展示会の後日談(金峰山と拝ヶ石から”夏至の日の出方位”へ)
日時が少し経過してしまったが本日の題目にある「展示会」とは、今年の10月中旬に福岡市に鎮座する「筥崎八幡宮」の御神前で開催された合同展示会のことであり、今回の記事はその展示期間中に訪れた場所に関してのものである。さて、その期間中に訪れたのは、かつて以下の関連記事に記した「金峰山(標高665m)」と、かつて当地を訪れ記事にしたことのある「拝ヶ石(おがみがいし)巨石群」、そして以下の画像地図にある「金峰山」と「拝ヶ石」を九州の西端とし、そこから”夏至の日の出方位”に向かう軸線に、なぜか再び沿うかたちでの行脚となった。※関連記事・・・「夏至」に動く(2)そこで冒頭の画像は、今回の金峰山登拝により山頂から展望した、雲海に浮かぶ「雲仙普賢岳(標高 1,483m)」を中心とする島原半島の景観である。前回は展望できなかっただけに感慨一入であった。次に上の画像は、「拝ヶ石」に向かう道中に”金峰三山”を撮影したパノラマ写真で、左側の「金峰山(一ノ岳…標高665m)」とその右側遠方に薄く見える山岳が「雲仙岳」、その右側の双耳峰が「二ノ岳(標高685m)」、そして右端の山が「三ノ岳(標高681m)」を撮影したものである。「拝ヶ石」の登り口にある駐車場に車を停め、緩やかな階段を含む山道を約200m登ると、上の画像に映る林立した「巨石群」が現れた。ここが、この山頂部の各所に点在する数々の巨石のメインとなる「拝ヶ石巨石群」で、以下はその解説文である。「 拝ケ石巨石群 」この巨石群は、金峰三山の「二ノ岳」に向かって”コ”の字型に立ち並び、最も大きな石は約9mの高さがあり、地元では昔から「拝ケ石」と呼び信仰の場とされてきた。近年、「ペトログリフ(岩面刻画)」の研究家により、この巨石群から岩に刻まれた古代文字と思われるものや方位計が回転するなどの磁気異常が確認され、古代の謎とロマンを秘めた「拝ケ石」に注目が集まっている。※下に並べた三枚の画像は、”コ”の字型に並ぶ巨石群のなかで、印象的な磐座を撮影したものである。上の画像は、当巨石群の前方に立てられた解説版を撮影したもので、上の絵図に振られた番号順に、それぞれの磐座を撮影した画像と解説文を以下に掲載した。1)方位石:この石は、頂上や拝殿(拝ヶ石巨石群)と「三ノ岳」を結ぶ”方位石”の役目をなしているといわれ、旅人に謎を問いかけるスフィンクスにも似ている。表面にはレリーフ状の模様と星座を思わせるベッキング穴があり、また強烈な磁気異常も感じられる。2)メンヒル(立石・鏡石):この石は、金峰山に向かい立つ高さ6m程度の立石で、綺麗な面を持つことから別名を鏡石ともいわれている。石の頭は3人ほどが乗れる広さで、そこに刻まれた十字線はちょうど東西南北を示している。また表面1mの範囲で方位計が2回転(720度)もする磁気異常を見ることができる。3)頂上石:この列石群は、6個の石が環状型にならびストーンサークルを形成している。最北の石が拝ヶ石山の山頂になる。東側の石の上面に古代ケルト系、また西側の石の上面にはシュメール系の文字が刻まれているといわれ、磁気異常も見られる。4)亀石:この石には、中央部北寄りに約60cmの円形の深い刻線があり、これから広がる線がちょうど亀の甲羅のような形状をしているため亀石と呼ばれている。この刻線には外に広がるような磁気異常が見られる。当巨石群を訪れたのは今回で五度目となろうが、実は2016年に起きた「熊本地震」の発生により、この「亀石」の様相が変化したという話を聞いていた。そこで、かつて地震以前に当地を訪れた際に「亀石」を撮影した画像と、今回訪れた際に撮影した画像の二枚を並べたものが上である。(※地震発生の”前”が左側・地震発生”の後”が右側)天空の星々の配置が描かれた”天球儀”と考察されている上掲画像に映る左右の「亀石」に彫られた線刻等を注意深く観察すると、熊本地震により「亀石」が見事にひっくり返った形跡を確認することができた。さて、「拝ヶ石」を後にして”夏至の日の出方位”、つまり上の地図に示した軸線に添うよう車を走らせ、”阿蘇山(阿蘇五岳)”の全体が見渡せる場所で撮影した画像が上だ。その”阿蘇五岳”とは、画像の左から「根子岳(標高1,443m)」・「高岳(標高1,592m)」・「中岳(標高1,506m)」・「烏帽子岳(標高1,337m)」・「杵島岳(標高1,326m)」の東西に延びる連山である。前回当地を訪れた際は、曇り空で展望できず仕舞いであったが、今回は阿蘇連山を俯瞰でき嬉しかった。次に上の画像は、”阿蘇五岳”の中で、一番のお気に入りの「根子岳(ねこだけ)」を撮影したものである。その威厳ただよう山容は、いつ噴火してもおかしくないような躍動感にあふれる佇まいであった。そして当日の最後に訪れたのは、豊後国一之宮「柚原(ゆすはら)八幡宮」(大分県大分市)であった。もう午後6時を過ぎた夕闇迫る時分に到着したので、社殿に向かう参道脇にあった当社の由来が書かれた看板を撮影した画像が上である。上の画像に映る由来書に境内の配置図があるのだが、当社本来の参道の方向が「シリウス方位(真南から東へ約20度の方角)」と読み取ることができた。また下の関連記事で取り上げたように、10月の合同展示会が開催された場所が”日本三大八幡宮”に数えられる「筥崎八幡宮」の御神前であり、当宮に関連する〈祭祀線〉から鎮座地を模索するなかで、参道の背後にある山上より「シリウス」が昇る方位が確認できた。※関連記事・・・展示会の後日談(筥崎宮編…上)加えて、「柚原八幡宮」の参道が示す「シリウス方位」は、全国八幡社の総本宮である豊前国一之宮「宇佐神宮」の上宮「二之御殿」から神体山「御許山」を指し示す方位と同じであることや、かつて神宮境内に鎮座していた神宮寺「弥勒(ミロク)寺」(御本尊…弥勒如来)を考え合わせると、そもそも《八幡信仰》の背景に「シリウス方位」を主軸とする《弥勒(ミロク)信仰》があったことを認識することができる。☆関連記事・・・「冬至」に向けて思い返せば西暦725年に「宇佐神宮」が創建されてから、今年は”御鎮座1300年”となる節目の年であった。というこで、この2025年の「冬至」である〔12月22日〕こそ、世にいう『弥勒の世(※)』の始まりを謳うに相応しい転機になったのではないかと、改めて感じる年の瀬である。(※ここで『弥勒の世』とは、物質的な豊かさと精神的な成長が調和した理想的社会のことを意味する。)