待降節第2主日《A年》136 すべての王は 【解説】 「ソロモンの詩編」というタイトルを持つこの詩編72は、王の即位の歌と言われています。神の み旨とみこころにし たがって民を公正に治めることが、王の使命であり、それによって、王にも子孫にも祝福が与えられます。教会は、こ の王を、地上の王を超越したメシア=キリストに当てはめ、キリストの支配が終わりなく続き、限りない祝福で満たさ れるものと考え、特に、公現の祭日の答唱詩編として用いてきました。『典礼聖歌』ではそれを踏まえ、答唱句(11 節)では「かれ」を「あなた」に、詩編唱では「王」を「主」に言い換えています。 答唱句に3回出てくる八分休符は、その前の助詞と次のアルシスを生かすためのものですから、祈りの流れ、精神 は持続して歌います。冒頭、第三音(H=シ)から始まった旋律は「王は」で主音になりますが、和音は六度が用いら れ、地上の王の不完全さが表されています。続いて旋律は「あなた」の最高音C(ド)から、音階の順次進行で下降 し、「ひざをかがめ」で最低音Cis(ド♯)に至り、地上のすべての王が、神とキリストの前にひざをかがめる様子が表さ れます。このことは、テノールのGis(ソ♯)と旋律のCis(ド♯)で強調されています。「すべての国は」は、和音内構成 音のG(ソ)を加えて6度上昇し、その広がりが示されています。 旋律は、最低音の「ひざをかがめ」のCis(ド♯)を中心に、冒頭の「すべての」と最後の小節の「あなた」がH(シ)、 二小節目の「あなた」と「すべてのくには」が最高音のC(ド)と、ちょうどシンメトリーになっています。 詩編唱和の旋律は、調性と伴奏は異なりますが、17・18「いのちあるすべてのものに」および123「主はわれらの 牧者」と同じで、神が主キリストとしてわたしたちを治めてくださる、という共通の主題で統一されています。 【祈りの注意】 解説にも書きましたが、答唱句に3回出てくる八分休符は、その前の助詞と次のアルシスを生かすためのものです から、祈りの流れ、精神は持続して歌うようにしましょう。八分休符の前の助詞は、その前の音符に軽くつけるように し、助詞の八分音符はフェイドアウトするように歌います。 速度の指定は、四分音符=69くらいとなっていますが、最初は少し早く始めるとよいでしょうか。冒頭から「かが め」まで、祈りの流れは一息で歌うようにしましょう。実際に息継ぎなしで歌うのは難しいかもしれません。途中、二つ ある八分音符で息継ぎしてもよいでしょうが、最初にも書いたように、祈りの流れと、精神は持続させなければなりま せん。流れを止めないように気をつけてください。「ひざをかがめ」では、いったん、普通より豊かに rit. しましょう。こ の rit. で、すべての王がひざをかがめる様子を音楽的にも、祈りとしても表してください。後半の「すべての国は」か らは、テンポを元に戻し、最後は、さらに豊かに rit. することで、祈りのことばがよく味わえるでしょう。 第一朗読では、イザヤの預言が読まれますが、この、11:1-10では、来るべきメシアの支配する世界の様子が 語られます。6-8節の記述は、現実にはありえないようなことですが、来るべきメシアが支配する時代には、わたし たちが持っているすべての価値観が覆されると考えてもよいでしょう。詩編唱で歌われる、神の み旨を行う、真の王 の姿が、主キリストに他ならないことは、言わずもがなです。主キリストは、地上の支配者とは異なり、詩編唱の4節 に歌われるような方であることを、こころに刻み、わたしたちも、福音朗読で語られる、洗礼者ヨハネのように、主の道 を整える、キリストの王職を行うことができるように祈りたいものです。 【オルガン】 伴奏は、やはり、答唱詩編の基本であるフルート系の8’+4’にするのがよいでしょう。オルガンで前奏をする場合 は、上に書いた、rit. や八分音符の前の助詞の部分を、実際に歌うように弾くことで、会衆の祈りも深まりますし、よ い黙想の助けにもなるでしょう。 《B年》 81 神よわたしに目を注ぎ 【解説】 今日の答唱詩編の答唱句も、先週と同じ 神よわたしに目を注ぎ なので、曲の解説は、待降節第1主日をご覧 いただくとして、今回は、少し違った視点から、この、答唱詩編について書いてみたいと思います。 今日の答唱詩編の詩編85は「平和の回復を求める祈り」と言われています。カナンに定住する前はもちろん、定着 後も、イスラエルは周りの国々からの侵略に脅かされ、「平和」を享受することは、なかなかできませんでした。特に、 バビロン捕囚による打撃は大きく、回復の希望を持つことすらできないほどでした。 このときに語られたことばが今日の「イザヤの預言」です。その預言と福音朗読に共通するのは「主のために荒れ 野に道を整える者」です。福音書では、それは洗礼者ヨハネですが、キリストの預言職という視点から見れば、洗礼 を受けたキリスト者一人ひとりと言うこともできるでしょう。 神の約束される「平和」は、ただ単に「争いがない状態」ではありません。神が神として認められ、神の支配が満ち 満ちていることが「平和」なのです。 「救いは神をおそれる人に近く」、「きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励 む人」、「神のことばを聞き、心を神に向ける人に」「神は平和を約束される」のです。 こうして、「正義と平和はいだき合って」「栄光=キリストはわたしたちの地に住む」のであり、そのときこそ主は「力 を帯びて来られ、御腕を持って統治される」のです。 【祈りの注意】 今日の第一朗読=答唱詩編=第二朗読=福音朗読は季節でもあり、比較的関連があります。今日の詩編唱を担 当される方は、これらの朗読をよく味わうと、詩編の祈りに深みが出るのではないでしょうか。加えて、詩編を朗唱さ れる方自身が、神の「平和」に満たされていれば、詩編を聴いて黙想する会衆一同も、より深く「平和」を味わうことが できるのではないかと思います。 よく、「聖歌は祈りです」といわれます。その意味はどういうことでしょうか。教会の伝統と言われる、聖プロスペル・ アクイタヌスの格言に、「祈りの法則が信仰の法則を定める」(Lex orandi legem credendi statuerit)というものがあ ります。その人の祈りは、すなわち、その人の信仰のあり方と言っていいでしょうし、反対に、その人の信仰のあり方 が、その人の祈りに反映すると言えるのではないでしょうか。 【オルガン】 オルガンの前奏が活き活きとしていないと、会衆の答唱句はだらだらしてしまいます。速度表示は四分音符=69 くらいとなっていますが、最終回の答唱句の終わりの部分、と考えてもよいでしょう。歌い始めは、これよりも、かなり までは行かなくても、早めに始めたいものです。「神よ」と「目をそそぎ」という、四分音符の後の八分音符を、早めの 気持ちで歌うことができるように、前奏のときも同じように弾きましょう。また、「強めて」の付点八分音符+十六文音 符もはっきりとしたいものです。ストップは、答唱句のことばを生かすように、明るめのストップを用いましょう。ただし、 待降節であることを考慮して、はでなものは避けたいものです。。答唱句の最後のフェルマータは、ていねいに、そし て、きちんと終えるというような意味でとらえるとよいでしょうか。祈りの終わりが品位あるようにしてゆけば、おのずと 長さが分かってくると思います。 《C年》 154 涙のうちに種まく人は 【解説】 詩編126は、「都に上る歌」の一つですが、内容を見て分かるように、バビロン捕囚から帰ったばかりのイスラエル の幸福な状態を思い起こし(1-3節)、その後の苦難から、捕囚直後の幸福な状態への回帰を願うものです。ネゲ ブは、パレスチナ南部の乾燥した高原地帯で、ここに流れる川は、雨の後にだけ水が流れ、その流れは不毛の地を 肥沃な大地へと潤します。 種をまくことですが、加工すればパンになる小麦を地に撒くことで、一時的な飢えを覚悟することを意味しています。 つまり、その先にある、収穫を神の恵みによって、期待するのです。 答唱句は、歌詞に従って、前半は1♭の短調であるd-moll(二短調)、後半は同じ調号の長調であるF-Dur(へ 長調)と、並行調で対照的にできています。前半は、バス以外「涙のうちに」と「種まく人は」という、二回の下降音階 で、これらの姿勢と感情が表されています。後半は、「よろこび」で、まず、バスとソプラノが2オクターヴ+3度開き、 「よろ」でバスがオクターヴ跳躍し、「よろこび」では、付点八分音符+十六分音符という付点を用いることで、この、神 による回復の喜びの大きさが表されています。続く「刈り取る」では、この音価がバス以外で拡大され(付点四分音 符+八分音符)て、強調されます。 詩編唱は、旋律が属音(ドミナント)を中心に動き、和音もd-moll(二短調)の基本的な和音で動いています。な お、『混声合唱のための典礼聖歌』(カワイ出版 2000 )では、詩編唱の三小節目の最後の和音と、四小節目が変更 されています。 【祈りの注意】 答唱句は、決して、早く歌うものではありませんが、前半の下降音階を生かすように、きびきび、やや accel. で、そ して、ことばを生かすように、厳しくしっかりと歌いましょう。後半は、付点の音価を生かすように、明るく軽めに歌いま す。食事の用意、宿題、残業、苦労の種はいっぱいありますが、その後に待っている喜びを知っている人は多いと思 います。わたくしの場合には、熱いお風呂とその後のビールでしょうか?身近な、苦労と喜びを思い起こして、その気 持ちを答唱句に反映させるのが、一番、分かりやすいかもしれません。 もう一つ、下降音階の注意ですが、きわめてレガート(滑らか)に歌うようにしましょう。力が入ると、一つ一つの音が 飛び出すようになりがちですが、これでは、よい祈りになりません。 詩編は、第一朗読のバルクの預言で語られる、エルサレムへの帰還を黙想します。待降節での二つの主の来臨 のうちの、主の再臨、すなわち、神の国の完成の時に主が来られることを教会は、初代教会の頃から待ち望んでい ます。その日がいつかは、父だけがご存知ですが、その日には、神がわたしたちの目から涙をすべて拭い去ってくだ さる(第三奉献文参照)ことを思い起こしながら、この答唱詩編を味わい、祈りたいものです。 【オルガン】 祈りの注意のところでも述べましたが、まず、レガートを心がけましょう。全体に、音階進行が多いので、前後の音 を考慮した運指法、ペダリングを考えてみましょう。ペダルを使わないで、手(マニュアル)だけで弾く場合は、上三声 を右手で取ったり、すばやく持ち替えたり、飛ばしたり、滑らせたり、といった技術が必要です。これらは、演奏のため の技術でもありますが、最も大切なことは、この答唱句の祈りを深めるため、ことばを味わうためにレガートで祈りを支 えるということが目的なのです。ペダルを使えるようだと、手の持ち替えも少なくて済みますし、レガートがより容易に なります。感情豊かな、答唱句のことばですが、オルガンがだらだらした前奏だと、せっかくの答唱句のことばも、ム に等しいものとなってしまいます。もちろん、やりすぎはよくありませんが、よりよく、答唱句を味わい、祈れるような前 奏ができるように、また、伴奏となるように、しっかり準備したいものです。 音色は、待降節ということもあり、また、答唱句の性格からも、控えめのフルート系の8’+4’がよいでしょう。 ジャンル別一覧
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