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真理探究と歴史探訪

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2018年06月22日
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今回の連載・・・列島中央の「縄文ヒスイ紀行」は如何だったであろうか・・・。

手前味噌ではあるが、自分でも書き進めるうちに新たな発見や確認があり、なかなか醍醐味のあるシリーズになったと感じている。

この連載を記している過程の6月18日、大阪で震度6弱の地震があった。この場を借りて、この地震によって被害に遭われた方々に、心よりお見舞い申し上げる。

実は、この地震が起きたことで書くことにした以下の事情があった。それは、今回の旅路の「きっかけ」についてである。その「きっかけ」とは、今年5月末に長野県域で起きていた群発地震であった。

震度2クラスだったと思うが、この群発地震が契機となり・・・願わくば大難を小難へ・・・という想いで、思い切って列島の西端から列島中央の長野へ羽ばたくことになったのである。

加えて、6月17日にも群馬で震度5弱の地震があり翌18日は大阪で地震と、強い地震が連続して起きたわけだが、列島に生活する現在の日本人に対して、自然界から「今こそ、自身で目覚めよ!」との“気づき”を促すメッセージが、おそらくは「小難」の規模だったと思われる二日連続の地震というかたちで届けられたものと感じる。


さてそこで、長らく関わってきた私なりの「数と形の関係」を基盤とする立体的世界観の立場から、いったい今の日本人は何に気付けば良いかということを、ここで端的に示してみたいと思う。

それは、この上と下の掲載画像に映る「十角形」の重要性、もっといえば立体的かつ動態的な「十角形」の大切さに気付くべき時を迎えているのではないかということである。

それでは、なぜ「十角形」が重要なのか・・・それは遺伝子DNAの構造に深く関わる形だからである。


この地球上に数千万種あるとされる多種多様な生命体のほとんど全てに共通する「しくみ」こそ、(これを分かりやすい図形の表現でいえば)「十角形」だということを、この日記では何度も唱えてきた。

つまり、DNAの二重らせんを構成している塩基対は一回転当たり十個であり、その円環状に並ぶ基本的な十個の塩基対が、「十角形」の重要性を謳う根拠となっているというわけだ。

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ところで、今回の​連載(6)​でも取り上げたが、「ぎょしゃ座」と「さそり座」の二つの星座は、「北極星」を挟んでほぼ対極の位置にある星座であり、「記紀神話」において「ぎょしゃ座」に天津神を代表する武神として「タケミカツチ」という神名が与えられ、また「さそり座」に国津神を代表する武神として「タケミナカタ」という神名が与えられて、出雲の「国譲り神話」の最終局面で、双方の武神を戦わせて勝敗を決するという物語が編まれたようである。

そこで、この上と下に掲載した地図は、上の画像が天体の「ぎょしゃ座」が地上の「九州地域」に投影された地図、そして下の画像は天体の「さそり座」が地上の「長野地域」に投影された地図を、それぞれこの連載で紹介した書籍から引用したものである。

実は今より4年位前から紹介書籍の内容を参考に、「ぎょしゃ座」を形成する星々が地上投影されたと思しき「九州地域」の5つのポイント地点を基本として、実際に現地を訪れ巡り歩いてきたという経緯があった。

☆関連記事・・・​「九州」における天体の地上投影より・・・

あれから4年が経過し、もうこれ以上「九州地域」を「ぎょしゃ座」の投影地として巡る必要はないだろうと自分の中で反芻していた時に、今回の・・・列島中央の「縄文ヒスイ紀行」・・・と名付けた旅路が決定したのであった。そして、その旅路が決まった後に、訪れる予定の「長野地域」が「さそり座」の投影地とされていたことを、久しぶりに再読した紹介書籍で確認したということである。

興味深いことに、この紹介書籍の著者は、これらの星座が地上投影された時期が、紀元前3,000年頃かそれ以前になると指摘している。

今から5,000年以上も前の、われわれ日本民族の大先祖となる縄文人が、これほどの広範囲にわたって日本列島に天体の地上絵を完成させていたことが事実だとすれば、それは一般的には驚嘆に値する話ではあるが、歴史の現場を巡り歩いてきた今の私にとっては、もはや疑念を越えた「真実味」を感じているところである。


ここで今回の旅路を俯瞰してみると、九州から飛行機で飛び立ち、まるで中央構造線をなぞるようにして長野に到着、一泊二日の初日は長野地域における「さそり座」の投影地や縄文遺跡を巡り、二日目は北アルプス連峰を横目に安曇野から日本海に向かって走り、縄文人が生み出した玉文化の華である「ヒスイ」の原石が採れる現地を訪ねることができた。

そこで観えてきたのは、〔 縄文人⇒タケミナカタ⇒阿曇(安曇)族⇒蘇我氏 〕という系譜であり、その系譜が連綿と担ってきたであろう「ヒスイの玉文化」であった。さらにはこの系譜の「阿曇海人族」が、実際に九州と長野を交易を通して結んできた氏族だということが、図らずも浮き彫りになってきたのであった。


この連載の最後に、いつものように暗示的なメッセージとなるが・・・

すでに時代は今、いわゆる「八角形」の呪縛を越えて、それこそ「八九(破竹)」の勢いで「十(自由)」となる時勢を迎えている。

この大きな転機を迎えた時代に、改めて輝く象徴があるとすれば、地球上に生きとし活きる全ての生命の安寧に関わる、立体的かつ動態的な「十角形」であろう。

・・・とは、この旅路を通して私なりに再認識したことである。(完)



〔 追 伸 〕

日本古来の星座に詳しい書籍(『 灘の國の星 』真鍋大覚 著)には、「さそり座」に関して以下のように記されていた。


「蜻蛉星(あきつぼし)」とは、「さそり座」の主星たる「アンタレス」の倭名である。

赤とんぼが夕日に映えて飛ぶ頃の星座である。「とんぼ」は「あきつ」と言う。

日本書紀巻三 神武紀三十一年の条に

「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ)の如くあるかな」とのたまふ。是に由りて、始めて秋津洲(あきづしま)の号(な)有り。

「あきつしま」は日本の古名である。記紀万葉を通じて「蜻蛉」と書くときは「天皇の御詞」、「秋津」は「臣下百姓」と書き分けられている。


以上が抜粋した文章だが、その中の「蜻蛉の臀呫の如く…」という和文の一般的解釈は・・・(国見をされた神武天皇は)「蜻蛉が交尾して繋がっているように山々が連なっている」とおっしゃった。これにより日本の国を初めて秋津州と号した。・・・である。

この解釈を元に検索を試みると、以下に掲載した「蜻蛉の交尾」の画像が目に飛び込んできた。すると、どうだろう・・・すぐ上の画像の長野地域に投影された「さそり座」の姿と、実に見事に重なってくるではないか。

もしかすると、日本國の「建国の理念」の背景に、「蜻蛉星」=「アンタレス」があったのではないかと、そのように感じ始めた今日この頃である。






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最終更新日  2018年06月22日 08時23分45秒


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