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![]() 今から約1300年前に歴史書を編纂する際、意図的に”封印”された『最重要』となる歴史が、以下の動画内容(YouTube)の公開をキッカケとして、飛鳥時代における〈歴史の真実〉が浮かび上がり、次々と解明されていくであろう。 ※関連動画・・・日本に隠された究極最大の”秘密”が明かされました この動画内容の要点を記せば、第33代「推古天皇」と晩年の「蘇我馬子」は夫婦関係にあり、その間に産まれた御子が「聖徳太子(蘇我入鹿)」だったということである。 つまり、あの西暦645年に起きた「乙巳の変(大化の改新)」において、「中大兄皇子」と「中臣鎌足」が討った「蘇我入鹿」とは、飛鳥時代を代表する聖人と称えられた「聖徳太子」のことだった・・・。 さらには、上記の《「推古天皇」と「蘇我馬子」の関係 》は、”記紀”の編者が意図的に時代を遡らせて、分かる人には類推できるよう《「神功皇后」と「武内宿禰」の関係 》として描かれているということだ。 冒頭に紹介した動画の人気YouTuberの取材に応じるかたちで、その封印された”真実の歴史”の伝承を赤裸々に語っておられるのは、「子之(ねの)神社」(神奈川県湯河原町)の穂積宮司である。 実は当社には昨年11月に参拝させていただいた経緯(以下の関連記事)があり、あいにく宮司との面会は叶わなかったが実に感慨深いものがある。 ◎関連記事・・・「富士山」近辺の歴史探訪(5) そこで冒頭の画像は、動画内の宮司の話に登場し、当社の創建にも深く関わる”真鶴半島”先端の「三ツ石」(画像中央の海上に並ぶ三つの岩塊)を撮影したものだ。(撮影年月日…2025年11月20日・午後1時頃) 加えて参考になる書籍に、歴史作家の関 裕二氏の処女作で『 聖徳太子は蘇我入鹿である 』(初版1991年)という考察がある。関氏の考察によると、「大海皇子(第40代 天武天皇)」は「蘇我入鹿」の子を身籠った第37代「斉明天皇」の皇子で、「中大兄皇子(第38代 天智天皇)」の異父兄であるとしている。 かねてより私も、関氏の各著作には触発されてきたが、以下の関連動画が参考になるであろう。 ※関連動画・・・関 裕二氏の《聖徳太子=蘇我入鹿》同一人物説 ここで上記の「蘇我入鹿」と「斉明天皇」の間に産まれた皇子が、後に「天武天皇」に即位したことを前提とし、今から約10年前に刊行された山口市在住の歴史作家の書籍を以下に紹介しておきたい。 ◎参考書籍・・・『 山口に残る古代地上絵 北斗図の謎 』 池端孝次郎 著 東洋出版(2016初版) ◎参考記事・・・『 北 斗 図 』の 謎 ……山口市観光情報サイト「西の京 やまぐち」 著者である池端氏の考察によると、古代の山口(現在の山口市から防府市にかけて)には”壮大な地上絵”が描かれ、それは「北極星と北斗七星」を主体とする「北斗図」であり、「天武天皇」の勅により同天皇10年(681年)に描かれたということだ。 (以下のリンクは今から約9年前に当書籍を参考に各地を探訪した記事) ※関連記事・・・「北斗図」の投影地を訪ねて さてここで、上記の書き連ねてきた記述を要約するとすれば・・・「推古天皇」と「蘇我馬子」の夫婦に産まれた「蘇我入鹿(聖徳太子)」は成人して「斉明天皇」と結ばれ、やがて身籠った皇子は後に「天武天皇」となり、国家の安寧のために山口の県央部に広大な「北斗図」を描いた・・・ということになる。(この「北斗図」は有名な「ナスカの地上絵」の約40倍の規模になるそうだ。) 約40年に及ぶ私的な「歴史の探訪」は、興味を抱けばまず「歴史の現場」を訪ねる姿勢を貫いてきた。かような自身の経験知から言わせていただくと、瀬戸内海を挟んだ山口県と大分県の湾岸域に鎮座する社寺には、「聖徳太子」をはじめとする上記記載の御方々の伝承が意外と多く残っている。 今回の事例(冒頭の関連動画)のように、おそらく最も開示され難かった”秘匿の歴史情報”が明らかになることにより、【 目覚める日本人 】が増加していくことを切に期待したいところである。 ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026年09月14日 19時25分55秒
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