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子育て終了した父親の独り言2013

吉田松陰の教育力


吉田松陰の教育力

五つのポイント

一、 松陰は、教育とは、人間として、現代人として目ざめる規約を塾生に提供することであり、自己教育を徹底的に進めうる気力と勇気、さらには、その方法と自信をあたえることであると考えていた。教育とは、徹頭徹尾、塾生一人一人が自分に対して課するものでなくてはならないとも考えていた。その根底には、人間はなにかのきっかけで目覚め、十二分に自己教育をやっていくなら、だれでもすばらしい人間になりうる、という信仰に似た確信があった。

二、 塾生の学問への志、そして学問を通してつかんだ見解を実践していこうとする勇気と気力を強め、深めることに、松陰は教育の主眼をおいた。ただ意見を吐くだけで、少しもそれを実行しようとせず、身の危険を感じると平気でその意見すらも変える学者を、松陰は軽蔑し、憎悪した。みずからの思想に責任を持ち、それを実践していく人間になることを求める松陰の教育は、おのずと厳しいものになる。

三、 人間には、それぞれ、特色があり、その特色を伸ばしていけば、だれでも、容易にその能力をすぐれたものにできるということを松陰は知っていた。長所と向き合うとき、人は、その短所と取り組むときと違って、自信と希望が持てるものだということを、彼は知り抜いていた。だから、彼は塾生一人一人の長所を見抜き、それを伸ばしていくことで、その短所を覆っていったのである。今日の教育のように、あれもしてはいけない、これもしてはいけないという禁止教育ではなく、積極的に行動させる教育であった。塾生が生き生きしてくるのは当然である。

四、 塾生をつきはなし、ときには死地に追いやるという、最も苛酷な状況に放りこんだのが松陰の教育であった。脱藩という、君主と親を捨てるということを、彼は全塾生に求めた。忠孝を最も重しと見た封建時代にあって、またその批判を決して許さなかった当事にあって、彼は、それを一度自分でつきはなして考えてみることを求めたのである。

五、 松陰は塾生たちの前に、死んでみせた。自らの教育の完成のために、結実のために、時代の課題に最も鋭く対決することによって死んでいくのである。みずからの死という実物教育によって、塾生の心にいかに生くべきかということを叩き込んだ。塾生がつかみとってくれるように念じながら、松陰は死んでいったというほうが正確である。それこそ、彼は、教育とは自己教育以外にないと思っていたから、そう考えるしかなかった。まさに、生死をかけた教育、壮烈な教育としかいいようがないものである。だからこそ、塾生一人一人の中に、自己変革を起こし、ほとんど不可能に見えた幕府権力をも倒す原動力となった人々を育成したのである。




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