【本の話】傷つきやすい人のための禅思考 第三章
傷つきやすい人のための禅思考 第三章図太い人は、気持ちの入れ替えがうまい一休さんのお話あるとき一休さんが弟子を連れて町に出かけます二人が鰻を焼いている店の前を通りかかると通りにまで、たれの焦げる香ばしい匂いが漂っています。一休さん思わず『う~ん、うまそうじゃな』と呟きます。寺に帰りついてから、弟子が一休さんに尋ねます。『お師匠様、先ほどの鰻の匂いが漂ってきたとき旨そうじゃとおっしゃいましたが、仏の道を歩くものがそんなことでよいでしょうか? 不謹慎ではありませんか?』すると、一休さんは、こともなげにこう言ったのです。『 なんだ、おまえはまだ鰻にとらわれておるのか?わしは、旨そうじゃという思いなど、うなぎ屋の前に置いてきたわ 』思いをその場その場に置いてくれば心は安らかでいられる。瞬間『嫌だ』と感じるのは自然なことですしそれはそれでいいことです。大切なのは、その思いをその場に置いてくることその場で断ち切ってしまうのです。思いを断ち切ったら、心が前向きになって前に進む事ができます。これは、すごく難しいですね。とは言いつつも、実践してますがwwそこそこ慣れると、多少心持いいです。自己視点と他者視点のバランスが悪いのと結構、人の思考に入り込むのが得意だったりするのでどうしても、自己視点が後回しになる傾向にあるので自己視点の比重を上げる事にしました。長年培ったくせは、やっぱりなかなか直すのが非常に難しくこれでもかこれでもかと繰り返す事でなんとか習得中何かを習得するにはしつこいほど続けると言うのは、本当に有効でいろんな事で、実際に経験として実感してます。語学でも、やはり、量ではなく、触れる回数が大事であることに気づき例えば、ニーハオなんて中国語も、習った訳でも、覚えようと思った訳でもないのに殆どの人が、こんにちはと知っています。なぜでしょう?これは、単純に触れる回数、聞く回数がとても多かったからいつのまにか記憶に残っていると言うのが私の持論です。では、その理論をどう活かせるか?と言う発想になります。それなら、難しい文章や単語でも、触れる回数が多ければ覚えちゃうんじゃないの?というのが導き出した答え私は、フランス語を始めるにあたり友人ができた。知り合いがフランスを勉強していた。と言うのがあります。【それが、きっかけであり、チャンスだと思っています】そして、効率よくフランス語を、どうやったら話せるようになるだろうか?考えました・・・・・・・初見の認識的には、フランス語は、なんか難しそう。たぶん聞き取れない。できない、わからない、ないないづくしwwどうせ最初は、みんなそんなもんwwそれでも、まぁボンジュールくらいは知ってるwwそこで、先ほどの触れる回数、聞く回数出来なくて当たり前と言う心のハードルを下げた状態でとにかく、聞いたことのない音を毎日聞き続ける。【これを言ったら、いろんな人から、それスピードラーニングだよね】と言われました。スピードラーニングって名前しか知らなかったwwスピードラーニングが、どういうものか調べてないので勉強方法わかってません。私の方法は、単純にCD付き参考書とNHKテレビ講座【参考書買ってません】私が、まず初めに実践しているのは、日本語にない、聞きなれない音を聞き取れるようにすること文章の意味とか、単語とかはどうでもいいし、覚えるのはあとでいいのでまず、今までもっていなかった音を耳に入れる。これを続けながら、参考書の本の勉強とテレビのフランス語講座を少しづつ進めていくとあら、不思議。何か聞き取れるようになってくる。一気に長い文章話されると、ちんぷんかんぷんでも、覚えた単語が出てくると嬉しい!!この嬉しいとか楽しいって感情が生まれるとチャンスそして、フランス語覚える優先順位はまず、単語より、文法やフレーズ難しく考えず、フランス語で聞いてみたい文法らしい事を覚える単語は、あとあとAu revoirne suis pasoui . Ca va bien , Et tu?vous allez bienvous vous apelle common ?salutなどちょっと使ってみたいなとか軽い気持ちが大事難しく考えたり、スペル気にすると、ぜんぜん頭に入らないwwちょっと間違ってても相手がわかってくれれば、とりあえずOKww修正はあと!!vous vous appelle common ?でしたまだまだすらすら出てきませんが、意外とわかるフレーズが多くなりました。これをひたすら、気分が乗らない時以外は続ける。そうすると、自然に頭の引き出しから出てきますよ実際、どこまで話せるようになるかは、継続実践中~脱線修正~損得勘定にこだわると心が窮屈になる損に思えようが、その仕事が自分にまわってきた『縁』なのです。禅では、その縁を何より大切にします。いただいた縁を活かしきる。おもしろいことが何一つない世の中だって、心のあり様ひとつでおもしろく生きていくことができる。つまらなくしているのも自分おもしろくするのも自分なんです。周囲にも楽しそうに仕事をしている人、おもしろそうに仕事をしている人がいるのではないでしょうか?それは、やっているのが楽しい仕事、面白い仕事だからではありません。その人が、精いっぱい力を尽くしているから、そう見えるのです。損得を超えたら、心は伸びやかに、しなやかになります。この損得勘定を無視するのが、結構行動するのに重要な基準になる事を実感しました。これをやったから、どうなるの?なんて考えていると何もできません。しかも、もし今うまくいっていないなら自分の判断基準に大きな誤りがあると言う事なので自分の頭で考えても正解のない抽選箱に手を突っ込んで、一生懸命あたりを探ってる状態になります。あたり、入ってないのにそこで、この損得勘定とか結果の予測を無視した行動が結構活きてくると思っています。それとつい先日、長年ずっと解決しなかった心のもやもやの答えを見つけたかもしれない!と言う感動がありましたのでここに書きます。【 孤独に対する不安 】【自分とは何か?自分らしさとは?】孤独に関しては、数年前に自分の中では、消化できて不安を感じる事がなくなったんですがつい先日、話をするのが好きな子で、よく話を聞いて、おこがましいですがちょっとアドバイスしたりしているのですがどうしても孤独とか寂しさの感情に襲われて不安になるのはどうしたらいいですか?と相談されました。そこで、根本的な発想の転換の話をしました。孤独と言うのが、降って湧いたように思っているみたいだけど実は、孤独は、生まれたときから死ぬまで最初からずっとそばにいるんだよ。ただ、生まれてから知らない事、新しい事、夢中になる事親、友達、恋人、ペットなどなど、そういった経験体験共有の時間がそれを忘れさせているだけだから、孤独を不安って感じるより、すっとあるものだと認識するところに発想を変えた方がいいよ。そして、それを解消するには、行動するしかない夢中になれる。没頭できる。何か見つけてとりあえずやってみるしかないよと話しました。選択が多ければ多いほど、孤独の土台の上に乗せるトッピングが多くなり、その時、その時の気分でやりたいことを選択できる方が楽ですよねww新しく慌てて増やすより好きだったものでも飽きる事もおおいしwwで、次の【自分とは、自分らしさとは】が長年のもやもやでした。これは、あるサイトに書いてあった事で本当になんか、あ~そう考えればいいのかと言うとてもありがたい内容でした。発想の転換が、結構得意な方だと思っていましたがまだまだでした。よく自分探しの旅に出るなんて聞いたりするけど結局、どれだけ探しても自分なんてものは、見つからないそうです。【 理由は、自分とは、周りの環境で作られるものだから 】親の前の自分、友人の前の自分、会社の自分多重人格だったりしますよね。それが普通。役割を演じると言うか、キャラと言うかだから自分は何なのかを考えすぎるとどうにもならなくなる。ぐるぐるしちゃう。解かる訳がないからただし、じゃぁ自分探しが無意味なのかと言うとそれも違っていて自分は、環境で作られると言う事は、より知らない事、やったことない事、新しい事を多く経験し、より多くの色々な考えの人と出会い新しい発見をする事が、自分の枠を広げ、成長となり自分の好きな事や、得意な事、向いている事を見つける事が出来るようになると言う事です。伝わってます?大丈夫かな?伝え方、へたっぴで、すみませんなので、簡単に言うと答えが出せなくなって落ち込んだ時にやりがちな閉じこもるのはダメで外に出て行動しろって事ですね。そして、自分の枠自体を広げておかないと本当に選びたいものを見ることなく選べないまま終わる可能性があるって事です。もったいない。そして、もう一つ面白い話題を見つけなので書いておきます。これも、相当大事ww【 フィルターバブル 】今、世界に起こっているフィルターバブル私も初めて聞いたのですが、インターネット、SNSなど情報発信して、個人が簡単につながることができるようになり、そこから同じ趣味、思想、宗教など自分に近い思考の人を簡単に探す事ができるようになり、つながる事もたやすくなりました。コミュニティや趣味サークル、団体など、始めた当初は、いろいろな考えの方などがいる事が多いですが時間とともに、自分とは思想の合わない人、考え方の違う人が離れていく、排除していくという流れが生まれ、偏った考えが集まるコミュニティーになる事が多いとの事です。多様な考えが受け入れられるようになった分、膨大な情報社会から自分用のフィルターを掛けて、自分にとって居心地のいい、同じ考えの人だけのコミュニティが生まれる。それが対立しなければいいですが、対立すると相手を否定する事しか選択がない。これが、今起こっている国民の分断だそうです。アメリカ、EU、政治的に国内で分断が進み、国民同士の対立が多くなっています。移民の場合もあると思いますがそれぞれの考えのコミュニティーが対立する。コミュニケーションではなく、ディベートになってしまっている事がより国民の対立を悪化させていると言っています。今の時代に必要なのは、ディベートじゃなくてコミュニケーションお互いの話をちゃんと遮らずに最後まで聞くと言う事だと思います。そして、相手のそのままを受け入れそこから、新しい基準を一緒に考えればいいのかなと思います。先日もツイッターで、堀江さんとビーガンの方のコメントを目にしましたが片方が、まさに主義主張の強要を強いているように感じました。個人の好みの自由選択をする堀江さんに対し、それはよくないと主義を押し付け、自分の正当化を必死に主張するビーガンの方の姿勢はまさにディベート。いい事をしていると言う事を他人に強要したら、その時点でそれは、相手の自由を阻害する身勝手さでしかないように思います。本当に、良い事をしていて、相手の人格を尊重しているのであれば相手のためにできる事は、選択肢を増やすために伝える事だけです。そこからどうするかは、相手のテリトリーそれを侵害するのは、私は、自分の思った通りの思想が通らないと気が済まないようなとってもわがままで身勝手な人なんです!と大声で叫んでいるように見えてしまいますよ。知らぬは、我のみ主張しつつも、話し合い、譲り合いができる寛容さを持ちたいものです。傷つきやすい人のための 図太くなれる禅思考【電子書籍】[ 枡野俊明 ]【中古】 傷つきやすい人のための図太くなれる禅思考 /枡野俊明(著者) 【中古】afb