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自然の力には組織がない、上下関係もない、誰も指示する者はなく、される者もいない。すべてが自律的である。
では誰に教えてもらうのか? 自分自身の経験に学ぶのだ。 自然の力では誰もが、一人ひとり自分の経験を通じてのみ学んでいく。 誰もが自分で自分の行動を決め、その経験によって学んでいく。 私たちの人生を振り返ってみるといい。 無理やり机に向かわされた勉強で何か覚えていることがあるだろうか。 そんなことはすべて忘れ去ってしまった。 しかし、自分でやったこと。 昼休憩の鬼ごっこ、放課後体育館の裏でやった演劇、自分が好きで入った部活での日々・・・。 そういう自ら望んでやった経験のみが、今も記憶に生き生きとよみがえる。 そういう経験のみを通じて私たちは真に学んでいく。 自然の広場を読める方は1月17日の「自分に勝つ・・・」参照。 今年最初の天光地セミナーでこのことを南先生に教えてもらった。 レオナルド・ダ・ビンチは自ら「経験の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチ」と言っていることを。 誰の弟子にもなる必要はない。ただ自分の経験にのみ学べばいい。 レオナルド・ダ・ビンチの天才はそこから来ていたのだ。 レオナルド・ダ・ビンチの言葉を他にもいくつか紹介したい。 「食欲なくして食べることが健康に害あるがごとく、 欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。」 なるほど! その通り。 「十分に終わりのことを考えよ。 まず最初に終わりを考慮せよ。」 これも南先生がよく言われることだ。 「ケツを見ろ」と。 「ケツを見ろというと、時々お尻の穴を見る人がいますが(そんな人はおらん!※注)榎本)そうではなくて結果を先に見るということです。」などとジョーダンを飛ばしながら説明をされるのだが、まさかレオナルド・ダ・ビンチが同じことを言っていたとは。 「よい文学はよい自然人から生れる。 しかして結果より原因のほうがより賞賛すべきものである以上、 自然さのないりっぱな学者より 文学を知らぬよい自然人の方を賞賛すべきであろう。」 「その理論が経験によって確証されないあの思索家たちの教訓を避けよ。」 これが南先生が本を読んでも役に立たないと言われる意味だろう。 ちなみに1月9日の天光地セミナーに参加していた中では「経験の弟子」でYESになる人は3人しかいなかった。 私も自然の力を毎日使って実践しているなかで、例えば現在の自己実現方法の最先端の方法と同じことに出会う。 自然の力で、人に触れずに痛みなどをとることはすごいことだが、最先端の自己実現方法や、レオナルド・ダ・ビンチの叡智などを知らず知らずのうちに導かれていることも本当にすごいことだと思う。 最後にレオナルド・ダ・ビンチの言葉をもう一つ 「自然は、経験の中に いまだかつて存在したことのない無限の理法にみちている。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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