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pastorsroom 東広島市


私は、東広島市にあるキリスト教会の牧師です。
よかったら教会のホームページもごらんください。
また、ユースセルのプログもごらんください。


また、たいへん申し訳ないのですが、
コメントにお答えできないことも多々あると思います。
どうぞお許し下さい。


2017.06.23
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midorino makiba baptist church

 「愛と正義の行い~エルサレム献金」    2コリント8:1-15 

おはようございます。
私たちは、昨日、祈りと思いをあわせて「まきばのカフェ&ミニバザー」をいたしました。
そしてその収益は、海外の貧しい人たちに送られることになっています。

今日の箇所はバイブル・ペンテコステで少し前に読んだところです。
そして、私たちが昨日行なった「まきばのカフェ&ミニバザー」と今日読んだ箇所はとても似ていると思いました。
今日の個所の状況について少し説明をさせていただきたいと思います。
エルサレム教会は、世界で最初の教会です。
イエスさまはエルサレムで十字架につけられたのでした。
そして復活し、昇天され、50日後に聖霊が来てエルサレム教会が誕生しました。
エルサレム教会は迫害の中にあった教会です。そして貧しい人たちの教会でした。
支援を必要とする教会でした。
エルサレム教会の人たちの多くは旧約聖書の教えを大切にし、律法を守ることに強い関心を持っていた信徒たちでした。
ですからパウロが伝えたような、律法ではなく信仰によってのみ神様と和解できるということには反対する人たちであったと思います。

他方、今日の個所には、「マケドニヤにある教会」という言葉が出てきていましたね。
マケドニヤ地方にはピリピ教会、テサロニケ教会、ベレア教会など、外国人教会がありました。
どの教会もローマの影響下にあったので、迫害され、貧しさの中にありました。
でも、その貧しい教会が、エルサレム教会が経済的支援を必要としていることを知って、自発的に献金を始めたのです。
コリント教会もその活動をした教会の一つでした。

私たちは今回、「第三回まきばのカフェ&ミニバザー」をいたしました。
三つの目的がありました。
・教会に集う方たちが主にある交わりをさらに深めること。
・私たちの教会が地域の方々の居場所になる。そのために地域の方々からいろいろな思いを聞きたい。
・収益を海外の貧しい人たちにお送りし、その貧しい方々のことを思い、共に生きてゆきたい。
この三つです。
「主にある交わり」ということ。「貧しさを分かち合う」ということ、これは公平とか正義ということだと思います。それを「愛を具体的に行なう」ということ。その点で、当時の教会の様子と今回のカフェとは似ているように思います。

■二つのことを考えましょう
さて、今日は、そのようなことを思いながら献金についてごいっしょに二つのことを考えてみたいと思います。
献金には、信仰が現されます、そして愛と正義が表されます。
一つ目は、献金とは何か?
二つ目は、献金の結果、生まれるものは何か?
その二つのことをご一緒に考えながら神様を礼拝したいと願っています。

■1)献金とは何か?…キリストの恵みを受けて、それに応答する信仰の行い。
献金とは何でしょうか?
それはもちろん、強制されるものでも、会費でもありません。
では何なのか?
8節9節でこのように言われています。
「こうは言っても、私は命令するのではありません。ただ、他の人々の熱心さ(マケドニヤ地区の教会の活動のこと)をもって、あなたがた自身の愛の真実を確かめたいのです。
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました」とあります。
これは、ピリピ書2:4節以下に書かれているキリストの降臨のことを指しています。
こう書かれています。
「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」
キリストは神としての地位を捨てて、人となられ、私たちの所に来てくださいました。
神様が、貧しくなられたのです。
それによって私たちは豊かになりました。
その豊かさとは、神さまの愛に入れられたこと、教会の交わりに入れられたことです。
わたしたちは神様を知ることができました。新しい家族を得ました。永遠の命と居場所を見出したのです。
罪の呪いから解放され、キリストと共に生きるようになりました。こんなすばらしい富はありません。

その神の愛を無償で受けた私たちが、その応答として喜びから献金するのです。
神様からの愛と恵みがあり、私たちの応答があります。
今日の個所で、1節、4節、6節、7節で、献金のことを恵みと表現されています。
神様が命がけで愛してくださったので、私たちも自分を献げ、その印として献金するのです。
それは献身の印でした。
5節に、「そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。」と書かれています。
神様に献げられたもの。それ以外の何物でもない。
だから、プライドの高いエルサレム教会も、ただ神様からの助けとして、その献金を受け取る事ができたのだと思います。

■2)献金の結果、生まれるものは何か?
それでは二つ目。献金の結果、生まれるものは何か、についてごいっしょに考えたいと思います。
まず献金は交わりを生み出しました。
4節にこう書かれています。「聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたい」
献金によって交わりが生まれるのです。
それはどのような交わりなのでしょうか?
いっしょにゲームをして交わりが楽しいとか、いっしょに旅をして楽しいとか、いうような交わりではありません。
それは主にある交わりです。
つまり、主イエス様の愛を受けた者として、他の人と共に生きる、他の人のために生きる、という交わりです。
先々週、コリント教会の中にグノーシスという思想を持った人たちが入り込んできて、教会がダメージを受けたということについてもごいっしょに考えました。
グノーシスは霊を強調して、地上における具体的な生き方については深く考えてはいませんでした。
でも信仰は非常に具体的なことであり、献金も具体的なことです。
それは富を持つ者が貧しい教会を支援したということではありませんでした。
むしろ、貧しいマケドニヤ地方の教会が、貧しいエルサレム教会を支援するために献金したのでした。
私たちと同じ連合にある道後教会が、かつて古い扇風機から出火して、会堂全体が燃えてしまったことがありました。
すぐに全国の教会から支援金が集まり、建て直してなお残金がありました。
でも支援金を送ってこられた教会の中には、自らが会堂を持っていない教会がたくさんあったと聞いています。
14節には、「今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。」と書かれています。
これは、愛と平等と正義を言っています。
愛は具体的な行いとなり、それは平等を産みます。
私たちは、「神様は平等な方である。けれどもこの世は不平等だ」と言ったりします。
でも、神様は、私たちが神さまのご愛に応えて、神様と共に平等と正義を生み出すことを願っておられます。
献金は、平等と正義を生み出す神様が与えてくださった一つの手段です。

また献金は、喜びも生み出します。
2節に、「(マケドニヤ地方の教会は)苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富(エルサレム教会への献金)となったのです。」と書かれています。
マケドニヤにある教会は、極度の貧しさと迫害という試練の中にありました。
でも喜びは献金という形となって、エルサレム教会を助けました。
信仰と愛と正義は、喜びに変わるのです。
それは目に見えないけど、尊い力なのです。

■まきばのカフェ&ミニバザー
私たちの思いを込めた第三回まきばのカフェ&ミニバザーが終わりました。
イエスキリストの愛を受けた私たちの応答。主にある愛の交わり。具体的な貧しい人たちに送る献金。喜び、になったことを感謝したいと思います。
お祈りをいたします。






  "Deeds of love and justice- offering for the Jerusalem Church"   
2 Corinthians 8:1-15
Good morning
We prayed with unified hearts and held the “Makiba no Café & Mini Bazaar.”
We give the proceeds from the bazaar to overseas poor.
The text we are reading today is one that we read two weeks before from the Bible Pentecost.
And I think that today’s text is similar to the one used for the Makiba no Café & Mini bazaar that we held yesterday.
I would like explain about the situation that is written about in today’s text.
The Jerusalem Church was the first church in the world.
Jesus was crucified in Jerusalem.
He arose and ascended into Heaven. The Holy Spirit came 50 days after His death. It was then that the Jerusalem Church was born.
The Jerusalem Church facing persecution during the time of our text. And it was a church of poor people.
Jerusalem Church needed financial help.
Most of the members of the Jerusalem Church valued the Old Testament and had a strong interest in following the laws.
And there were some who opposed Paul’s teaching that one could be saved only by faith and not by the laws.
On the other hand, we read the words “Churches in Macedonia” in today’s text.
There were Churches in the province of Macedonia. They were the Philippi Church, the Thessalonian Church, the Berea Church, and other Churches. Their members were Gentiles to the Jews.
The Churches were persecuted and were in poverty because they were under the Roman Empire.
But the poor Churches noticed that the Jerusalem Church needed financial support and started to give voluntarily.
The Corinthian Church was one of the Churches that did such activities.

We did "the third Makiba no Café & Mini-Bazaar" yesterday.
There were three purposes.
・The people who gather in this Church can have better fellowship.

・Our church becomes the place to be for local people. We want to accept their voices.
・We send the proceeds to the poor oversea and think about them.
These are the three points.
Fellowship in the Lord. Sharing the poverty with each other…this means fairness or justice. Performing acts of love.
I think the state of the Churches these days resembles our Café & Mini Bazaar.

■ Let's think about two things.
Now, I would like us to think about two things about your offering.
Your faith is expressed in your offering. Also, your love and justice are expressed in it.
The first point is, “What is your offering?”
The second point is, “What will your offering produce?”
Let’s worship God together as we think about these two points.

■1) What is your offering? An act of your faith responding to God’s mercy.
What is your offering?
Of course, it is neither forced nor a fee.
Then what is it?
It says in II Corinthians 8:8-9,
"I am not laying down any rules. But by showing how eager others are to help, I am trying to find out how real your own love is. You know the grace of our Lord Jesus Christ; rich as he was, he made himself poor for your sake, in order to make you rich by means of his poverty.”
It said, “Rich as He was, He made Himself poor for your sake.”
Phillip 2:4ff also shows the same things.
It says,
 “Christ Jesus, being in the form of God, did not consider it robbery to be equal with God, but made Himself of no reputation, taking the form of a bondservant, and coming in the likeness of men. And being found in appearance as a man, He humbled Himself and became obedient to the point of death, even the death of the cross.”
Christ abandoned His position as God, came down to this earth, and became a man.

God became poor.
You became rich through His poverty.
The richness is that you entered into God’s love and into the fellowship of the Church.
We know God. We got a new family. We found eternal life and a place to stay.
We were freed from the spell of sin, and we are living with Christ.
There is no richness like this.
We who received God’s love for free should give an offering with joy in response to this.
There is God’s love and blessings, and there is our reply.

Our offering is expressed as grace in II Corinthians 8:1,4,6, and 7.
Because God loved you that He gave His life for you, you should give yourself and your material things.
It is a seal of devotion.
It is written in II Corinthians 8: 5, “They first gave themselves to the Lord, and then to us by the will of God.”
Their offering was an offering to God, nothing else.
Therefore I think even the Jerusalem church, in spite of their pride, was able to humbly receive this offering.

■ 2) What will your offering produce?
Now, let us think about the second point. What will your offering produce?
First the offering produced fellowship.
It is written in II Corinthians 8:4, “They were freely willing, imploring us with much urgency that we would receive the gift and the fellowship of the ministering to the saints.”
The offering produced fellowship.
What kind of fellowship was that?
It was not a fellowship of fun and games, or one where you go on a trip with your friends.
It was a fellowship in the Lord.
In other words it is a fellowship where one has accepted the love of Jesus, and live with each other and for each other.

On the Sunday before last, we thought that maybe those who were gnostics and come into the church and hurt the fellowship of the Corinthian Church.
They emphasized spirituality, but they did not think about a concrete way of life in the world.
But faith and offering are very concrete.
It was not that the rich supported the poor Church.
Rather the poor Churches in Macedonia district supported the poor Jerusalem Church.

There was an accident at the Dogo Church that was in the same association as we.
A fire broke out in an electric fan in the auditorium and it burnt the whole building.
Money for support was gathered immediately from the other churches throughout Japan, and it was rebuilt, and there was still the money left over.
I heard that there were many Churches that didn’t an auditorium that sent money.
II Corinthians 8:14 says, “but by an equality, that now at this time your abundance may supply their lack, that their abundance also may supply your lack-that there may be equality.”
The action was one of love, equality, and justice.
Love is going to produce concrete action, and it is going to produce justice.
We may say, “God is an equal God, but this world is unequal.”
However God hopes that we will bring equality and justice with God, in response to His love.
An offering is one means that God gave us to produce equality and justice.

In addition, offerings produce joy.
It is written in II Corinthians 8:2, “that in a great trial of affliction the abundance of their joy and their deep poverty abounded in the riches of their liberality.”
The Churches in the Macedonia were in extreme poverty and suffered persecution.
But their joy was expressed in their offering that helped Jerusalem Church.
Faith and love and justice turn into joy.
It is invisible but a holy power.

■ Makiba no café & Mini-Bazaar
The third Makiba no Café & Mini-Bazaar is over.

We thank God for all of it. It was our response to the love of Jesus Christ. It was a fellowship of love in the Lord. It was our offering to be sent to the poor overseas. It was our pleasure.
Let us pray.
 

Thank you for reading.






最終更新日  2017.06.23 14:09:54
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