カテゴリ:週報から
先週の講壇から
教会を考える その1 澤 浩士
「キリストのからだとしての教会」 (エペソ書1章22~23節)
客観的に見て、私たちの教会は建物としても集まりとしても決して誇れるものではない。 しかしこれで良い・・・・・言い換えるならこれが「キリストの教会」なのである・・・・ ということの確認と、同時にこれからどうあるべきなのかということについて シリーズで学びたい。
教会が誕生した頃はもちろん、戦後の日本や私たちが教会に行くようになった 何十年か前と比べても、現代日本における教会を取り巻く環境は大きく異なっている。 社会は平和、死は身近なものではなくなる一方、経済は繁栄し物があふれ、 人々は多忙となり、魂の飢え渇きをあまり感じなくなった。 一方で人権意識や自由主義などが社会に浸透し、 キリスト教文化を発信する存在意識も乏しくなっている。 教会がかつてのようにいかなくて当然である。
とは言うものの、人々がみな満足して生きているわけではない。 たとえかつてのようにたくさんの人が集まらなくても、 キリストの救いを必要としていることに変わりはない。 パウロは「教会はキリストのからだである。」と語る。 一人ひとりの存在、お互いのつながり、そして集まり・・・・・それらはすべてキリストである、 そこにキリストがおられるという・・・・実におそれ多いことである。 私たちはそのことの上に立って、この時代にふさわしい、しかし変わることのない教会のあり方 について考えていきたい。
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最終更新日
2009年04月05日 09時00分09秒
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