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カテゴリ:ヒューマンデザイン
無意識に自分が取ってしまうであろう行動が
ある程度 解ったら 後悔することが少なくなるのかな。 ヒューマン・・・を知ると そんな疑問が浮かんでくる。 事実 ヒューマンで知ることができる範囲に それは含まれるのだから 可能性としてはあるわけだ。 無意識に出来る部分は 言い換えれば 無意識にやってしまう部分でもある。 良くも悪くもとれるわけだ。 ある人は一生懸命にならないと出来ない部分を 別の人はいとも簡単に出来てしまう。 ・・・そんな違いも このヒューマンデザインでなら わかる。 たとえば 長女の人が 必ずしも面倒見が良いという 訳ではないのは そういった事からもわかる。 私のように 長女で 面倒を見るという役割を持って 生まれてきていれば ご多分に漏れずということになる。 しかし 長女だけど 次女のようなタイプの人は 面倒を見るという役割を 持って生まれてきていないからなのだ ということが解れば 腹も立つまい。 さらには「お姉ちゃんなんだから・・・」という 行動抑制文句は その子にとって意味をなさない こともわかる。 それどころか そうやって抑え込まれたフラストレーションが どこで出るかによっては その子の性格あるいは人格の形成に多大なる 損害を与えることとなる。 もちろん それでも 昔は長女は長女らしくしました という 声も当然 聞こえてくるだろうが それは その時代を選んで生まれてきている時点で たぶん 面倒を見るという役割を 担うことを承諾して生まれてきているはずで ヒューマンでいうデザインが そういうデザインである可能性が高い。 こんな風に あれやこれやと考えると ヒューマンて本当に奥深いのだ。 面白い! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.04 00:09:13
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