カテゴリ:天皇・皇室関連
一人で数千人の子供を作るのは無理でしょ。(^^; まあ、よほどの色キチガイなら数百人は可能かもしれないが。。。
いくら「英雄 色を好む」といっても、この数字は無理じゃないの?(^^; チンギス・ハーン(1162年頃? - 1227年8月18日)がモンゴル帝国の初代大ハーンに在位していたのがは1206年 - 1227年である。在位は約20年だが、かりにその10年前から毎日女性を取っかえ引っかえヤッていたとしよう。すると10年で3650人、30年で約11,000人といったところ。これ、百発百中の場合の数字だからね。3発1中では30年で3650人作れる計算になるが、50歳を過ぎて毎日ヤッて3発1中の確率というのも信じがたい。しかもY遺伝子を調べているようだから、男子が生まれないと意味がない。したがって上記の数字の半分しかカウントされないことになる。数百人レベルならまだ可能性もあろうが。 で、この確率計算は正しいのだろうかと考えて、私なりに計算してみた。 子供が(平均して)3人できる確率を想定すれば、そのうち男子の数は1.5人だから、1世代25年として800年で32世代になり、1.532≒43万倍となる。したがって、1600万人の800年前は37人程度になる。女子も含めればその2倍の74人というところだ。これくらいの数ならチンギスハンの子供と考えてもおかしくはない。 なにしろ騎馬民族なのだから、ちょっと種撒きに出かける男が何人もいたに違いなく、コンスタントに子世代の増加率3という数字は十分にありうる。チンギスハンの子や孫の世代がユーラシア大陸全体に広がったということが彼らの子孫繁栄につながったのではないかと思う。 このニュースを読んだとき、最初は「チンギスハンより前の世代の誰かがこの遺伝子をもつ子孫をたくさん作っていたとすれば、そしてチンギスハンがその子孫のうちの一人だったとすれば、数字は常識的な線に落ち着くのではないか?」と思ったが、ユーラシア大陸を席捲したモンゴル一族(少なくともチンギスハンの弟たち)がチンギスハンと同じ遺伝子をもっていたとするならば、ますますもって1600万人に増えたというのはありうる数字である。 だが、チンギスハンより何世紀も前の遺伝子というわけでもなさそうだ。《チンギスハン(ウィキペディア)》によると、 2004年にオクスフォード大学の遺伝学研究チームは、DNA解析の結果、チンギス・ハーンが世界中でもっとも子孫を多く残した人物であるという結論を発表し、話題を呼んだ。彼らによれば、今現在彼の遺伝子を引き継いでいる人物は世界中で1600万人いるとされる。この解析でマーカーとされた遺伝子は、突然変異頻度に基づく分子時計の推計計算により、チンギス・ハーンの数世代前以内に突然変異によって生じた遺伝子である可能性が高い、という ちなみに、《チンギス・ハン - 人類史上最も多くの子孫を持つ蒼き狼(X51.ORG)》のコメント欄も下ネタなので長く続いていておもしろい。 日本の天皇家は必ずしも騎馬民族ではないのだろうが、古墳の出土品などをみると騎馬民族文化の影響を強く受けていると思われるので、やはり男系子孫のみが皇位を継ぐというのが常識だったのではあるまいか。《チンギス統原理(ウィキペディア)》によると、 中央ユーラシアの遊牧国家では、同一の男系に属する氏族のみしか君主になることができないとする血統原理を有することが古代の匈奴の頃から一般的であって、チンギス・ハーンの建てたモンゴル帝国もその例外ではなかった。 13世紀の日本は鎌倉時代初期であり、当時は清和源氏をはじめ村上源氏その他の諸源氏、そして桓武平氏やずっと前の時代に別れた天皇家の男系子孫が合計で少なくとも37人以上はいただろう。また、コンスタントに男子が一世代ごとに1.5倍になったとはかぎらないが、少なくとも庶民に近い平家の落ち武者や分家の分家のような源氏では、分割される財産もないので労働力として子供がたくさん作られたかもしれない。そんなわけで日本に神武天皇の男系子孫は1600万人くらいはいてもおかしくないだろうと思うのである。皇位継承という観点からは、せいぜい旧宮家の男系子孫と皇別摂家の男系子孫くらいしか意味をなさないが。 ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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