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以前からの様々な経緯もあって、日本列島の”扇の要”たる《富士山》の山麓を訪ねた翌朝は、JR岐阜羽島駅でレンタカーを借り、戸隠神社の祭神「天思兼命(アメノオモイカネノミコト)」(以降は「オモイカネ」と表記)に想いを馳せつつ、戸隠神社(長野県長野市)に近い旅館に一泊し、翌朝に「戸隠神社(奥社)」へ参拝する予定であった。 高速で”岐阜羽島IC”から”長野IC”に向かう道中の”園原IC”を降りてすぐに、その「オモイカネ」を祀る神社の”総本社”があることから、まずは長野県下伊那郡阿智村に鎮座する同神を祀る主要三社を巡拝することにした。 そこで冒頭画像の地図は、阿智村の智里から駒場にかけて鎮座する三社(三社は共に”延喜式内社”)を図示したものである。(※今回の巡拝ルートは「阿智神社(奥宮)」⇒「阿智神社(前宮)」⇒「安布知神社」) ここで興味深いのは、上の地図に示した阿智神社の「奥宮」と「前宮」を結んだ軸線が形成する「冬至の日の出」の方位線である。この”冬至の方位線”は、かねてより研究者にも指摘されてきたが、今回改めて地図上に線を引く過程で分かったことは、その二社を結んだ方位線の両端から、ほぼ等距離となる前後二本の延長線(点線で図示)の先に、二つの山頂が見出せたことだ。 紀元十世紀頃まで、この阿智村の智里地区は、五畿七道の「東山道」において美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)を往来する交通の要所であったとされ、古代より当地域を治めた「オモイカネ(アチヒコ)」を祖神とする阿智氏に重要視された地所だったということを、この「冬至の日の出方位」を基準にした鎮座地の精緻な選定から読み取ることができる。 数ある日本神話の中でも著名な”天岩戸神話”の物語において、阿智神社の主祭神「オモイカネ」は、天照大神が「天岩戸」にお隠れになった時に、〔岩戸神楽〕を創案して「岩戸」を開くきっかけを作った神とされている。 そして、その〔岩戸神楽〕の究極は、最終演目が「冬至の日の出(アマテラス)」を寿ぐ俳優(わざおぎ)であり、そこに「オモイカネ」を祀る阿智神社の〈奥宮〉と〈前宮〉とを結ぶ「冬至の日の出を示す方位線」が重なってくるというわけだ。 つまり「冬至の日の出」を寿ぐ「オモイカネ」を祭司長とする祭祀が原点にあって、それが神話物語として”記紀”に綴られた内容が「天岩戸神話」と解釈できるというわけで、実に興味深いところである。 ※関連記事・・・列島「中央」への探訪(4) さて、上に並べた二枚の画像は、「阿智神社(奥宮)」の高台にある「冬至の日の出」の方向を指し示す磐座を撮影したものと、その磐座の解説版を撮影したものだ。 そして下の画像は、当社の鳥居前に掲載された分かり易い解説版を撮影したものである。 この阿智村に鎮座の「オモイカネ」を祀る「阿智神社」に参拝したのは今回で五回目となったわけだが、その足で長野市に鎮座する(阿智神社とも縁の深い)「戸隠神社」に参拝する流れをいただいたのは、今回が初めてであった。 当日の宿泊施設は”朝食付き”の一泊予約のため、夕食は想定していなかったが、当宿が”戸隠そば”をメインとする食堂も兼ねていたことを思い出し、道中で夕食が注文できるかどうかを打診してみると、夕食の注文は宿に到着してからでも大丈夫だと言われ、宿に到着し注文した夕食を撮影した画像が上である。 ”戸隠そば”が主役の天ぷら定食に〈岩魚の刺身〉を付け、この時期にしか飲めない地酒が並んでおり、贅沢な一時を堪能することができた。食後は調子に乗って…”そば焼酎”を”そば湯”で割って部屋飲みをしたい…と、仲居さんに頼み実現したお膳を撮影した画像が下である。 明日の「戸隠神社(奥社)」への参拝に向け、お陰様の英気を養うことができたのであった。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月28日 22時22分19秒
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