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テーマ:妊婦さん集まれ~!!(4772)
カテゴリ:4度目の妊娠→切迫早産
突然のご報告ですが、3月17日17時37分、小さな小さな506gの
女の子を出産いたしました。 3月15日、前日に義母への妊娠報告も終わり、子宮頸管が短い と病院で言われていたので、近所の大学病院に電話して、 転院できないかなどを調べていました。 昼過ぎにカレーを作りましたが、ゴマ夫が夜勤で16時に出勤してからは 腰が痛くてリビングで寝ていました。 18時、お腹がゴロゴロするので久々の便意がきてくれたのかと トイレできばっていると、後ろからではなく前から何か出てくるような 感じが…、出血し、膣に違和感を感じました。 昨年、お空に返したあの子を分娩した時の感覚がよみがえりました。 救急車でかかりつけの病院へ…。 ストレッチャーで運ばれている時、まさか、これがお産のための外出 になるとは思いませんでした。 病院に到着し診察を受け、 医師は「子宮口が開きかけている。分娩がはじまるかもしれない。」 予想もしなかった深刻な事実をつげました。 そして、 「この週数、妊娠22週の赤ちゃんは500gは出産できても生存率が かなり低い、また500gの胎児の出産を受け入れてくれる病院が 見つからないかもしれない。その場合は、ここで処置することになる。」 と続けました。 ゴマ夫もいなくて、ただ、ただ恐ろしい時間でした。 間もなく受け入れ先が見つかり、救急車で移動。 搬送中、ゴマ夫の会社に必死に連絡をとりました。 ゴマ夫が電話にでたとき、「出産することになった。」 それだけ言うのが精一杯でした。 NICUの設備が整った病院に到着し、ストレッチャーで 集中治療室へ運ばれると、医師らしき人から自己紹介をされ、 右や左、足元から採血や血圧、超音波をとられたり、 そこはテレビで目にしたことがある母子救急医療の現場でした。 「ゴマあざらしさん。状況は厳しいです。」医師は優しく現実を告げます。 「赤ちゃんは元気です。でも産まれると生存率はゼロに近い。」 間もなくゴマ夫が到着し、詳しい説明を受けました。 ウテメリンでお腹の張りを抑え、1日でもお産を引き伸ばすことに…。 15日は、集中治療室で夜を過ごしました。 16日、ウテメリンの影響で脈が速く体はしんどかったのですが、もしかしたら このまま予定日までもつんじゃないかって楽観的になれました。 けれど、主治医の顔は深刻です。 17日明け方、陣痛らしき痛みが定期的に襲ってきました。 そして、最悪の事態、赤ちゃんは逆子になっていることが判明。 ウテメリンの投与量を最大にあげてもお腹の張りはおさまらず、 昼過ぎ分娩室に移動。ゴマ夫も立ち会ってくれました。 破水するといけないので、いきんまず、息をはいて痛みをにがすように 言われました。赤ちゃんが羊水のなかで泳いでいる画像を見ながら、 痛みに耐えました。 17時過ぎ、私の体力は限界でした。息をはくのも辛く、数回は息がはけなく なることもありました。そして、破水!! その瞬間、医師がたくさんやって来て、小児科の医師も呼び出されていました。 「次に陣痛がきたら思いっきりいきむように!」 私は、初めて力いっぱいいきみました。 そして、私達は小さな小さな506gの女の子を授かりました。 22週6日、まだまだ外で生活できるほど成長していないにもかかわらず、 微かに産声をあげ、皆を驚かせました。 私もゴマ夫も涙がでました。 この子が生存するのはゼロに近い可能性らしいです。 今は、NICUで頑張っています。 あまりにも激動の出来事でまだ頭の中が整理できていません。 でも、私はお母さんになったんです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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