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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第23主日

《A年》
 35 神に向かって
【解説】
 今日の詩編唱で唱えられる、詩編95:1,2からこの答唱詩編の答唱句が取られています。この詩編95は、神殿
の神の前に進み出て礼拝を促す(2節)巡礼の形式で始まります。後半は、荒れ野における歴史を回顧し、神に対す
る従順を警告しています。1節の「救いの岩」をパウロは、1コリント10:4で「この岩こそキリストだったのです」と述
べ、この前後の箇所では、イスラエルの先祖が荒れ野で犯した、偶像礼拝について記しています。また、ヘブライ 3:
7-11,15でもこの箇所が引用され、キリスト者も不信仰に陥らないように警告しています。
 8節の、「きょう、神の声を聞くなら、・・・・ 神に心を閉じてはならない」という箇所から、この詩編は、『教会の祈り』
で、一日の一番最初に唱える「初めの祈り」の詩編交唱の一つになっています。「きょう」ということばは、ただ「昨日」
「今日」「明日」という、連続した日の一つではなく、このことばによって、今、読まれる、あるいは、読まれた神のこと
ばが、そのときその場に実現することを意味しています⇒《祭儀的今日》。ナザレの会堂でイザヤ書を読まれたイエス
が、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(ルカ4:21)と話されたことを思い起こしてく
ださい。
 答唱句は、冒頭、旋律が「神に向かって」で和音構成音、「喜び歌い」が音階の順次進行で上行して、最高音C
(ド)に至り、神に向かって喜び歌うこころを盛り上げます。また、テノールも「神に向かって」が、和音構成音でやは
り、最高音C(ド)にまで上がり、中間音でも、ことばを支えています。前半の最後は、6度の和音で終止して、後半へ
と続く緊張感も保たれています。後半は、前半とは反対に旋律は下降し、感謝の歌をささげるわたしたちの謙虚な姿
勢を表しています。「感謝の」では短い間(八分音符ごと)に転調し、特に、「感謝」では、いったん、ドッペルドミナント
(5度の5度)=fis(ファ♯)から属調のG-Durへと転調して、このことばを強調しています。後半の、バスの反行を含
めた、音階の順次進行と、その後の、G(ソ)のオクターヴの跳躍は、後半の呼びかけを深めています。
 詩編唱は属音G(ソ)から始まり、同じ音で終わります。2小節目に4度の跳躍がある以外、音階進行で歌われます
から、歌いやすさも考慮されています。また、4小節目の最後の和音は、答唱句の和音と同じ主和音で、旋律(ソプラ
ノ)とバスが、いずれも3度下降して、答唱句へと続いています。
【祈りの注意】
 答唱句は、先にも書いたように、前半、最高音のC(ド)に旋律が高まります。こころから「神に向かって喜び歌う」よ
うに、気持ちを盛り上げ、この最高音C(ド)に向かって cresc. してゆきますが、決して乱暴にならないようにしましょ
う。また、ここでいったん6度での終止となりますし、文脈上も句点「、」があるので、少し rit. しましょう。ただし、最
後と比べてやり過ぎないように。後半は、テンポを戻し、「うたを」くらいから、徐々に rit. をはじめ、落ち着いて終わ
るようにします。答唱句、全体の気持ちとしては、全世界の人々に、このことばを、呼びかけるようにしたいところで
す。とは言え、がさつな呼びかけではなく、こころの底から静かに穏やかに、砂漠の風紋が少しづつ動くような呼びか
けになればすばらしいと思います。
 詩編唱は、「悪人」=神に逆らう人に対して述べられた警告を受けて、黙想されます。この詩編が「きょう」と歌われ
るとき、神のことばは、今ここで、実現されます。ミサの「ことばの典礼」はまさにその顕著な場です。ヘブライ語の「こ
とば(ダバール)」は「出来事」という意味も持っています。神の「ことば」は、神が発せられたとき「出来事」として実現
するのです。創世記1章の天地創造の場面を思い起こしましょう。
 詩編唱の1節の呼びかけは、全世界の人々に呼びかけるように、雄大に語りかけてはいかがでしょうか。3節の前
半は、創造のわざに対する力強い進行告白、後半は、それを受けて礼拝を促すものです。前半と後半の対比が祈り
を深めます。4節は、特に第一朗読を受けて、黙想されますが、わたしたちは、すでに、「神の民、その牧場の羊」に
していただいています。詩編唱を歌う方は、このミサでこのことばを聴く人のこころの深みに語りかけることはもちろん
ですが、まず、自分自身のこころの奥底に「神に心を閉じてはならない」と、もう一度呼びかけると、聴く人も、自らも、
この詩編が味わい深いものとなると思います。
 福音朗読では、「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」とキリ
ストは仰せになっていますが、ミサは、まさに「父と子と聖霊のみ名によって」キリスト者が集まっているところですか
ら、いつでも主キリストがおられることを忘れないようにしたいものです。ところで、福音朗読にある「つなぐ」と「解く」、
この意味が難解なようですが、これについては《用語解説》の「つなぐと解く」をごらんください。
【オルガン】
 答唱句は基本的なフルート系のストップ8’+4’でよいでしょうが、答唱句の性格上、明るめの音色がよいでしょう。
人数が多い場合は、弱い、プリンチパル系を入れてもよいかもしれません。前奏のときに、最初の「神に向かって」が
だらだらとしないようにしましょう。オルガンの前奏が活き活きとしていれば、会衆も活き活きとするはずです。後半で
は、「喜び歌い」と「ささげよう」のそれぞれの rit. の違いがきちんとできればいうことはありません。最初、会衆全体
がその通りにできなかったとしても、オルガンが辛抱強く rit. を続けてゆけば、会衆も、だんだんと、祈りが深まるよ
うな rit. ができるようになると思います。オルガン奉仕者が、いつも、この答唱句を生きることが、最も大切な祈りと
なることを忘れないようにしたいものです。

《B年》
 19 いのちあるすべてのものは
【解説】
 詩編146は、ここから始まる5つのハレルヤ詩編(146-150)の最初です。この5つの詩編は、冒頭とおしまいに
「ハレルヤ」があることから「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。現在も、ユダヤ教の朝の祈りで用いられていますし、
教会の祈りでは、読書課に含まれています。この、詩編146は元来、神殿で唱えられた神への賛美です。「神」が主
語となっている部分の動詞は、すべて分詞「~~するもの」という意味ですが、これは、その動作が現在も継続して
行われていることを表しています。つまり、ここで言われている神のわざは、現在も行われているのです。また《同義
的並行法》を用いることで、それらの内容が、さらに強調されています。
 答唱句は、冒頭、オルガンが主音Es(ミ♭)だけ、八分音符一拍早く始まります。二小節目の「すべてのもの」では
「地にあるすべてのもの」を象徴するように、旋律の「すべての」でC(ド)、バスの「すべての」でG(ソ)と、それぞれ、
最低音が用いられています。また、アルトの「すべての」では、ナチュラルでH(シ)が歌われ、それが強調されていま
す。なお、二小節目の冒頭は、他の声部では八分休符になっていますが、バスだけは、一拍早く始まり、文章の継
続を表しています。後半では、旋律もバスも、ほぼ、1オクターヴ上昇し、特に、Last では、旋律が最高音Es(ミ♭)
まで上がり、力強く「神をたたえよ」(原文では「主を賛美せよ」)と呼びかけます。
 詩編唱は、前半、G(ソ)-As(ラ♭)-F(ファ)-G(ソ)と動きが少なくなっていますが、後半の三小節目では、最
後に八分音符で旋律が上昇し、さらに、四小節目で最高音C(ド)にまで、高まり、バスのB(シ♭)との開きも2オクタ
ーヴ+3度に広がり、「神をたたえよ」という呼びかけが力強く歌われます。
【祈りの注意】
 答唱句の前半、一小節目と二小節目、旋律では、八分休符が冒頭にあり、下降→上昇の動きが繰り返されます。
八分休符は、ことばのアルシスを生かすだけではなく、旋律の動きも生かすものです。二回目の八分休符があるとこ
ろも、バスだけ、早く、一拍早く出て文章を継続させています。混声四部でない場合でも、オルガンの伴奏が、それを
表していますから、二小節目の八分休符で文章の継続も、祈りの精神も切れることのないようにしましょう。
 前半の終わり「すべてのものは」の後では、一瞬で息を吸いますが、そのためには、「のー」でわずかに rit. します
が、できるだけ分からない程度にしましょう。これは、非常に難しいかもしれませんが、何回も練習することで、だんだ
んとできるようになってきます。
 後半の、上行音階では、「すべてのもの」に呼びかけますから、力強く cresc. しますが、ここで、気をつけなけれ
ばならないのが、間延びすることと、rit. の違いです。rit. の場合は、「神を」で元のテンポに戻りますが、間延びし
た場合は、前のテンポのままか、さらに遅いテンポになっています。この違いがはっきり分かり、元のテンポで始めら
れるかどうかが、ことばにふさわしい、祈りの歌にできるかどうかの分かれ目になります。
 詩編唱は、このところ続いている、第一朗読と福音朗読の橋渡しであることが、はっきりと現れています。解説にも
書きましたが、分詞で表されている「まことを示し」「裁きを行い」「かてを恵み」「解放される」「目を開き」「愛される」
は、現在も神が継続して行われている、神のわざです。詩編を先唱されるかたは、この、現在も神が継続している神
のわざが、聞いている人々のこころにも伝わるように祈ることができれば、これも大きな恵みではないでしょうか。
【オルガン】
 答唱句のことばからも、明るい、そして、やや力強い伴奏が望まれるかもしれません。しかし、それは、派手、華
美、というものではないことは、おわかりになるでしょう。冒頭の、八分休符の部分、オルガンの伴奏だけの部分を、
まず、しっかりと弾き、次の「いのちある」を祈りにふさわしいテンポにしましょう。次の「すべての」も、同様です。後半
の「神をたたえよ」の、上行が遅れないようにすることも大切です。「いのちあーる」「すべてのものーは」「かみーを」の
八分音符二拍が連鉤になって、ことばを延ばすところは、きちんと八分音符の粒をそろえるようにしましょう。
 詩編唱も第三小節で、同じ、音型が出てきますから、ここも注意点です。その他の小節も、音が変わるところを間違
わないように、練習の段階で、何回も、歌いながら確認しましょう。
 いつも、言っていることですが、間違わないことが大切なのではありません。詩編の先唱者と、息を合わせ、先唱者
の声と、オルガンの伴奏が一つになることで、祈りが一つとなり、深まってゆくために練習を積み重ねるのです。

《C年》
 52 神のはからいは
【解説】
 この答唱句で歌う詩編は二つありますが、答唱句自体はもう一つの詩編139:18に基づいています。今日の詩編
90は、詩編集第四巻(詩編全体を5つに分けた)の冒頭に当たります。表題には「神の人モーセの詩」と書かれてい
ますが、モーセの作とされるのは、この詩編の思想が、申命記32章にある「モーセの歌」(モーセの告別の歌)と類
似するからと思われています。しかし、実際には主語が「わたしたち」と一人称複数であることから、共同体における
嘆願の祈りと考えるのが妥当なようです。人間のはかない人生と、神の永遠のいのちを対比させることで、神のいの
ちを求める知恵(本当の知恵)を願う祈りです。
 答唱句の前半、旋律は、E(ミ)を中心にしてほとんど動きが見られません。後半、旋律は一転して主音のA(ラ)か
ら4度上のD(レ)へと一気に上昇します。旋律では「そのなかに」で、テノールでも、やはり「なかに生きる」で、最高
音のD(レ)が用いられ、限りない神のはからいをたたえるこころと、そこに生きる決然とした信仰告白が力強く表明さ
れます。前率と同じように、バスとテノールも前半はA(ラ)を持続し、さらに、テノールは後半「その」まで、A(ラ)に留
まり、神のはからいの限りない様子と、その中に生きる決意が表されています。最後は、導音を用いずに終止し、旋
法和声によって歌い終わります。
 主音から始まり、主音で終わる詩編唱は、最低音がD(レ)〔3小節目〕、最高音がC(ド)〔4小節目〕と、続く小節
で、7度の開きを持ち、劇的に歌われます。1小節目と2小節目はA(ラ)を中心にシンメトリーになっています。これ
は、下の、祈りの注意にも書きましたが、1小節目と2小節目の内容が基本的に起→結という関係になっていること
にもよります。また、3小節目が、1小節目と4小節目の両方とやはり、シンメトリーになっていまが、これも、やはり、
3小節目と4小節目が同じく起→結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という内
容にもなっていることによります。
【祈りの注意】
 答唱句は、p で、しかし、強い精神で歌い始めます。最初の「かみ」の「K」を強く発音するようにしましょう。これは
「限りなく」の「か」も同様です。後半、「わたしは~」からは、だんだんと、cresc. して、力強さを増してゆきますが、
決して乱暴な歌い方にならないように注意しましょう。答唱句の息継ぎは、原則として、「限りなく」の後、一回です
が、最後答唱句は、終止の rit. を豊かにするために、「その中に」の後でも、息継ぎをするとよいでしょう。ただし、息
継ぎが長すぎて、「に」の四分音符の基本的な音価が崩れないようにしてください。また、同じく、最後の答唱句は、
冒頭 pp で始め、最後は、力強く終わると、この答唱句の持つ、豊かな味わいが、より、深く表現できるのではない
かと思います。
 詩編唱は、冒頭、mf から始めるとよいでしょうか。先にも書いたように、基本的に、1小節目が起、2小節目が結、
3小節目が起、4小節目が同じく結であるのに加え、1小節目+2小節目が起、3小節目と4小節目が結、という内容
にもなっていますので、この対比をよく味わえるような、強弱法や、速緩法を用いるようにしましょう。
 今日の第一朗読では、「知恵の書」が語られます。知恵の書は、その名のとおり、神の知恵(教会は伝統的に、キ
リストととらえてきた)について語られたものです。他にも、旧約聖書で神の知恵について書かれた書はいくつかあ
り、これらを《知恵文学》と読んでいます。ちなみにそれらのほとんどは、紀元前1世紀くらいに書かれたようです。
 さて、今日の知恵の書は、パウロのローマの教会への手紙、11:33-36(『典礼聖歌』384「おお 神の富」)を思
い起こさせます。詩編111には「神をおそれることは知恵の初め」とあるように、本来、人間の持つべき知恵とは、神
を知り、敬い、おそれること、なのです。しかし、それには、神の霊=聖霊が働かなければならないことは、イザヤの
預言(11:2)をみれば分かります。もともと、神の息吹を吹き込まれることで生きるようになった人間に、神は、ご自
分の霊を与え、ご自身を知ることで、人間を本来の知恵に向かわせてくださるように心砕いておられるのです。今日
の詩編を味わいながら、この「神のはからい」をあらためて思い起こし、これら、神のはからい、神の愛を素直に受け
止めることができるように祈りたいものです。
【オルガン】
 答唱句や詩編から考えると、フルート系のストップのみで音色を構成するのがよいでしょう。人数によって、8’だけ
にするか8’+4’にするかを考えてください。4’を加える場合は、控えめな音色が良いでしょう。ここが、一番大切で
すが、答唱句は同じ音で八分音符が連続しますから、実際に、歌うように前奏しないと、言い換えれば、メトロノーム
で測ったようなのっぺらぼうのような前奏では、会衆の答唱も、歌にはなっても祈りにはならない、答唱句になってし
まいます。前奏の仕方で、普段、オルガニストが、この、答唱句をどのように祈っているかが問われます。
 詩編唱は、劇的に歌われますが、だからと言って、強すぎるストップ、高いピッチのストップを用いることは、かえっ
て、祈りを妨げると思います。もし、強いストップを用いるとすれば、Swell Box をうまく開閉して、音の量を調整すると
よいでしょう。これは、また、先唱者の声量とも関係してきます。練習のときに、詩編先唱者とバランスをとりながら、
どのようなレジストレーションを用いるかも重要なポイントではないでしょうか。



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