女だもの(●^з^●)ゴマあざらしの奮闘記
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ゴマあざらし
不妊治療をはじめて、初期流産、19Wでの後期流産、早産による新生児死、前期破水による人工死産……7度目の妊娠でやっと我が子を抱くことができました。ただいま、初めての育児に奮闘中です!!
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あの早産の1件を思い出すと、はしばしに義母の発言や行動を 中心に記憶に残っていることに気づきます。 妊娠22週、自宅で赤ちゃんの袋が出てしまい、ゴマ夫は夜勤のため不在、 実家は隣県で、近所の義母に知らせました。 病院では赤ちゃんの生存率はほとんどないと告げられ、 気が動転していた時、義母に電話をしその旨を伝えようと、 「ダメみたいなんです。」って涙をこらえて言うと、それにはふれず 「病院どこやねん?」と… (病院名などは伝えてました) 「看護婦おるやろ?看護婦に行き方説明してもらってくれ!」 と怒鳴られ、処置をしてくれてる看護婦さんを止め姑に説明しました。 病院では、私の両親がかけつけたせいか、近所のおっちゃんが 集中治療室へ入れないせいか、私と面会せずに帰宅。 帰宅後、ゴマ夫に私の両親がわざわざタクシー使って来てる 義母に挨拶がなかったとか愚痴を言っていたそうです また、赤ちゃんが危篤状態の際… 朝6時頃にそれぞれの実家に電話。実父はすぐに病院へ来てくれました。 義母は、(今回は近所のおじさんのタクシーを使えないので) 「地下鉄の乗り方が分からない。」と…。 私は義母から方向音痴だと馬鹿にされた事が多々あるので、 まさか、義母が地下鉄に乗れない人だとは思いませんでした また、通夜には、特にお手伝いはする気もなかったようで、 時間調度にやって来て… 「体外受精はもうやめてくれ。次は子宮をしばってくれよ~」と一言。 通夜後の食事の席では、 「小姑ちゃんは、犬の世話と(太っているので)服が入るのなくて これへんかたんや~、赤ちゃん見たがってたんやけどな~」 「骨は、家おいてたら成仏できへんで」 何処にも私を気遣ってくれる気配がなく、長男の嫁として頑張っていこう っていう気持ちがなくなってしまいました。 義母は、離婚後、10歳以上年下の義父とは事実婚で、 頑張って子供3人を育ててきたそうです。。。。 子供たちはそれほど義母を労わっているようには見えませんが、 義母みたいな人を“肝っ玉母ちゃん”というのかなと思っていました。 だから、方向音痴だと馬鹿にされても…、 結婚の挨拶をした時に「結婚式あげるのは親の見栄」と言われても、 妊娠中「この嫁はん、お産の痛さは耐えれんやろ!切腹(=帝王切開) してもらい~」と言われても、いざとなったらいざという時は 親身になってくれるとばかり思っていました その“いざ”が起こってしまって、そんなことがなければ気づかなかった かもしれないのに…。見たくないものを見てしまって、頭から 義母という人間が離れなくなってしまいました。 お葬式後、義母から2回電話がありました。 一度目は「小姑ちゃんが線香だけでもあげたいってるから、 (ゴマ夫と仲悪いので)ゴマ夫がいない時間を連絡してきて!」と…。 私は、もう本当に嫌になって連絡してません。 たぶん怒ってると思うのですが、もう嫌われてもいいと思ってます。 嫁ってなんなんだろうなってすごい虚しいです。 お通夜の前日、ゴマ夫が実家と話す携帯から 義姉らしき声で、直接ゴマ夫にではなく義母に言ってるみたい でしたが、「(お通夜に)行きたいけど、ゴマあざらしちゃんに気を使うから」 と聞こえてきて、ムカッとしました。 お葬式やお通夜は見なくていい人の本音が見えてしまいます。 友人やブログでのコメント、いろんな人に励まして貰いましたが、 姑、小姑には失望させられました。 旦那に内緒で義母に貸している3万円だけ返してくれたら、あとは もういいやって思います ※長文の愚痴なのに、最後まで読んでくださった方ありがとうございます。
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