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カテゴリ:歴史に学ぶ脳力開発
■『History Nokai』/Kindle配信 https://x.gd/tURh5
7月中に新しい本(Kindle出版)を出そうという目標が少し遅れて、3日の夜に電子本出版ができました。今回は電子本のみで、ペーパーバック版を出すか出さないかは未定です。 長岡まつりの大花火大会も2日3日と無事に終わりました。初日は東京行き最終新幹線に乗れない乗客が100人以上いたとか、急遽駅前の施設を開放したとか。 さて前回は第51代平城天皇を取り上げましたが、「平城上皇の変」を生み出してしまった一方の主役に触れないわけにはいかないでしょう。 藤原薬子、桓武天皇の即位初期の政治を支え長岡京遷都の中心人物だった、藤原種継の娘として生まれますが生年は不肖です。 兄の藤原仲成が天平宝字8(764)年生まれと伝わりますので、それより数年年下だと推定されます。中納言藤原縄主に嫁いでいます。 3男2女の母になり、幼少の長女が桓武天皇の皇太子安殿親王(後の平城天皇)の東宮妃となります。付き添った薬子はやがて親王の寵愛を受けることに。 激怒したのが桓武天皇、薬子を東宮から追放してしまいます。しかし延暦25(806)年桓武が崩御、践祚した平城天皇はすぐに薬子を呼び戻しました。 この時夫の縄主は官位を上げられますが大宰帥として追いやられてしまいます、 薬子への寵愛と並行して、兄の仲成も出世を重ね公卿に列して参議になります。しかし陰険で専横が激しく周囲から憎まれたそうです。 しかし天皇は健康上を理由として、薬子らの猛反対にかかわらず譲位します、大同4(809)年のことでした。ところが健康は回復します。 かえって後継の嵯峨天皇が病気がちになり、平城京と平安京が二朝並立のような形になります。上皇側の勢力が強くなれば、当然天皇側も反発します。 嵯峨天皇は先手を打って態勢を整えます。ついに上皇は平城還都を宣言しますが、朝廷側は仲成をとらえて処刑し、平城京に軍を送りました。 上皇も反撃を試みますが多勢に無勢、京を脱出したところで捕らえられて薬子は毒を仰いで自殺、上皇は戻されます。 ![]() 全ては薬子から始まったというのが定説であり、「薬子の変」とも呼ばれていましたが、薬子にそれほどの権威権限はなかったでしょう。 あくまで上皇の我が儘から出た反乱とみる方が妥当でしょう。才子薬子は、その才を上皇に捧げて殉じたと見ます。 むしろ全ての罪を自ら被ることで上皇への愛を貫いたとも言えるでしょう。薬子が「悪女」に仕立てられたことで、上皇はその後平穏に生を全うされました。 敢えて言えば「才子その才に溺れた」というところかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2026/08/05 07:12:29 AM
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