Never, never, never give up!
昨日の日記で、柔道の野村選手のことを書いた。なぜそんなに柔道のことに詳しいのかという質問をいただいたが、私は柔道経験者である。有段者である。独身時代まではたま~にOBとして、差し入れなぞをしつつ、中学生相手に稽古をつけにいっていた。段々稽古をつけているのか、つけられているのかわからなくなったころから足が遠のいたのであるが。そこにはN君という子がいた。その子の父親が私の高校の体育教師だったのでよく覚えている。体が大きく、小さいころからの経験者だったのでなかなか強かった。風貌もお父さん譲りで中学生のくせに迫力があった。ゆえに皆は彼に期待し、全国大会で入賞させたいと考えていた。私もきっとこの子ならいけるだろうと考えていた。N君には2つ下の弟がいた。これがまたお兄ちゃんとは大違いで、体が小さく、お父さんのあの迫力あるオーラが一つもない。きっとお母さん似なのだろうと私は思っていた。稽古をしていると、すばしっこく、それなりには強くなりそうだが、お兄ちゃんと比べると…正直そんな感じであった。私は適当にひょいと足をかけて倒したり、体落としで投げたりしていた。お父さんが有名人?だったので、いつも「N先生の息子かぁ…でも体小さいし、お兄ちゃんと比べると…」みたいに言われていた。今考えると残酷な話のような気もする。私の周りでは、といっても時折訪れ、ちょっと話を聞く程度だったが、彼は有名なお父さんと、強いお兄ちゃんと比較され、イマイチのようにいつも言われていた。ちょっと可哀想だったので、組み手を外した離れ際に「頑張りや」と声をかけた。弟くんは「はい」と小さな声で言った。勘の良い方ならお分かりかもしれないが、この弟くんが若き日の「野村忠宏」選手である。なんと私は野村選手に稽古をつけた人間である。…空しい自慢はやめておこう。彼が自分が「天才」だと自覚したのはいつだったのだろうか。高校生のときだろうか、それとも大学生のときだろうか、それとも動きの鈍い、体のなまったOBに、おせっかいに「頑張りや」と言われた日にはすでに自覚をしていたのだろうか。少なくとも本人が「俺には才能ないわ」と思ってしまったら、あの才能は開花しなかったであろう。あきらめないということはとても大切なことである。才能がないのにいつまでもしがみついている人間もたくさんいるし、才能があるのに諦めてしまう人間もたくさんいるだろう。どちらの数が多いのだろうか。それでも私たちが最初に教えるべきことは「あきらめるな」ということなのだろう。「あきらめない」精神を身につけた後、「あきらめなければならないこと」もあることを教えなければならないのは辛いことだが、その反対はなりたたないだろう。だからいつか「あきらめなければならないこと」と出会うことを承知で、Never, never, never give up の精神をたたき込む。それはある一面、残酷なことだ、私たちはそれを子どもに教えなければならない。こんなことに無自覚で、脳天気に「あきらめないことは大切なんだよ」と言っている教育者には腹が立つ。