真理探究と歴史探訪

2016/09/03(土)08:34

「岩屋山巨石群」の探訪(下)

冒頭の画像は、向島(広島県尾道市)は岩屋山(標高102m)の山頂にあって、あたかも綿密な細工で「龍の顔」を表現したかのような迫力のある巨岩を映したものである。 上の画像は、冒頭の画像に映る長い巨岩の、その東方の側面から撮影したものだ。 それはまるで、この岩屋山の全体がトグロを巻いた蛇で、その蛇頭は(ある方位の)天空を睨んでいるかのようである。 次に上の画像は、反転して西陽の当たる西方から、その龍蛇の顔たる磐座の開口部を映したものだ。 そして下の画像は、10mを超える横長の巨岩を斜め後方から撮影したもので、その山頂に据えられた威容は、反対側面の複雑怪奇な様相も含め、圧倒的な貫禄を示していた。 さて、このシリーズの最後となる下の画像は、この「岩屋山巨石群」の出入口に置かれていた「岩屋山ミステリーツアー」と題する看板を映したものである。 その記された解説にも少し触れてあるが、この巨石群のある岩屋山は、「四神相応」の町といわれる尾道の全景が見渡せる場所、つまり尾道の「朱雀(南)」に位置し、「青龍(東)」の瑠璃山(浄土寺)、「玄武(北)」の愛宕山(西國寺)、「白虎(西)」の大宝山(千光寺)を一望できる聖地とされてきたとのこととだ。 しかし実際に現地を訪れ、当地域を散策した私なりの感覚では、この岩屋山の山頂部に形成された巨石群は、尾道を含む広範囲な地域一帯の中心的な施設だと思われた。 加えて、その特殊な加工を施され配置された石組みによって、二至二分や二十四節気など、年間の大切な時節を周囲に生活する住民に視覚的に知らせる「暦」の役割を担うモニュメント(実質は天体観測所)としての機能を兼ね備えていたと思われる。 そして繰り返しとなるが、この「岩屋山巨石群」を記事として取り上げる直前に、「金山巨石群」に関して長年にわたる研究調査を纏めた初めてのガイドブックが、今年の「中秋の名月」の日取りとなる今月の9月15日に出版されることを知ることに・・・。 それはやはり「大いなるもの」からの必然的な導きだったと思うし、おそらくこの書籍の出版を皮切りに、日本列島の津々浦々に存在する「巨石群」の『縄文ネットワーク』なるものが、柔軟かつ強固に形成されていき・・・本当の意味で 「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」という時代が訪れるのではないか・・・と、そのように感じ始めた今日この頃である。 以下に改めて、列島各地の「巨石群」を調査する際の基準となる、参考書籍と関連HPを紹介しておきたい。 ☆参考書籍・・・『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』 小林由来 徳田紫穂 〔著〕 ※関連HP・・・ 金山巨石群と太陽暦

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