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真理探究と歴史探訪

2021年09月17日
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さて、冒頭の地図にも示したように、これまで「鯖釣山」を中心とする地域で、主に「湯玉」に縁の深い社寺を紹介してきたが、その「鯖釣山」から東方に直線距離で約11kmのところに「狗留孫山(くるそんざん/標高標高 616m」がある。

(※上の地図では「鯖釣山」と「狗留孫山」の関係性を示そうと、双方の山頂から二本の東西線を引いてみた。ちなみに、この二本の緯度の間隔は約200mである。)

その「狗留孫山」の山麓に、「狗留孫山 修禅寺」という知る人ぞ知る名刹が鎮座しているので、今回の連載(下)の記述は、この密教寺院の紹介から始めよう。(以下は関連サイトより転載)



「狗留孫山 修禅寺」は、長府毛利家の祈願寺。長府藩の庇護を受けて栄えた真言密教寺院です。

由緒は古く古墳時代にまでさかのぼり、本堂横にそびえたつ巨石は自然崇拝の対象とされ、

後に観世音菩薩の化身といわれるようになりました。

奈良時代には、東大寺建立の四聖の一人〔行基〕が、狗留孫山で修行したとされ、

平安時代には、弘法大師〔空海〕が狗留孫山に登り、「十一面観世音菩薩」を彫刻して奉安しました。

これが現在の本尊となっています。

臨済宗開祖〔栄西〕も狗留孫山に登り、それぞれの聖人が狗留孫山の観音岩に、

観音菩薩の尊容を感得したということです。(以上、転載文)



以前、縁あって当寺院の参詣後に、「狗留孫山」に登頂した際の記事は以下。


※関連記事・・・「秋の旅」の余韻




そこで上の画像は、先日登頂した「鯖釣山」と並ぶ「湯玉城山」の山頂から、ほぼ真東となる「狗留孫山」を撮影したものだ。威風堂々とした貫禄のある山である。

上記のように、当寺院の歴史に〔空海〕の伝承があるのだが、より詳しいサイトを参照すると

・・・平安時代の初め、大同元年(806年)中国「唐」より帰朝された真言宗の開祖 弘法大師〔空海〕は、九州は筑前箱崎沖の船中より、はるかに「狗留孫山」の霊光を拝し、翌年大同2年(807年)霊光を目指して登山されました。・・・


とあるので、あの平安時代の宗教界を代表する〔空海〕が、「狗留孫山」に登頂したのは史実であろう。

そして今回、この記事を書いている過程で、その史実を裏付ける”ある「仮説」”に遭遇したのであった。

実はかねてより、ここで取り上げる下関市の「狗留孫山」の緯度が「北緯34度13分」であり、
〔空海〕が開いた真言密教の聖地「高野山」とは同じ緯度と認識していたのだが、その「仮説」との遭遇により、さらにこの緯度線上に〔空海〕の生誕地とされる香川県の「善通寺」や、〔空海〕が修行した中国は長安(現在の陜西省西安)の「青龍寺」までが、ほぼ同緯度となる東西の軸線上に並ぶことを知ることになったのであった。


その”ある仮説”を
簡単に説明すると・・・〔空海〕は”太陽の影”を利用してかなり正確な緯度を測定する測量方法を知っていたうえで、長安の「青龍寺」を起点とする東の延長線上に、「善通寺」や「高野山」を置いたのではないか・・・ということである。

・・・となれば、「北緯34度13分」の緯度線上にある「狗留孫山」(北緯34度12分52秒)は勿論のこと、その東方の海側にあって寄港地になったであろう「湯玉」や、ほぼ同じ緯度となる「鯖釣山」(北緯34度12分57秒)にも、往時の〔空海〕を先達とする一行は訪れていたことが考えられる。

それにしても、こんな広範囲な話の展開になろうとは、この三部作となる連載を書き始めた当初は思いも寄らなかったのだが、ご参考かたがた以下、「善通寺」が麓に鎮座する象頭山(大麻山)に登った関連記事(1)と、開創1200年を迎えた年に参詣した「高野山」にまつわる関連記事(2)を紹介しておこう。


※関連記事(1)・・・
四国行脚の巻(1)… 象頭山(大麻山)


※関連記事(2)・・・高野山 開創1200年


先に弘法大師〔空海〕の業績に関連して、「北緯34度13分」の東西線上にある中国は長安の「青龍寺」を取り上げたが、最後はその寺院と同じ緯度にある「湯玉」と、1973年に中国で発見された古代遺跡「河姆渡遺跡(かぼといせき)」との関係を少し紐解いて、この連載を終えることにしたい。

この
「河姆渡遺跡」は、中国浙江省に紀元前5000年~3300年頃にかけて存在した新石器時代の遺跡で、発掘調査から稲(水稲)の栽培が人工的かつ大規模に行われていたことが判明し、世界でも最古の稲栽培の例とされている。

驚くことなかれ…この
「河姆渡遺跡」から見た「湯玉」の位置が、真東から北に約30度となる「夏至の日の出」を示す”聖なる方位”となることから、「河姆渡遺跡」の周辺地域で稲作農業をしていた古代中国の人々が、「湯玉」に狙いを定めて移り住んできた…という説があるのである。


この説を知った時、まず私の脳裏に浮かんだのは、今回が初めてとなった「鯖釣山」の登山中に、その山頂に近い丘陵地で見出した、全体として”夏至の日の出(冬至の日の入)”を示す「磐座群」であった。

また、この
「鯖釣山」を神体山とする「宇賀八幡宮」に祀られた祭神「宇迦御魂大神」の「宇迦(ウカ)」とは”穀物・食物”を表すことから、この神名は「稲に宿る神霊」を意味することになるので・・・もしかすると、太古の稲作農業の痕跡(河姆渡遺跡)が発見された揚子江下流域から、海を渡って「湯玉」に移住した人々がいて、元々「湯玉」に漁猟を主に生活していた縄文系住民と合流し、現在の「宇賀八幡宮」を拠点に周辺地域を治めていたのかもしれない・・・という想いが、自然に湧いてくるのであった。

私にとって第二の故郷「湯玉」の、先人たちによって連綿と築き上げられてきた歴史は、これまで解説してきたように別格の地勢だったことも含めて、なかなかに”根が深い”と感じ始めた今日この頃である。







最終更新日  2021年09月17日 17時51分11秒


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