第2章4部眼前にあるのは巨大な飛空挺だ。コアに浮遊石という特殊な鉱石を使い、建造された高速移動手段である。 その中でもインビジブルと名づけられたこの機体はこの世界で最速を誇る。 「飛空挺インビジブル。これをこの短期間で運用できるなんて」 フィークは驚きを隠せないでいた。 通常、飛空挺は個人レベルで運用できるものではない。 よほど強い力の持つ国王や経済に関わり合いの深い商人などが、大金をはたいて数週間前から予約し、使うものであるからだ。 それをアトランティスの外交官であるとはいえ、パラダイスの部隊長である翔がたった数時間の内に手配したのである。 「間に合わなければ意味がないでしょ」 確かに急ぎの場合だからこそ飛空挺が必要なのだが。 いったいいくら使ったのか想像するだけで恐ろしい。 「お金なんていくら使っても構わないよ。そんな下らないものより、もっと大事なものがある」 翔の右手には一枚の手紙があった。 マリが式神に託したものだ。 そこにはパラダイス部隊にバハムート討伐命令が下ったこと。 そしてそれを受け、エグゼルとコークスがたった二人で旅立とうとしていることが書かれたあった。 「そうですね。人の命は金じゃ買えない」 いかに魔術が発達したこの世界においても、死者を甦らせる魔法は存在しない。 死を迎えればそれは終着点であり、永久の開放であるのだ。 「でも、フィークさんには悪いと思ってるよ」 「何がですか?」 「いきなり実戦。しかも相手は・・・・」 「伝説の神竜バハムート。なら、少しでも戦力がいるでしょう」 曇る顔の翔にフィークはやさしく答えた。 フィークの中で確実に何かが変わり始めている。 「………本当に悪い。本来ならこんな任務俺が断固断らなきゃいけなかったのに」 手にした手紙を握りつぶす。 無事にミッドルに戻れば天才軍師のフィルとの衝突は避けられまい。 翔の顔には相変わらずの笑みがあったが、それはぎこちないものであった。 「隊長、荷物の搬入と出発の準備できました」 インビジブルの中からランが姿を見せた。 「ああ、じゃあ行こうか」 飛空艇に続くタラップを上るしょう。 フィークはその数歩後を追いかけるように歩いた。 フィークがラプソディアに来てたった三ヶ月。 取り戻すものはなかったが、得られたものは大きかった。 友として必要としてくれる人間。 暖かさを教えてくれた人。 それだけで充分生きる理由にはなる。 フィークを護るかのように風がやさしく身体を包んだ。 インビジブルの客室は思いのほか広く豪華である。 定員数が少ないのも理由の一つだろうが、力を持つものしか使うことが出来ない飛空挺ゆえの気配りなのかもしれない。 親善の為、各国を周っていた翔たちの大きな荷物は倉庫に保管されている。 それは日用品であったり、親善の為の品物であったりするのだが、国を出る事になったフィークの荷物はそこにはない。 「フィークさんの荷物ってそれだけですか?」 ランの言葉の通り、フィークの荷物は小さな鞄一つだけだ。 今まで服装に気を配るような余裕などなかったし、ここに来てから手に入れたものなんて高々身の回りに必要な生活アイテムぐらいなのだ。 「必要なものは順次買い足していきます。それに、これから向うのは戦場ですから」 武器や防具は装備済み。 何のことはないただの軍の支給品だが、市場で売られているものに比べれば品質はいいし強度もある。 だが、この装備でバハムートに挑むとなるとそれは自殺行為といってもいいだろう。 支給品に魔力がこもっているはずもなく、ただの鉄の剣が神竜を打ち倒す力があるわけがない。 「その剣で大丈夫なのか?なんなら俺の予備の刀貸すけど」 翔はフィークの腰の剣を見ながら言った。 彼も充分理解している。バハムートが以下に強大な魔獣であるかを。 ゆえに東洋剣術の魂とも言える刀を貸そうといったのだ。 翔の持つ刀は勿論魔剣である。 『月影』と『風霧』と称される2本の刀は、その持ち主である翔を幾多の敵から護り導いてきた。 「借りても使いこなせなければ意味がありませんよ。 素人が見様見真似で使いこなせるほど刀は扱いが簡単ではないでしょう」 「まぁ、そうなんだけど。 ほら、フィークさんはたった2ヶ月で奥義まで使えるようになったんだから、東洋剣術もそこそこ使えるようになるんじゃないかなと」 「隊長、それって無理がありすぎます。 ラーミディから神竜山まで3時間程度で着いちゃうんですから・・・・」 ランの言葉通り3時間で何がマスターできるのだろうか。 言葉にした後でさすがにそれは無理だろうと思い直す翔。 せめて数日あれば基本を全て叩き込むことも出来たのだろうが。 基本が出来れば応用も利く。 フィークの才能ならば時間さえ許せば独自の剣技を生み出すことも容易なはずだ。 「私には風がありますから」 風の聖霊使いであるフィークはまさに風を刃として敵を切る事も出来る。 その切れ味は魔剣にも匹敵する事は間違いない。 「信じるしかない・・・・ね」 「信じていいと思いますよ。隊長もフィークさんも間違いなく最強の剣士です」 ランの言葉は気休めではなく確信。 目の前で二人の戦う姿を見たものだけが力強く言い切れる。 「ランちゃんのことも信じてるよ」 「私も・・・ですか?」 「剣士としての資質は間違いなく俺以上にある。 それに光の聖霊を使いこなせるようになったら俺の立場なんて一発で覆されるさ」 翔も知っている。ランの持った潜在能力を。だからこそ自分の付き添いとして彼女を選んだのだ。 何らかの刺激でその才能が開花することを願って。 「剣士としての資質ですか。アイリア様も言っていましたね。 私の八耀の軌跡をランさんは全て見極めたと」 模擬戦で嵐となったフィークが放った最大奥義。 超神速の8連撃をすべて見るなど達人ですら不可能。 「あれは・・・そう、偶然です」 困ったようにランは言う。 「偶然で片付けられるほど安っぽい奥義じゃないんですが」 奥義と称される技は一撃必殺の力をもつ。 それはどの流派にしても言えることで偶然で見切れるような代物ではない。 「そう、ランちゃんには間違いなく資質があるから。ランちゃんにはもっと勉強してもらう。 だから今回も直接戦うことは禁止だよ」 「それは私も賛成ですね。 ランさんが剣士として今現在どれほどの力を持っているか知りませんが、光の聖霊を自在に使えないなら戦うことは死を意味します」 剣士としての業がフィークや翔並にあるならば戦っても問題はないだろう。 二人の力は間違いなくコークスに匹敵するのだから。 「自分の力量は分かってるつもりです。でも…………」 「でも?」 「私がやれることはやります」 はっきりと言い切る。 何が出来るかはまだわからない。しかし、ランとて剣を牙とし敵を屠る存在である。 闘争本能が理性を凌駕することもある。 「出来ることか。じゃあ、試験してみようか?」 天井を仰ぎ見て、翔は思い付いたようにランに言った。 「試験ですか?」 「危険感知というか第六感の試験」 「翔さん、どうするつもりですか?」 翔の言葉にフィークも首を傾げた。 危険感知といっても今この状況で危険などあろうはずも無い。 「ん?どうするって、もう始まってるよ。戦場ではいかなる違和感でも見逃しちゃいけない。 経験から学ぶものであれ、自分の直感であれ。俺もついさっきまで気がつかなかったけどね。 ランちゃんには俺が気付いたことを見つけてもらう」 フィークは翔の言葉で何かを感じたようだった。 「……なるほど。流石というか何というか」 困ったように、しかしフィークの表情は嬉しそうでもある。 「フィークさんもわかったんですか?」 「わかりましたよ。 意識をほんの少し外部に開放するだけで見えるものは多くなります」 ただでさえフィークには鋭敏な知覚力が備わっている。 索敵その能力を使えば上級の忍者ですら発見することは容易い。 「この場所に一番早く来たのはランちゃんだよね。 なら、感じ取ればいい。 おかしいなと思える何かが絶対にあるから」 翔の言葉の通りランはこの飛空挺を手配し、積荷などのチェックを行った当人である。 勿論、この客室はおろか、貨物室や操縦室などにも真っ先に足を踏み入れている。 「ランさん。剣士として一番自然な体勢を取ってみてください」 部屋の中をきょろきょろと見回すランにフィークは微笑みつつ助言を行う。 「剣士として……」 ランは足を肩幅に開いて大きく息を吸い込んだ。 そして腰に帯びる二本のサーベルを抜き放った。 「フィークさん、アドバイス禁止」 ほんの少し睨むように翔が言う。 あくまで一人で考えて自分なりの答えを出して欲しかったのだ。 「もうしてしましたよ。後はランさんの知覚力がどれほど高いかです」 対するフィークは、ほんの少し背中を押してあげるだけで才能が開花するならば、その手助けをしてあげるべきだと考えている。 どちらの考えも間違いではない。 ただ、その状況によっての使い分けを誤れば、才能は開花するどころか逆に枯れてしまう事になるだろう。 「フィークさんは見つけて欲しいのかな。見つけるってことはランちゃんもバハムートと御対面なんだけど」 やや棘がある翔の言葉で、フィークは頭の中から抜け落ちていた現実を思い出した。 「そう言えば……そうでしたね」 「それでも入れ込みたくなるってことかな?」 ぽんっとフィークの肩を叩く。 フィークは苦笑を浮かべつつ翔に答えた。 「大切な人・・・ですから」 客室に静寂が訪れる。 ランの意識はこの部屋中に放たれていた。 ほんの少しの違和感でも捕らえられるようにと。 どれくらいの時間が過ぎただろう。 10秒のようにも思えるし、すでに10分以上経ったようにも思える。 しかし、ランの知覚力はその時間を経て目的のものを発見した。 「そこっ!!」 サーベルを左上部に投げつける。 一直線に飛んだサーベルは部屋の天井に突き刺さった。 「きゃっ」 天井から女性の悲鳴。 侵入者に間違いなかった。 誰が好き好んで飛空挺の客室の天井に潜むというのだ。 「いい加減降りてきたらどうですか?」 フィークが天井に向かって言う。 親しみを込めた口調だった。つまり、侵入者は彼の知り合いという事だろう。 暫くして天井の一部がぱかっと剥がれた。 そこから降りてきたのは・・・・。 「あれ……マイさん?」 ラーミディの王城で会ったマイの姿を見てランはほんの少し驚いた。 「見つかっちゃったかぁ」 ばつの悪そうに頬を掻きながらマイは言う。 「マイさんは風の聖霊使いにしてラプソディア最高位の隠密です。 その気配を察することは一流の使い手でも難しいことなんですよ」 風使いとしての能力は本来隠されている。マイの本業は隠密なのだ。 「フィー君と翔さんには見つかっても仕方ないと思ってたんだけど。 アトランダムさんにも見つかるなんて腕が落ちちゃったかな」 マイとランの年齢は同じである。 しかし、今まで潜り抜けた修羅場の数はマイのほうが圧倒的に多い。 生き延びるために身に付けた隠密の業が、同年代の女の子に見破られたのがマイにとってはかなりのショックだった。 「資質無き者を共にして全国周るなんて事はしない主義でね。 とにかく合格だよ」 フィークの助言がなければどうだっただろうと翔は考える。 見つけられたにせよそれこそ時間は10倍以上かかったはずだ。 しかし、あの助言からすぐに結果を出せる人間が少ないのも事実。 なら・・・どうなのだろう。 的確な助言を与え続ければ・・・・彼女はどこまで成長する? 「それじゃあ、いいんですか?一緒に行っても」 ランの言葉で翔は一時自分の思考を止めた。 「直接戦闘は絶対に不可。危ないと思ったら俺達を放ってでも逃げること。 約束できるなら一緒に行こう」 あいも変わらない翔の微笑み。 その裏にある本当の顔は謎だ。 「約束します。後方支援でも何でもします。 直接戦わなくても私もみんなの役に立ちたい」 「わかった。フィークさん、ランちゃんのフォロー頼める?」 思わぬところで出た自分の名前にフィークは戸惑いが隠し切れない。 「私がフォローでいいんですか?」 「他に頼めないでしょ。俺は先行してる3人の面倒みないといけないだろうし。 フィークさんなら……任せられる」 「あの、隊長。ものすごく複雑な意味に聞こえるんですけど?」 ランの顔がほんの少し朱に染まる。フィークの顔も似たようなものだ。 それを楽しむようにしょうはランとフィークに言った。 「複雑じゃないよ。いたって単純明快。 フィークさんはランちゃんを護る為なら自分の力を完全に使いこなせるだろうって事」 「翔さん貴方は何を根拠にそんなこと言えるんですか?」 マイは知っている。暴走した風の聖霊が如何に危険なものかを。 かつて一度暴走したフィークを何とか鎮めたのは彼女なのだから。 「フィル・フリークって言う人間は誰かを守る為なら力を発揮する。 それが自分が決めた唯一の存在だと思ったらその力に際限なんて無い」 「翔…さん」 全員の視線が翔に集中した。 あまりに断言とも取れる口調だった。 フィークのすべてを理解し、共に生死の境を乗り越えた者だけが口に出来うる言葉。 「あれ………どうしてだろ。なんとなくね。 フィークさんはそうじゃないかって思えたんだ」 「昔から知ってるみたいな口調だったね。 無意識下で言ったのだろう。 翔自身、自分の口から出た言葉に驚いている。 「翔さん、フィー君のこと何か知ってるの?」 「知らない。ラプソディアに来るまでは顔すら知らなかった」 天才剣士の噂は聞いていた。 しかし、翔がフィークを見たのはアイリアの部屋が初めてである。 「ホントかなぁ」 マイは翔に疑いの眼差しを向けた。 しかし、翔の笑顔からは真実が読み取れなそうにない。 「まあその話は置いておいて、どうしてここにいるんですか?」 にらめっこを続けるわけにもいかず、翔はマイに話を振った。 「密航♪」 あっさりと楽しげに言うマイ。 「放り出しますよ。風に乗れば死ぬことなんてないでしょうけど」 こめかみを押えながらフィークは疲れたようにマイに言う。 「フィー君が怒ったぁ」 「脱線しない。ちゃんと説明してもらわないと国際問題にもなりかねませんし」 外交官の乗る飛空挺の天井裏に潜む他国の隠密は確実に敵対行動と取られてもおかしくはない。 翔としてはフィークを預かったばかりであるし、アイリアとの関係からも事は出来るだけ荒立てたくはないのである。 ただでさえ仮想敵国が多いアトラだ。これ以上敵は増やしたくないのが本音だろう。 「エグゼルに会いたいなってって思っちゃってね♪アイリア様に頼んで休暇貰ってきちゃった」 半分は嘘ではない。 アイリアに頼みはしたがその理由は休暇ではなく、フィークの監視とアトラの内情視察だ。 100%の嘘はばれやすい。 しかし真実を中に織り込むことによって嘘の信憑性が増すことをマイは知っている。 「エグゼルと知り合いなの?」 驚いたように思わず翔は尋ねた。 エグゼルは自分の過去を必要以上に話したがらない。 何か大きな秘密があるなと思いつつも、翔はそれを今まで聞けずにいた。 まあ、マイにそれを聞こうとも思ってはいないが。 「昔馴染みだよ~♪」 「そういえばそんな事も言ってましたね。でもそれならそうと始めから言ってくれればよかったのに」 飛空挺の手続きをすべて行ったランが言う。 あらかじめ言ってくれていれば正式な乗員として登録もしたし、客としての扱いもしたのだろうが。 「かくれんぼって楽しくない?どうせならみんなを驚かせようかなって」 あまりに無邪気なマイの返答。 「楽しくない、楽しくない」 思わずフィークとランの声が被った。 別の意味で二人は顔を合わせ思わず吹き出しそうになる。 「そこ、いちゃつかない。で、驚かせるのはいいけど、今どこに向かってるか知ってます?」 反射的にフィークとランに突っ込みを入れながら、翔はさらにマイに尋ねた。 「神竜山でしょ。話は聞いてたから了解済み」 「戦力として期待してもいいってことかな」 風の聖霊使いとしての腕前は確実にフィーク以上。 さらに最高位の隠密の技がそこに加わればかなりの戦力として計算できる。 「エグゼルの為なら張り切っちゃうよ」 張り切らざるをえない訳がマイにはある。それはエグゼルに対する義務感でもあった。 「風の聖霊使いが一人増えたっと。何とかなりそうな予感」 「何とかってどういう意味でですか?」 ランは翔に尋ねた。彼女はバハムートに正面から挑み勝つと信じ切っている。 「エグゼル達拾って即撤退も考えてたんだけどね。倒しちゃおうかなって思ってみたり」 現実はそんなに甘くないことを翔は知っている。 自分が如何に戦士として優れていようとも、人間には人間の限界があるし、想いだけで何かが成せるわけではない。 想いの強さは時として限界以上の力を発揮することがあるが、それは幾多の条件が重なった時のみだし、人間の限界以上の力で神竜に及ぶかといえばかなり疑問であろう。 それでも、この段階での戦力増強はバハムートに勝つ可能性が格段に上がることを意味している。 「背中を見せて後ろから炎で焼かれることを思えば、それもいいかも知れませんね」 フィークの言葉ももっともだ。 後方から襲い来るギガフレアを防ぐ手だてなどほとんどありはしないのだから。 「それには更なる戦力増強。 フィークさんとマイさんでランちゃんの聖霊使いとしての能力を時間ギリギリまで伸ばして貰う」 光の聖霊使いの能力がどのようなものであるか翔は知らない。 しかし、剣技を数時間で伸ばすことが不可能なのは知っている。 なら、何に時間を使えばいいかといえば勿論これであろう。 「翔さん、3時間もありませんよ」 「それでもやる。スパルタでやってもらうからね」 「にっこり笑いながら恐い事言うねぇ」 マイもある種しょうと似たところがあるかもしれない。 「それじゃあ任せたから。俺は今からちょっと野暮用」 翔は言うだけ言って客室を足早に出た。 残された3人は顔を見合わせ小さくため息を吐く。 「隊長はやるといったらやる人だから」 「じゃあ、時間も少ないですし始めましょうか」 「フィー君は甘いからスパルタ無理無理」 始めようとしたフィークにマイが突っ込む。 甘い、と言われればかなり甘くなるだろう。ランに対してだけは。 信頼ではない、友情でもない。しかし、愛情と言い切れるほど強くも無い想い。 フィークは胸の中にはっきりしない感情を持っている。 「マイさんのスパルタは危険すぎます」 フィークは訓練と称して過激な特訓をマイに受けさせられたことがある。 見張り台頂上から命綱無しで叩き落とされること数回。 まったく装備無しでオーガと戦わされたこともあった。 攻撃、防御、行動補助。状況に応じて風を自在に操れば問題はないのだろうが。 「どうでもいいから始めてください。それなりの覚悟は出来てますから」 ランにしてみれば強くなるための時間が惜しいのだろう。 知らないとはいえ強気な言葉が口から出る。 「じゃあ、聖霊との対話からはじめましょ。それなら危険なんて無いでしょ」 翔は客室から出ると近くにあった部屋に入った。 そこは給湯室らしいが別に翔は何かを飲みたくなったわけではない。 強いて言うならば一人になりたかったのだ。 あるモノと会話をするために。 「今のままでは間に合いませんよ」 何も無いところからの突然の声。 翔はそれに驚く事もなく言葉を紡ぐ。 「時間を司る者が簡単に介入していいのかな?」 「まだ介入前です。 ですが、このまま進んだ場合の結果だけでも教えておいて差し上げようかと」 突如姿を現したのは一人の人間であった。 テレポートしてきたというわけではない。 なぜなら魔力の発動が微塵も感じられなかったし第一、高速移動中の飛空艇の正確な座標など解る者などいはしないのだから。 しかし、彼(?)は確かにそこにいた。 幼くも見え年老いたようにも見える。 男女の区別を付ける事も難しい中性的な外見である。 その存在は翔が言った通り時間を司るものだった。 人であるかすら不明の時間能力者。 タイムサーバー(時間管理者)とはよく言ったものである。 「充分な介入だよ。今、結果を知りつつも俺達は行かなきゃならないんだから。 で、今の速度でどれほど足りない?」 笑みを消しつつ言う翔。 人外の能力者を前に笑みを漏らす余裕などありはしない。 「12分と42秒というところでしょうか」 タイムサーバーは一瞬だけ考えると翔に語った。 「えらくまた僅差だね」 「2時間とか言われたかったですか?」 顔色を変えずに事も無げに尋ねる。翔の顔が見事に歪む。 「それこそどうしようもない。で、どうすれば間に合う? フィークさんとマイさんに風の聖霊で後押ししてもらうとか」 風の聖霊を使えば常に追い風で神竜山へ向かうことが出来る。 時間にしてかなりの短縮になるはずであるが。 「それを行ってなお12分と42秒ですよ」 「先読みしてたな。相変わらず性格の悪い」 「性格の悪さと使える能力の信憑性は別物ですよ」 「それであんたに何の得がある? 俺の知っているタイムサーバーは基本的に対価無しでは動かない」 かつてタイムサーバーと出会ったことがある翔はそれを知っていた。 その対価は様々であるが、人が背負うにはかなりの重荷になるものだ。 「あくまで基本的に・・・・ですよ。 この件には昔私が行った行為で生じた因縁が絡んでいましてね。 彼と彼女を一目だけでも会わせるまではどちらかが死んでもらっては困るんです」 虚空を見つめて語るタイムサーバー。 対価に対する契約にその事項が定められたことならば、タイムサーバーはそれを護る義務がある。 「彼と彼女?誰と誰の事だか。それならその関係者に直接話してやればいいだろう」 神竜山にいるのはエグゼル、コークス、マリの三人。 その誰かにタイムサーバーが関わっていることになる。 「それが出来れば苦労はしません。だからこそわざわざ貴方にこうして話しているんですから」 肩を竦めるタイムサーバー。 その手の中にはコーヒーが入ったカップがいつのまにか握られていた。 どうぞとばかりに翔に差し出す。 「またろくでもないことをしてたな」 カップを受け取るとしょうは一気にその中身を飲み干した。 小さなテーブルにカップを置く。 「貴方のときと同じく人助けですよ。 貴方とて3年前私の力が行使されなければあの場所で動かぬ屍になっていたでしょうに」 「確かに・・・・な。感謝はしている。 でも、俺にこれ以上の介入はしないと言うのがあのときの約束じゃなかったのか?」 翔は3年前に悪夢と出会った。 そのときに翔の命を救った一人がタイムサーバーであり、翔はその時に対価を支払っている。 忘れなれない悪夢。忘れてはいけない悪夢。 夢は夢であればいいのだが、現実はそれをただの夢であると思わせてはくれない。 「状況は常に流動的。戦いを知るものであればそれは常識でしょう。 それに今の状況下では貴方には私の力の介入が必要なはずでは?」 対価に対する契約は基本的には破らない。 しかし、今回の状況はタイムサーバーにとってもイレギュラーと言わざるを得ない。 だからこそ彼(?)は契約を破ってまでしょうの前に姿を現したのだ。 「なら、姿を見せずに黙ってその能力を使えばいいだろう」 憮然とした口調で言い放つ翔。 「そういう訳にもいきません。貴方が向かう先には私の友人もいることですし」 タイムサーバーは服の胸ポケットから一枚の紙を取り出した。 翔はそれに見覚えがあった。 符術師マリが使用する呪符。 「それは・・・・式紙!?」 「貴方のところにも同じ式紙が届いたのでしょう? 彼女は・・・私の数少ない友人です」 寂しそうなニュアンスが言葉に含まれていた。 無期限とも言える寿命を持つタイムサーバーは極力親しい者を作らないことにしている。 人外の能力を持つ者であるがその精神構造は人と何ら変わることがない。 日ごとに老い、死に近づく友人を見るのは耐え難い苦痛といえるだろう。 「まさか貴様。マリにも・・・・」 翔はタイムサーバーの言葉の意味を取り違えた。 翔の全身から闘気が吹き出す。 明らかな戦闘行為だ。カタナこそ抜いていないがそれ自体は問題ではない。 翔の最大の技はカタナが鞘に入っているからこそ有効な抜刀術であるのだから。 「落ち着きなさい。彼女は私の友人だと。貴方が思うようなことは一切ありません」 タイムサーバーは諌めるように言葉を紡ぐ。 その表情に嘘やかげりは無い様に見える。 「本当か?その言葉に偽りがあったなら・・・・殺すぞ」 「嘘は言いませんよ。 それに、この仮初めの身体を滅ぼすことを死というならば、どうぞお好きなように」 タイムサーバーは固定した姿を持つわけではない。 見る者によってその姿は千差万別。 時間の流れを操る能力者だけに本来の姿はどこかに封じているとも言われている。 「……信用していいんだな」 「貴方に偽りを話したとして私にどれほどの利点があると?」 「わかった。信用しよう」 溢れんばかりの闘気をおさめる。 これ以上闘気を維持すれば、別室のフィークが翔の異変に気付く可能性もあるだろう。 そうなればタイムサーバーの事などの説明にまた時間を取られることになる。 「賢明な判断ですね。それで、どうさせてもらいましょうか?」 「現状で何が出来るんだ?まぁ、人外の能力なんて俺には想像もつかないけど」 精一杯の皮肉を込めたしょうの言葉。 「そうですね。 これだけ大きいものを運ぶだけの空間転移はいささか難しいですし、別室の方々には時間が必要なのでしょう?」 タイムサーバーは皮肉など気にすることも無く翔に問い掛ける。 「向こうの部屋のやり取りも聞いていたのか?」 「自分でも良い趣味だとは思っていませんが……ね。 では、こうしましょう。この飛空挺以外の時間の流れを遅らせましょうか。 そうすれば確実に間に合いますし」 「簡単に言うが………出来るのか」 「出来ないことは言いませんよ。ついでにお望みならば別室の時間の流れも操作しましょう。 通常2時間の猶予ですが、4時間ほどの訓練が出来るように」 「頼む。俺は急がなきゃならないがアトランダムには時間が必要だ」 訓練に集中すれば時間の流れなど気にかける余裕は無くなる。 倍の時間が過ぎていたとしても基本的には問題無いはずだ。 「人間素直なのが一番ですね。では、また運命が交差したらお会いしましょう」 うっすらと靄がかかるように姿を消していくタイムサーバー。 「会いたくも無い」 その姿が消え失せたっぷり10秒ほど経ってから、翔は先程飲み干したコーヒーカップに向かって呟いていた。 ジャンル別一覧
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