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・信濃の「さそり座」では、赤色巨星アンタレスの位置は長野市松代町付近にあたる。この地は真田十万石の城下町として栄えた町であり、近くには古戦場の川中島がある。また幕末の思想家 佐久間象山の生地として知られている。 ・このあたりは千曲川の川床が広々とし、のどかな田園地帯となっている。その平地が山並みに接するところに、驚くべき山がそびえているのである。日本のピラミッドが語られる時に必ずあげられる皆神山である。皆神という名の通り、すべての神の集まるところ、神々の山として信仰を集めてきた山である。 ・この山は、頂上が陥没したかのように扁平で、全体が台形のような形をしている。現在、頂上は標高679mと642mの二つがあり、ラクダの背のようになっている。したがってこの形状から、未完成のピラミッドとも言われてきた。山頂には熊野出速雄神社が鎮座し、中腹には横穴式の墳墓が築かれている。 ・この山の概要は、山裾から頂上まで約250m、裾野の最大長径は1450mで、ピラミッドとしてはずば抜けた大きさである。ちなみにエジプトの大ピラミッドは高さ146m、基底部の一辺の長さは230mであり、皆神山の基底部はその六倍以上である。これまで人工の山と言われながらも、まともに論じられなかったのは、一つにこの巨大さにあった。 ・皆神山がピラミッドだと言われる根拠は二つある。一つはこの山の頂上や山麓を掘ってみると、石ころだらけだったということである。この山の頂は、現在は熊野出速雄神社が鎮座する他、ミニゴルフ場が設けられている。このゴルフ場の経営者が以前に井戸を掘ろうとして山頂の一部をボーリングしたところ、地中は小砂利ばかりで、ボーリングの刃が何度も空回りしたという。通常の山であればすぐに岩盤に行き当たるのが、この山はそうではなかったのである。そして同様のことは頂上だけではなく麓でも起きていた。 ・日本が敗色濃厚となった昭和19年、陸軍参謀本部は本土決戦に備え、皇居や政府・軍の基幹を松代に移そうと計画し、皆神山や近くの山に地下壕を掘った。ところが皆神山だけが崩れやすくて幾らも掘れず、そのため小さな食料貯蔵庫に計画変更された。このようなことから皆神山は、瓦礫や小砂利の積み重なった山と見られ、人工の山、つまりピラミッドではないかと言われたのである。 ・もう一つは、この山の近くで昔から発光現象が起こるということが言われていたことにある。これについて、山の内部に巨大な空洞があり、それが崩落したことによって頂上が陥没して、現在の扁平な形となった。そして一部残る空洞内の空気が圧縮され、それが原因で放電を起こして発光現象となったと説かれている。 ・皆神山は信濃の「さそり座」において、まさしくアンタレスの位置にそびえている。皆神山は千曲川の西方にあり、アンタレスもまた天の川の西にある。皆神山は千曲川を天の川として、アンタレスを地上に写した世界最大のピラミッドだろう。
ところで、今回の連載で取り上げてきた「ぎょしゃ座」と「さそり座」の二つの星座は、実は「北極星」を挟んでほぼ対極の位置にある星座である。 どうやら「日本神話」を綴った編集長は、「ぎょしゃ座」に天津神(日向系)を代表する武神として「タケミカツチ」という神名を与え、また「さそり座」に国津神(出雲系)を代表する武神として「タケミナカタ」という神名を与えて、出雲の「国譲り神話」の最終局面で、双方の武神を戦わせて勝敗を決するというシナリオの物語を編むよう指示した模様である。 おそらく「ぎょしゃ座」を「天津神」とした背景には、天頂に近くて白色に強く輝く「ぎょしゃ座」の一等星「カペラ」があったからであろうし、「さそり座」を「国津神」とした背景には、天頂や北極星からも遠く南方の大地を這うかのごとく移動し、「カペラ」の白色と対峙するかのように赤色に強く輝く「さそり座」の一等星「アンタレス」があったからであろう。 そして、さらにこの「国譲り神話」の物語の背景には、夏の季節の夜間において、いよいよ東方から天頂近くに「ぎょしゃ座」が昇りつめる時に、西方の大地(海原)に「さそり座」が沈んでいくという天体運行があったと思われる。 つまり、東方より天頂に向かって昇る「ぎょしゃ座」が《優位》にあるとされ、南方の低位置から西方の大地に沈む「さそり座」が《劣位》にあるとされたことから、「ぎょしゃ座」たる天津神系の武神「タケミカツチ」が勝ち、「さそり座」たる国津神系の武神「タケミナカタ」が敗けて「国譲り」が成立したとする筋書きになったことが考えられるというわけである。 以上のことを記しているうちに感じてきたのは、国津神系の武神とされた「タケミナカタ」が、「記紀(古事記と日本書紀)」の編纂者によって悪しざまに脚色されて記された「蘇我氏」に、見事に重なってみえてくるということであった。 前回の日記にも書いたように、蘇我氏は縄文系譜の「ヒスイの玉文化」を継承しようとした氏族であった。この名族と共に歴史から葬り去ろうと意図されたのが、列島文化の御柱たる「縄文文化」であったと考えられるのだ。 記紀神話に描かれた例えば「トヨタマヒメ」や「イワナガヒメ」などの〔悲しい物語〕が組み込まれた背景には、その縄文系の海人族を象徴する神名「トヨタマヒメ」や縄文系の磐座祭祀を暗示する神名「イワナガヒメ」、さらには「女性の鋭い感性」を封印するための呪的記述だったようにも思えてくるのは、おそらく私だけではないであろう。
そういえば昨日の未明、今回の旅路にまつわる面白い夢を見た。以下にその内容を掻い摘んで記しておこう。 ・ある時、私は「ぎょしゃ座」と「さそり座」のそれぞれの役割等について、専門家から詳しい講義を受ける機会があった。 ・その後、双方の洞察力(物事の本質を見極める能力)のどちらが勝っているか、その優劣を比べることになり、結果として「さそり座」の洞察力の方が「ぎょしゃ座」よりも優れていることが分かった。 ・そして次に、美しい天然色の景観が眼前に広がり、そこには凹型の白いゲートを乗り越えていく具象的な「さそり座」の姿があった。 ・その姿は女性のようで、地面すれすれに両手を前方に伸ばし、まるでサソリのように大地を這うかの如く歩んでいた。 ・印象的だったのは、両腕の手先から両肘までは見えるのだが、両肘から両肩までの上腕部分が透明で見えないことであった。 以上が今朝見た夢の粗筋だが、その夢から覚めると、その「さそり座」の女性が漂わせていた両腕の摩訶不思議な姿に、思い当たる節があったのには自分でも驚いた。 それは、南米はペルーのシカン遺跡で発掘された王の埋葬姿にあった・・・。「さそり座」の姿に似せて埋葬された遺体の側に、大きな金色の二つの腕(作り物)が平行に置かれているという、今まで見たことのない印象深い写真を思い出したのであった。 その写真は、なんと! この旅路の連載「三」でも紹介した、以下の書籍に掲載されていたのである。 ★参考書籍・・・『 世界で誰も知らなかった衝撃の事実! マヤ・ナスカ・モアイ・聖徳太子 』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年06月16日 19時13分54秒
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