2008/05/09(金)20:38
原作 『わが魂は輝く水なり -源平北越流誌-』
親落せば子も落し、兄落とせば弟も落し… 平家物語巻七 倶利伽羅落より
今、東京のシアターコクーンで上演されている「わが魂は輝く水なり」の舞台。
主演は野村萬斎さん。そして、歌舞伎界のサラブレッド、尾上菊之助さん。
演出は蜷川幸雄さん。
舞台のあらすじです↓
時は源平合戦の時代、平維盛と木曽義仲軍が激突した倶利伽羅合戦の直後。
六十歳の斎藤実盛はかつて、義仲の命を助け、ひそかに木曽山中の中原一族に預けたが、
今は敵味方となって戦っている。
斎藤実盛の息子五郎は幼い頃から義仲や巴御前と親しんできたため、敵対する平家の一門であるにも
かかわらず、八年前に義仲軍に身を投じた。
しかし、不慮の死を遂げ、今は亡霊となって父・実盛につきまとっている。
実盛も倶利伽羅合戦に傷ついたが生き残り、故郷である越前の南井の里、藤原権頭の屋敷に帰って来た。
そこに居合わせた五郎の弟・六郎は父の傷ついた姿に義仲軍の強さを見、木曽義仲の元へ走った。
しかし六郎が見た義仲軍の実体は、あまりにも無残で狂気に満ちていた。
42歳の萬斎さんが60歳の老け役に挑戦しています。
実年齢ではわずか11歳しか違わないのに、亡霊役の菊之助さんと親子関係だという。
あいにく、東京まで遠征は出来ないので、この舞台を生で見ることは出来ません。
そこで、せめて原作を読んでみたい!と、思って図書館で借りて参りました。
「文章にすれば、たったこれだけの量なの?」
それが第一印象だった。すぐ読めてしまいました。
実際の舞台は2時間半を超えているといいます。
文章の「行間」の部分がきっと、多いんでしょうね。
それが、役者の見せ所でもあるのかな。
そして、終わり方が。。あるようで、ない。
「これで、終わり?」
思わず次のページをめくって、続きを探してしまった。。
存外に難しいお話でした。解釈がね。
とても、考えさせられるというか、哲学的な色があるというか。
誰に視点、基点を置くかによって、解釈がいくようにも取れると思いましたねぇ。
登場人物、全員が「狂気走ってる」と私は思った。
萬斎さん演じる実盛にしても、まともじゃない。
何ゆえ、そこまで「老い」を隠す? 「死」を求めているの?
「老いを隠して、死を求める」
この解釈は矛盾しているわねぇ。
というか、実盛である事を捨て、真の自分として闘いに身を投じたかったのか。
(巴が実盛を殺さぬように命じていたから、敵の目を欺く為に若作りをしたのだけど)
う~ん。頭で思ってることが文章にならん。ダメだこりゃ( ̄□ ̄;)
興味深い実盛の言葉。
「父と子は親子であると同時に、もっとにがい関係でもある。男と男。人間と人間・・・」
「苦い」とは書かないで、「にがい」とひらがなで書いてある。
ただ「苦い」のではなく、いろんな意味の「にがさ」がそこには含まれているんでしょう。
実盛は我が子の若さを嫉妬し、敵対心を持っていた。
萬斎さんにしても、菊之助さんにしても、実生活と相重なる部分も多少あるんだろうな。
特に萬斎さんは、人間国宝を父に持つ息子であり、我が子に芸を仕込む父親でもあるのだから。
「わが魂は輝く水なり」
この美しいタイトルに隠された意味は?
皆が皆、それぞれに自分の信念を貫いて、突っ走っていた。
例えそれが他人にとって狂気であったとしても、根底には澄み切った綺麗な水がこんこんと
湧いて輝いていた。
そんな感じなのかな。
言葉ひとつをどんな風な言い回しで表現しているのか。
舞台に吹く風が、優しいのか激しいのか。
それを、言葉と体で観客に伝える。
やはり、この目で見て、聴いて、感じたい。な。。