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2004/10/12
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カテゴリ:陰陽師大好き♪

陰陽道二大宗家の安倍家と賀茂家。
時代が進むにつれ、安倍家が天文博士を、賀茂家が暦博士を世襲してきました。
そして、安倍家は土御門(つちみかど)家へと名前を替え、賀茂家も勘解由小路(かげゆこうじ)家に名前を替えました。

この辺りまでは、ご存知の方も多いとおもいます。
土御門家は、今も福井県名田庄村に陰陽道家(天社土御門神道本庁)として存続していることも。

でも、どうして福井にあるのか、勘解由小路家はその後どうなったのか。
この辺の事は良くしらなかったのですよ。私も。
それが、この前買った、「スサノオ 第1号」に書いてました。

安倍家は十四世紀後半に名前を「土御門」に替えて、賀茂家は十五世紀に「勘解由小路」に替えたそうです。
しかし、勘解由小路家は養子が養父を殺害するという事件が起こり、その後、後継者が絶えてしまったんですね。
そこで安倍家から賀茂家に養子に行き、結局、土御門家が賀茂家が掌握していた「暦道」も手中に収める事になったようです。

そして土御門家は全国に十数万石の家禄を持ち(中流の大名クラスだそうです)、戦国の戦災から逃れる為に京都から所領であった福井県名田庄村に移り住んだそうです。(土御門有宣(ありのぶ))
三代に渡って福井にいましたが、久脩(ひさのぶ)の代に再び京都に帰って来ました。(名田庄村に三代のお墓があります)
その頃は豊臣秀吉の時代。
久脩は秀吉の継養子の秀次のコンサルタントの仕事をしたらしい。
時の関白ですから、これで土御門家も安泰と確信していたでしょうね。
しかし、みなさんも良くご存知のように、秀吉の実子の秀頼の誕生により、その地位も危うくなりました。
なんと、秀次は土御門久脩に秀頼を呪殺するように依頼したという事です。
それが秀吉に露見し、秀次は切腹、土御門久脩は兵庫の篠山に追放。所領地も没収。
秀吉はどうやら、陰陽師の類が好きじゃなかったみたいです。
京都や奈良にいる民間陰陽師達を、尾張などの地方に追いやってるんですねぇ。

でも、徳川家康の時代になるとまた復活!
秀吉に追放された久脩は、家康に呼び戻されたそうです。
家康は幕府を陰陽道で守って欲しかったみたいですね。
これで、土御門家も建て直されて、陰陽道界を支配するようになったって事でした。

秀吉に追放されるなんて、陰陽師なのに先の事が読めなかったのか? なーんて本には書いてあった。
確かにねぇ。自分の未来もわからないんじゃ、陰陽師とは言えないかも。
でも、実際、そんなものだったんだろうな。
やっぱ、晴明サマは実在してるけど、伝説の人なんだ。

そして、明治になって陰陽道制度は廃止されました。
「迷信」この一言で片付けられてしまった。。。

陰陽道、陰陽師。この言葉は使われなくなったけど、その内容は私達の日常に溶け込んでいますよね。
今日は「大安吉日」なんて良い日を選ぶのも、大暑や大寒。土用なんて暦関係も陰陽道の流れ。
占いもそうですね。年末に新聞屋さんから貰う高島易の九星占い。
みなさんも見てますか? 私は「一白水星」。よく当たるのよね。

今流行りの風水。これは陰陽道を地理学に当てはめたもの。
風水説っていうのは、名山や霊山には山頂に龍神が住んでいて、ふもとに向かって「龍脈」がある。
龍脈が平野部にかかる所に「龍穴」または「虎穴」と呼ばれる縁起の良い場所があって、そこを中心に家やお墓を建てると家は栄えて子孫繁栄に繋がるというもの。

安倍晴明様や賀茂保憲様が生業としていた陰陽道は今でも私達の生活に溶け込んでいます。
そう考えると不思議よね。すぐそこに晴明様がいるような感じです。






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最終更新日  2004/10/12 11:01:54 PM
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