+8=繰り返し=9+10の前半
A’ 10の後半
 です。
 復活の続唱が、教会旋法(第7旋法)で書かれていたのと同様に、この、聖霊の続唱も、教会旋法の第2旋法に近
い書式で書かれています。Bの部分では、ことばを生かすために、八分音符が効果的に用いられています。また、拍
子もかなり変わりますが、これも、ことばを生かす手法で、204 栄光の賛歌 同様に、歌っていて全く違和感があり
ません。また、Bの部分は、作曲者も『典礼聖歌を作曲して』の132ページで「”Veni Sancte Spiritus"の旋律的特
徴を遠く思い起こして作曲されています」と書いていますが、その冒頭の部分や、中間の高音部も思い起こさせるも
のです。
 この続唱も、聖霊降臨の祭日だけではなく、堅信式・叙階式・請願式のミサでも、聖霊祈願の賛歌として歌うことが
できます。復活の続唱と同じように、四旬節に歌う場合は「アーメン。アレルヤ。」を「アーメン。アーメン。」と歌うよう
にしてください。
【祈りの注意】
 冒頭の先唱者の先唱句は、目には見えませんが、わたくしたちにいつも働きかけてくださる、聖霊に向かって力強
く呼びかけましょう。その後、一同は、復活の続唱と同様に、間髪を入れずに続けて祈ってゆきます。
 冒頭も、その後も、四分音符=66~69くらいと比較的ゆっくりです。作曲者も書いているように(『典礼聖歌を作曲
して』132ページ)「聖霊のさまざまな働きを、この歌の流れにのって、一つひとつ味わい、心に確かめ」かみしめな
がら歌って行きましょう。そして、その、一つひとつの働きを、いつも大切にしてゆけるようにとも願いましょう。
 2=「貧しい人の*父」「心のー*光」「さわやかな*いこい」など、「*」で表した八分音符のところは、ことばを生
かすための八分音符です。この八分音符の部分では、決して祈りの流れ=音楽の流れを止めないようにしてくださ
い。このような、というよりも、休符というのは、「音がない」のではなく、「ない音が存在する」部分なのです。英語で
言えば、No body とか No man という表現と同じと考えてください。日本語では、「誰も~ない」と訳しますが、厳密
に直訳すれば、「ない人が」となるでしょう。この、八分休符のところは、祈りも音楽も、音符の部分よりも、さらに緊張
感を持って継続し、流れて行く部分であることを、しっかりとこころにとめておいてください。
 復活の続唱と同じように、歌詞も音楽も長いですから、歌詞=祈りのことばをしっかりと覚えること、歌いなれて祈り
なれることが肝心です。聖霊の働きを願って、こころに染み渡らせることができるまで何度でも歌い、口ずさむことが
できるようにしたいものです。
【オルガン】
 基本的には、復活の続唱と同じで、最初の先唱の部分は、補助鍵盤だけで弾き、一同で歌うところは主鍵盤+ペ
ダルで弾けるとよいかもしれません。ストップは、基本的にフルート系だけでよいと思います。人数が多い場合には弱
い、プリンチパル系を加えてもよいかもしれませんが、あまり、派手なストップは避けたほうが祈りを深められると思い
ます。バスとソプラノがかなり離れていますので、ペダルを使うとかなり楽に弾けると思います。

《後記》
 グレゴリオ聖歌で歌われる、それぞれの続唱もきれいですが、『典礼聖歌』のこの二曲も、歌いこんでゆけば行くほ
ど味わいが深くなります。あまり、よいたとえではないかもしれませんが、「するめは噛めば噛むほど味が出る」と言
います。この二つの続唱も(と言うより『典礼聖歌』は)、同じように、歌えば歌うほど味わいが出てきます。そのよう
に、味わいが出てくる、歌い方、祈り方になるように、二つの続唱を深めて行きたいものです。



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