今日で連続6日、母の介護に行った。
結婚してからこんなに母のもとに連続で通ったことはない。
今日の母は昨日より良くなっていた。
体は横になっているが意識は目覚めてしっかり目があいている。
私と兄がやりとりしているのを目で追いながら気になるのか、声を掛けてくる。
どうやら母は山を越えたみたいだ。
尿パッドも自分で取り換えられるようになった。
おむつはまだ換えられないし、簡易トイレの掃除もできないので私はもう少し続けて通うことにした。
同居している兄は、簡易トイレの掃除はできないという。
おむつも換えられないという。
以前、兄は就職口を探す時、すすめても「できないものはできない」と最初からあきらめていた。
強くすすめても逆に大きな声で怒鳴る始末、
できなくても努力してやろうという姿勢がまったくない。
仕事を転々としてきたのは「できないものはできない」を当然のことのように甘えて生きてきたからだ。
努力するということがどんなものか分からないで生きてきた。まるで子供のように。
そんな兄に無理強いしてもまた怒鳴られるだけだった。
不思議なことに、怒鳴った後はスッキリしたのかまたいつもの調子で声を掛けてくる。
私は怒鳴られている時、死んだ父を思い出す。
兄は父の悪いところが生き写しだった。
兄が怒鳴っている時、トラウマで私は逃げ出したくなる。
子供の時、父に激しく叱られたときがあった。
暴力で叱ってくる、戦争に行った父の教育方針なのかどうか、私は恐怖心で泣きっぱなしだった。
その時の思いは大人になってもトラウマで一生消えることはない。
父がアル中で肝硬変で死んだ時、悲しいと思わなかった。
自業自得だと思った。
神様の罰が当たったとおもった。
しかし、時がたつにつれて不思議と涙が出てくるときがある。
やさしいときもあったなと、
いつもいつもやさしいときなんて、絶対無理、
母は今は弱っているが、怖い時もあった。
私は母の子供なんだから、と肝に銘じて介護を続けようと思っている。
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最終更新日
2011年02月02日 01時24分35秒
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