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pastorsroom 東広島市


私は、東広島市にあるキリスト教会の牧師です。
よかったら教会のホームページもごらんください。
また、ユースセルのプログもごらんください。


また、たいへん申し訳ないのですが、
コメントにお答えできないことも多々あると思います。
どうぞお許し下さい。


2017.09.16
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​  生かされて感謝礼拝       1サムエル1:1-18​

今日は生かされて感謝礼拝をしています。
生かされていることに感謝しつつ、神様に礼拝をおささげしたいと思います。
今日は午後に賛美集会があります。
短くメッセージをさせていただきます。

ニーチェは言いました。「苦悩そのものが問題なのではない『何のために苦しむのか』という問い、叫びに対して、答えがないことが問題なのだ。」

■ハンナの苦しみ1・・・理解されない苦しみ
今日の聖書個所にはハンナという一人の女性が登場いたします。
彼女は二つの苦しみを負った女性でした。
一つは、理解されない苦しみでした。ハンナは孤独な人だったのです。
ハンナにはエルカナという夫がいました。
エルカナには、ハンナの他にもう一人、ペニンナという妻がいました。
エルカナとペニンナとの間には息子も娘もいました。
けれども、ハンナには子どもがいませんでした。
泣いて食事もしないハンナに向かって夫エルカナは言います。
「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」(8)
エルカナは確かにハンナを愛していたと思います。
けれども、エルカナは、自分が誰よりもハンナを愛していて、それゆえハンナは幸せであるはずだと思い込んでいました。
けれどもそれは勘違いでした。
エルカナの無理解が一層ハンナを孤独にさせたのです。
そしてハンナは、わかってもらえない孤独を感じていたのでした。

ハンナは神殿に行って、泣いて祈りました。
10節には、「ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。」と書かれています。
でもそれを見ていた神殿の祭司エリは、こともあろうに、ハンナが酔っ払っていると勘違いし、ハンナをいさめたのでした。
ここでもハンナはわかってもらえない孤独を感じることになりました。

■ハンナの苦しみ2・・・限界を背負っている苦しみ
ハンナのもう一つの苦しみ、それは限界を背負っている苦しみでした。
彼女には子どもがいませんでした。
でもそれは、どうしようもないことです。
この世の中には、自分の力や努力ではどうしようもない限界というものがあります。
ハンナはその限界を感じ、その苦しみを背負っている女性だったのです。

■ハンナの苦しみと私たちの苦しみ
しかし、ハンナのこの二つの苦しみ(理解されない苦しみと限界を背負っているという苦しみ)は私たち現代人もまた、抱えている苦しみではないでしょうか?

少し前、わが家の夕食の時にギリシア神話のシーシュポスのことが話題になりました。
シーシュポスは、ゼウスから罰を受けます。
その罰というのは、シーシュポスが死者が行く冥府(めいふ)において、大きな岩を山の頂上に押し上げるという作業をすることでした。
彼は、その大きな岩を押し上げてゆくのですが、頂上寸前でその岩が転げ落ちるのです。
そして再び、その岩を押し上げるのですが、また頂上寸前でその岩が転げ落ちる。
その作業を永遠に続けるのです。
無意味なことを永遠に続ける。これはこたえますね。

しかし日本も他の国々もまた、このシーシュポスのように、「成長」という大きな岩を押し上げてきたと思います。
そして確かに生活は豊かになり、食べ物が無くて飢えていた時代とはまったく違う世の中になりました。
同時に人々を取り巻く環境も変わりました。
生きるために助け合う共同体はだんだん消滅してゆきました。
そして、人々は孤独を感じるようになってきました。
経済成長という岩を一生懸命押し上げてきた歴史。それは、いったい、何を生み出してきたのだろうか?と考えさせられることがあります。
始めにご紹介したニーチェの言葉を使うなら、「苦悩そのものが問題なのではない。『何のために苦しんだか』という問いに対して答えがないことが問題」なのです。

■魂を注ぎだすような生き方を
ハンナは「祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。」(15)といいました。
ハンナは確かに辛い人生を歩んできた人だと思います。
しかしハンナには、キラリと輝くものがあります。
それは、15節、彼女は「主の前に、心を注ぎ出す」ことを知っていたということです。
「心を注ぎだす」。
ここの「心」はヘブライ語で「魂・命・全人格」を意味する言葉です。
ですから心を注ぎだすとは、自分の魂・命・自分自身を注ぎだすということです。
それは、ハンナにとっては主のみ前で祈ることでした。
祈りは、魂や命や自分自身を注ぎだすことなのです。

ハンナは苦しんでいました。孤独でした。
でもその中にありながら彼女は祈りを止めないで、自分自身を注ぎだして祈り、力強く生きていたのです。
それがハンナのすばらしい所でした。


■主のみ前に
さらに、注目したいのは同じ15節の「主の前に」という言葉です。
生きていても生きがいを失ってしまう、という状態があると思います。
それは自分が必要とされているという実感が伴わないからです。
もし今日私が死んだとしても、明日は誰かが私の代わりをする。
そう思うと生きている実感を得る事が難しいかもしれません。

でも人は、自分という人間の全体を受け止めてくれるところを探しているのだと思います。
生きていて感謝、生かされていて感謝といいたいのだと思います。
みんなハンナのように心をそぎだしたいと願っていると思います。
ハンナが、自分の全体を注ぎ出すことができたのは、夫エルカナの前でもなく、祭司エリの前でもありませんでした。「主のみ前で」彼女は自分自身を注ぎだす事ができたのです。
神様こそ、あなたの全部、私という人間全体をしっかりと受け止めてくださるお方なのです。
だからハンナは心を注ぎだすことができたのでした。
ハンナは主のみ前で、孤独ではなくなりました。

今日、私たちは父なる神さまのみ前にいます。
父なる神さまは、私たちをそれぞれ名前で呼んでくださるお方です。
そして、私たちそれぞれの存在をしっかりと受け止めてくださるお方です。
その父のみ手はイエスキリストです。
罪ある私たちを赦しをもって受け入れ、孤独な私たちを愛をもって満たしてくださいました。
ですから、私たちは心から言いたいと思います。
「神様。生かしてくださってありがとう」と。
お祈りをいたします。









最終更新日  2017.09.16 18:51:37

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