カテゴリ:天皇はどこから来たか
![]() 雄略天皇元年三月条によると、物部目大連は天皇の娘をみて「娜毘騰耶{白番}麼珥(ナヒトヤバハニ)」({ }内で一字と見なす)と言ったが、この古語の意味は不明なのだそうだ。その部分を引用すると、 「麗しきかも、女子。古人の云へのこと有り。『ナヒトヤハバニ』と。」 さて、つねづね私は「物部氏はユダヤ臭い」と主張しているが、この意味不明の言葉も、ひょっとしたらヘブライ語で解釈できるかもしれない。私としては、ahabaniが「私を愛する」というヘブライ語に思えてしょうがないのである。 nahitoは、「平安、平静、安息、喜び、喜悦、満足」という女性名詞nachatだろう(chは喉にかかるハの音)。yaは、ヤハウェの短縮形ヤだと思われる。(a)habaniは、「愛する」という意味の動詞aahabに「私を」という人称接尾辞がついたものと考えられる。(聖書ヘブライ語では、このような用法がある。)意味としては、「喜び。主は私を愛する」となる。「古人の云へのこと有り」ということで、どこかの諺などの言い回しを引いたとも考えられるから、喜びの定型的表現としては文脈に沿っているかもしれない。 あるいは別の考え方として、「女の、女性の、女のような」という形容詞の女性単数形naashitがありうる。そこに「彼の」をつけるのは文法的に問題なのだろうが、あえてつければnaashitoとなる。そして最後のaniを「私は」の代名詞と考えて、「愛する」aahabの一人称単数未完了形(未来形)のeehabにすると、naashito eehab aniで「彼の女のような(子)を(私は)愛するでしょう、私は。」のような意味になるのだろう。あるいは、「愛、愛情、情愛、愛好、好み」という女性名詞ahabaaが使われているのかもしれない。 形容詞を目的語にしたり人称接尾辞を加えたりするのは文法的におかしいのだが、文脈からいってこの方が正解に近いと思われる。「麗しきかも、女子」は、「この子が好きです」という意味にもなりうるだろうから。謎解きとしてかなりいい線いってるのではなかろうか。 ちなみに、この漢字を本当に「ナヒトヤハバニ」と読んだかどうかもわからない。別の読み方も考えられるべきかもしれない。 娜 ナ,ダ 毘 ヒ,ビ 騰 トウ 耶 ジャ,ヤ {白番} ハ,バ,ハン 麼 バ,マ 珥 ジ これだけ発音の揺れが考えられるなら、たとえばダビトウでダビデを意味しているのだとか、いろいろな解釈の余地が出てくる。しかしここでは、麼がマとも読まれうるのだという点だけ確認しておけばいいだろう。 こんなことをいうのは私だけではなく、たとえば日ユ同祖論の川守田英二は、私とは違う解釈を提示している。 「娜{田比}騰耶{白番}麼珥(ナヒトヤハマニ)」(この古語未だ詳らかならず) というが如きものがある。これは「ナヒトヤハマニ」 NH.T・IHMNIはそのままヘブル語で「しとやかさはわれ(わが胸中)を騒がす」という麗人のしとやかに行くを見て、胸中は浜に波濤の打ち寄するが如く心動かされるという形容である。 幼女の形容として、ここまで艶かしい意味が入ってくるかどうか非常に疑わしい。しかしながらこれがヘブライ語で解釈できると考える人もいるという点は注目に値する。 ![]() ↑この記事が面白かった方、またはこのブログを応援してくれる方は、是非こちらをクリックしてください。 「p(^o^) 和の空間」の Window Shopping |
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