聖歌は生歌

2007/11/28(水)16:46

待降節第3主日(A年)の答唱詩編

19 いのちあるすべてのものは 【解説】  詩編146は、ここから始まる5つのハレルヤ詩編(146-150)の最初です。この5つの詩編は、冒頭とおしまいに「ハレルヤ」があることから「ハレルヤ詩編」と呼ばれています。現在も、ユダヤ教の朝の祈りで用いられていますし、教会の祈りでは、読書課に含まれています。この、詩編146は元来、神殿で唱えられた神への賛美です。「神」が主語となっている部分の動詞は、すべて分詞「~~するもの」という意味ですが、これは、その動作が現在も継続して行われていることを表しています。つまり、分詞で表されている「まことを示し」「裁きを行い」「かてを恵み」「解放される」「目を開き」「愛される」という神のわざは、現在も神が継続して行われているのです。また《同義的並行法》を用いることで、それらの内容が、さらに強調されています。  答唱句は、冒頭、オルガンが主音Es(ミ♭)だけ、八分音符一拍早く始まります。二小節目の「すべてのもの」では「地にあるすべてのもの」を象徴するように、旋律の「すべての」でC(ド)、バスの「すべての」でG(ソ)と、それぞれ、最低音が用いられています。また、アルトの「すべての」では、ナチュラルでH(シ)が歌われ、それが強調されています。なお、二小節目の冒頭は、他の声部では八分休符になっていますが、バスだけは、一拍早く始まり、文章の継続を表しています。後半では、旋律もバスも、ほぼ、1オクターヴ上昇し、特に、Last では、旋律が最高音Es(ミ♭)まで上がり、力強く「神をたたえよ」(原文では「主を賛美せよ」)と呼びかけます。  詩編唱は、前半、G(ソ)-As(ラ♭)-F(ファ)-G(ソ)と動きが少なくなっていますが、後半の三小節目では、最後に八分音符で旋律が上昇し、さらに、四小節目で最高音C(ド)にまで、高まり、バスのB(シ♭)との開きも2オクターヴ+3度に広がり、「神をたたえよ」という呼びかけが力強く歌われます。 【祈りの注意】  答唱句の前半、一小節目と二小節目、旋律では、八分休符が冒頭にあり、下降→上昇の動きが繰り返されます。八分休符は、ことばのアルシスを生かすだけではなく、旋律の動きも生かすものです。二回目の八分休符があるところも、バスだけ、早く、一拍早く出て文章を継続させています。混声四部でない場合でも、オルガンの伴奏が、それを表していますから、二小節目の八分休符で文章の継続も、祈りの精神も切れることのないようにしましょう。  前半の終わり「すべてのものは」の後では、一瞬で息を吸いますが、そのためには、「のー」でわずかに rit. します。できるだけ分からない程度にしましょう。これは、非常に難しいかもしれませんが、何回も練習することで、だんだんとできるようになってきます。  後半の、上行音階では、「すべてのもの」に呼びかけますから、力強く cresc. しますが、ここで、気をつけなければならないのが、間延びすることと、rit. の違いです。rit. の場合は、「神を」で元のテンポに戻りますが、間延びした場合は、前のテンポのままか、さらに遅いテンポになっています。この違いがはっきり分かり、元のテンポで始められるかどうかが、ことばにふさわしい、祈りの歌にできるかどうかの分かれ目になります。  待降節第三主日、別名「喜びの主日」とも呼ばれます。入祭唱では「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ」(フィリピ4:4-5)と歌われ、第一朗読でも福音朗読でも、主の到来によって行われるいやしのわざで、多くの人々が、喜び踊るようになることが、語られます。とはいえ、この、いわゆる「奇跡」は、力ずくで人を信じさせるものではなく、神がともにいて、力あるわざを行われることのしるしです。このような、人間の力にでは回復不可能なことができなければ、神ではない、というのは、神のわざの本質を見失うことになります。このような、力あるわざを一つのしるしとして行われた、イエスの到来は、神の国の到来をあかしするものなのです。今日の第一朗読~答唱詩編~福音朗読で語られる力ある神のわざを信じるわたしたちは、アレルヤ唱にあるように、イエスの到来によって始まった、神の国の到来を告げ知らせるために、神が選んでくださったことを、いつも、忘れずに、多くの人々に、この、喜びを伝えてゆきたいものです。  《この答唱詩編のCD》 「典礼聖歌アンサンブル」『復活節の聖歌』(詩編は異なります)【参考文献】 『詩編』(フランシスコ会聖書研究所訳注 サンパウロ 1968)  

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