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この度の展示会では、開催期が「夏季」ということもあり、会場に展示した100点を越える「立体アート」の作品群の中でも、夏の夜空を象徴する「夏の大三角」を模した3つの作品を大きく取り上げた。 実はこの「立体アート」展の会期中から、自分の見た「夢」や仲間の助言等を含め様々なヒントがあったのだが、おそらく当個展の開催が契機となり結果として観えてきた心象風景が、冒頭地図の下方に赤線で示した「夏の大三角」の地上投影図である。 既に気付いた方もいると思うが、この画像の投影図は、通常の「夏の大三角」からすれば反転した形状になっている。実は、列島各地に残された数々の天体投影図の中には、意図的に星座等の配置を反転して地上に写した例があることから、この私なりの着想による「夏の大三角」の地上投影図も有り得るとした。 さてここで、冒頭画像の地図に描いた図形等の、簡単な解説を試みるとしよう。 まず山口県域の県央部を貫く二重の南北軸については、当ブログで何度か取り上げてきた私的感得による「山口と九州を貫く南北軸」を意味しており、その一方は南の起点を《御許山》にした南北軸、もう一方は南の起点を《由布岳》にした南北軸を、それぞれ浮きだたせるべく二重に線引きしたものだ。 ☆関連記事・・・山口と九州を貫く南北軸(上) ☆関連記事・・・山口と九州を貫く南北軸(下) 次に山口県の西端に線引きした、九州の《英彦山》との関係を示す南北軸についてである。実は数年前から気になっていた、この県西部の「山口と九州を貫く南北軸」を体感すべく、その北端に位置する「俵島」を訪ねたことがあった。 ※関連記事・・・向津具の「俵島」を訪ねて ※関連記事・・・「潮干珠」と「潮満珠」に想いを馳せて(上) ※関連記事・・・「潮干珠」と「潮満珠」に想いを馳せて(下) (ちなみに、冒頭地図の二本の南北軸に沿い、赤点で示した山名等は、かつて私が登ったことのある山々である。) 以上の背景や経緯もあって、今回の展示会が終了した直後に、同展示会を陰に陽に支えてくれた仲間から…《英彦山》が「ひこぼし(わし座アルタイル)」に、《御許山》が「おりひめ(こと座ベガ)」に観えてきた…との連絡が入ったのであった。 確かに「英彦山(ひこさん)」という発音の「ひこ」は、そのまま「ひこぼし」の「ひこ」に繋がると考えられるし、宇佐神宮の神体山である「御許山」は、古来より「姫神」を祀るという伝承があることから、「おりひめ」に相応しい御山と解釈できる。 となれば、「白鳥座 デネブ」に対応する御山があるのではないかと私なりに詮索すると、夏季の夜空を彩る「夏の大三角」が反転した形で浮上した、「豊後富士」と謳われる《由布岳》が見出せたのは嬉しかった。 しかもこの《由布岳》の位置は展示会で解説したように、私の出生地であり展示会場のある〔小郡〕から見て「真南」に当たる事実を含め、この得られた深い見識(「夏の大三角」の地上投影図)は、今回の展示会を開催し盛会裏に終えた有り難きご褒美と感じたところである。 そこで以下のリンクは、その「夏の大三角」を象徴する三山への登山記事である。 ◎《英彦山》への登山・・・一文字の「龍雲」あらわる! ◎《御許山》への登山・・・台風を追い風に「宇佐神宮」への参拝 ◎《由布岳》への登山・・・「由布岳」登山の回想 ところで、上記の”「夏の大三角」の地上投影図”という見識を得てしばらくすると、改めて地図上で《英彦山》を南の起点とする南北軸を、精確に引いてみたくなるのであった。 するとその南北軸は、私の姓である「山本」の先祖が江戸時代の初期から居住していた港町の「湯玉(ゆたま/山口県下関市豊浦町宇賀)」を通ることが新たに解ったのである。 さらにその南北軸は、その湯玉地区では北方の背後にある「鯖釣山(さばつりやま/標高182m)」(画像ではピンクのマーキング)の山頂を通ることも分かって、いよいよ先祖の導きを感じつつ9月初旬に当山へ初登頂する運びとなり、県内では他に類を見ない別格の聖地だと認識できたことは、自身のルーツを探るという意味においても、とても有意義かつ醍醐味のある貴重な経験となった。 次回の日記より数回に分けて、この「鯖釣山」を中心として営まれてきた我が先祖の港町「湯玉」について、綴っていこうと考えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年09月07日 23時11分35秒
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