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紀元前から7世紀末まで、九州に日本を代表する王朝があり、「太宰府」がその最後の首都であったとする「九州王朝説」がある。 つまり、奈良の「日本国」王朝の前に、九州の太宰府に「 倭国( ゐこく)」王朝が実在したとする説だ。 つい先日、その九州「倭国」の歴史に詳しい書籍(以下に紹介)を読んでいると、その倭国王朝にとって「天照大神」とは、「月神」ではなかったかとする推考が書かれていて、とても興味を惹かれた。 ※ 書名『盗まれた日本建国の謎』・ 斎藤 忠 著作 ・ 学研2012.6.5刊 この書籍によれば、倭国の皇統は「阿毎(アメ/アマ)」をウジ名として、海の民を統率する氏族であり、「月神(ゲッシン)」を奉祭していたと考えられるとのことで、漢語にいう「天」とは本来、夜の天空や星々の世界を指すのであり、そこを照らすのは月、つまり「月神」だとしている。 また著者は、『延喜式』所収の「六月晦大祓祝詞」に「天の御蔭」「日の御蔭」とあることに注目し、「御蔭(ミカゲ)」の「蔭(カゲ)」とは「光」のことで、そうなると「天の光」と「日の光」とが対置されていることになるから、「天の御蔭」なる「天の光」とは「月の光」のことに他なるまいと推察、従って月神が天を照らす大神と呼ばれる資格は十分にあるとしている。 ・・・となれば、九州倭国における「天照大神」とは、「月読命(ツクヨミノミコト)」を示すことになるわけだが、その「月読命」を祀る神社の本家本元は、玄界灘に浮かぶ「壱岐島」に鎮座する延喜式内「月読神社」(※近年の調査により元々の月読神社は、芦部町箱崎の八幡神社の可能性が高い)とされ、記紀の伝える「高天原」と見立てるに相応しいと感じるところだ。 ちなみに、「月読神社」の本来の祭神は「天月神命(アメノツキノミタマノカミ)」である。 昨年は縁あって初めて「壱岐島」に渡ることができ、島内では「ツクヨミ」に纏わる神社を三社巡る機会を得た。 ☆関連記事・・・《「月読尊」を追いかけて》 加えて上述の書籍では、「天照大神」を「月神」とする一方で、「日神」も星々の隠れて見えない天空を照らすことから、「天照大神」と呼ばれる資格を十分に有するとし、そのため「奈良の日本国王朝」が「九州の倭国王朝」と勢力が拮抗するようになって以降、対抗して「日神」こそ「天照大神」なりと唱えたであろうとの推考があり、我が意を得たりの心境となった。 意外や意外・・・「ツクヨミ」が「アマテラス」だったとは・・・まさしく青天の霹靂である。 今日の画像は、まさに「天」の「月」が「海(アマ)」を照らしている風情を映したものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年05月28日 13時34分37秒
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