カテゴリ:天皇はどこから来たか
これから展開する話は、私のファンタジーである。こんなことだったら面白いというイマジネーションが広がってくると、やめられなくなる性分なのである。(^^ゞ 「天皇はどこから来たか?」というテーマで、これから長い連載がはじまる。 結論めいたことを最初に書いておくと、私は、天皇は中央アジアか、さらに西からやって来たという渡来人説をとる。私の考えでは、渡来人といっても天皇は朝鮮半島を通過しただけであり、天皇は朝鮮人だったということではない。むしろ数百年は中央アジアに存在した。そして、中央アジアに来る以前は、メソポタミア周辺にいたのだろう。しかしこれは神武天皇以前にあたる時代で、いわばメソポタミア神話が日本神話の原型になっているのである。須佐之男命や月読命はそのあたりの王族であったかもしれない。 まあ、日本が5世紀頃から外国人(ペルシャ人?)に支配されていたというのは不愉快なことかもしれない。しかし、当時の原日本人の人口が増えずに、天皇とともにやって来た大量の渡来人がどんどん増えていったとするならば、現代日本人のほとんどはかつての外国人の子孫(または彼らとの混血)ということなのかもしれない。そもそも弥生時代の原日本人が朝鮮半島経由や南方の海からやって来たらしいのだから、歴史の非常に大きな流れからいうと日本人だ外国人だと言うほどのことではないのかもしれない。我々がときどき引越をするように、民族も引越をするのである。そして、我々の引越のごとく、民族の引越も必ずしもそれが他民族制圧を伴うとはかぎらない。 天皇家のルーツは、やはり日本人のルーツとは区別して考える必要があるのではないかという気もする。天皇家は、たんに一族としてやって来たはずはなく、何らかの部族連合集団としてやって来たはずである。それがすべて同じ民族だったのか違う民族の連合だったのかはわからない。また、その当時の支配階級が現代日本人の何%を占めているのかもわからない。したがって、日本人の祖先を遺伝統計学的に調べようとしても、それがそのまま天皇家の民族が何であったかを明らかにすることにはつながらない。大まかいって日本人は北方系渡来人と南方系渡来人が混在しているが、天皇家は“そのうちのどれか”である。遺伝統計学は、天皇家の遺伝子調査でもしないかぎり、ピンポイントではどの民族であるかは 特定できない。 もう一つ重要なことは、天皇が藤原氏の血を通してだんだんと一般の日本人と混血していった可能性がある。古事記では、天照大神の岩戸隠れの際に重要な働きをした 天皇家と日本人のルーツさがしは、一筋縄ではいかないと思われる。天皇がメソポタミア出身でも、一般の日本人は別の地域の出身である可能性があるからである。とりあえず天皇家とその連合部族を原始ヤマト民族と呼んで、縄文時代や弥生時代の原日本人とは区別しようと思う。私自身のなかでもまだ結論は出ていないので話はますますややこしくなるだろうが、お付き合い願いたい。 人気blogランキング ↑この記事が役立った方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 無料メルマガ『皇位継承Q&A』創刊!そして、皇位継承問題に無関心な知人の方にも ご紹介・ご推薦いただけると幸いです。 ↓ネット世論はこんな感じ。 《皇位継承あなたの意見は?》 私の第2ブログ「時事評論@和の空間」もよろしく これからはしばらく皇位継承に関する記事の連載です。この問題は未来の日本のゆくえを左右するほど重大な問題ですので、いままで以上に力を入れて書きます。ぜひ御覧ください。 目次 ブログ散策:天皇制の危機 も合わせて御覧ください。 ブログをもっている人は、ぜひ女系天皇反対をアピールしましょう。一人でも多くの人の目に触れて広く国民に注意を喚起することが大切です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年03月22日 22時57分16秒
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