《弥生》から《縄文》への意識転換(下)…「宇佐」を要とする軸線…
例えば、縄文時代から現代までの長期スパンを前提とした場合、山口の県央部を生活圏とした際に、前回の日記で取り上げた「山口と九州を貫く南北軸」の軸線上では「山口」と、瀬戸内海を挟んで南方となる「宇佐」方面との関係を示す南北軸が重要視されてきたことがうかがえる。この件に関しては、山口市の「小郡」という地名と天体「南十字星」に纏わる記事や「日の山」の麓にある「月崎縄文遺跡」に纏わる記事、奈良東大寺の創建に纏わる記事などで、その大枠を解説してきた。さらに興味深いのは、以下の関連記事(参考書籍)にあるように、第40代 天武天皇(あるいは大海人皇子)の時代に「山口」地域に精確な測量に基づき地上に投影し造営された「北斗七星」の星々を模した建築物等が、今も数々の明確な痕跡として残っていることである。☆関連記事・・・「北斗図」の地上投影地を訪ねて(山口県防府市~山口市)★参考書籍『 山口に残る古代地上絵 北斗図の謎 』 池端孝次郎 著 東洋出版(2016初版) ★参考書籍『 山口に残る古代地上絵 五形図の謎 』 池端孝次郎 著 東洋出版(2019初版)そんな過去記事を回想しつつ、私の心中に浮かんできたのは「火」のイメージであった。そこで、いわゆる「五大(地・水・火・風・空)」のなかの「火」の要素を立体的に表現した作品が、冒頭画像の造形の中心に赤色の軸線で構成した通称「星型8面体」という構造である。またここで、なぜ「火」を象徴する構造なのかといえば、上記の「五大」の捉え方と類似する陰陽五行説の「五行(木・火・土・金・水)」のなかで、「火」の要素が方位では「南」を意味し、県央部の「山口」から見て「宇佐」が南方に当ることからの流れでのような気がする。ちなみに、赤色の軸線構成(星型8面体)を内包する緑色の軸線構成(準正14面体)は、上記の「五大」たる五つの要素(「火」を含む)が相互に絡み合い、縦横無尽に展開する「器」という見立てとなる。さて上の画像は、本日のタイトルにあるように「山口と九州を貫く南北軸」(地図上の紫色の縦線)を、「宇佐」を要と意識して描いたものだ。加えて、その要としての「宇佐」を際立たせるために、太陽運行に纏わる「冬至」や「夏至」の〈日の出〉や〈日の入〉を示す軸線を、「宇佐」が交点となるように黄色で描いた。その関係性を上掲地図を参考に解説すると、要(交点)の「宇佐」から見て「冬至」の〈日の出〉の方向に四国最南端の「足摺岬」があり、その反対となる「夏至」の〈日の入〉の方向に「対馬」がある。また同じく「宇佐」から見て「夏至」の〈日の出〉の方向に瀬戸内海に浮かぶ「大三島」があり、その反対となる「冬至」の〈日の入〉の方向に「長崎」があるということだ。ここで再認識したのは、今回の「四国行脚 (9月15日~20日)」で最後に訪れたのが「足摺岬」であり、県央部「山口」の住人であれば自ずと意識するであろう瀬戸内海を挟んだ対岸の地域「宇佐」との、より深い関係性についてであった。(そういえば「足摺岬」を南端とする南北軸には「大三島」もあった⇒関連記事)いよいよ今年の「冬至」は、《 12月21日(月)》である。この数日後に控えた「冬至」を前に、自身の脳裏に浮かぶイメージがあった。それは・・・「宇佐」から見て東南東の方位にある「足摺岬」から、冬至日の《午前7時》頃に昇る朝日の光芒に触発され、「山口と九州を貫く《冬》の南北軸」の要たる「宇佐」という言わば「器」の中心に「火」が灯る。そして、この「宇佐」に点灯した「火」は次第に「炎」となって燃え拡がり、この「《冬》の南北軸」を主軸とし連動する地域全体の活性化が始まる・・・そんなイメージを、冒頭画像の造形に重ね合わせる今日この頃である。そこで、何故この南北軸の「要」を「宇佐」と認識するに至ったのか・・・それは上記の解説に加えて、おそらく縄文時代より「九州」全域が天体「ぎょしゃ座」の投影地と比定され、「宇佐」の地域が「ぎょしゃ座」の一等星「カペラ」が投影された別格の聖地として守られてきた歴史があったからであり、また私自身がその「カペラ」の投影地たる「宇佐」の地域内に点在する磐座群などの数々の遺跡を巡るなかで、自ずと培われた体験に基づく見識があったように思う。さらに加えて、この「ぎょしゃ座」の一等星「カペラ」が、冬季の夜空に輝く「おうし座」や「オリオン座」など、「冬の星座」を彩る星々を率いる筆頭の星(トップスター)であり、その意味でも「山口と九州を貫く南北軸」の軸線上にある「宇佐」こそ、この南北軸の「要」と詠うに相応しい聖地だと認識するに至ったというわけである。※関連記事・・・「冬の星座」に隠された古代信仰そして最後に、実際に「宇佐」における歴史の現場を訪ねた遺跡群の中で、印象に残る縄文系譜の聖地(三ヶ所)を挙げておこう。(一)紀元前 約3,200年の「宇佐」の聖地(二)紀元前 約2,300年の「宇佐」の聖地(三)紀元前 約2,250年の「宇佐」の聖地