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カテゴリ:暮らし
アメリカの代表的な株価指数のダウ工業株30種平均は、1896年5月26日から算出開始されており、算出開始時からの構成銘柄で今も残っているのは、総合電機・金融会社のGE(ゼネラル・エレクトリック)のみである。
このGE創設者は、大発明家として有名なあのトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)だ。エジソンと日本とは深い関係がある。それはエジソンが発明した白熱電球だ。白熱電球は、長い研究の末、フィラメント素材に京都の竹を用いたことで完成された。京都府八幡市にある男山の竹は、セルロースのフィラメントにとってかわる1894年までの約10年間、「八幡竹(はちまんだけ)」の名で、GEの前身のエジソン電灯会社に輸出された。 創設者がエジソンのGEも日本とは深い関係がある。それは毎日毎日お世話になっている電気だ。 日本では静岡県富士川を境にして、東が50Hzで西が60Hzの周波数が採用されている。昔は周波数は、「サイクル毎秒」(c/s、略して「サイクル」)が使われていたが、1970年代にHz(ヘルツ)に切り替えられた。この東西で異なる周波数の元をたどると面白いことが分かる。 明治19年(1886年)7月5日、日本初の電気事業者として東京電灯会社(現東京電力の前身)が営業を開始する。明治28年(1895年)東京電灯・浅草発電所操業開始。このとき使用したドイツ、AEG製の発電機が50Hzであったのが、東日本標準50Hzとなった。浅草発電所の発電機は、石川島造船所(現IHI)が製作したもので、交流200kw(キロワット)という優れ物だったが、故障が多く、結局、ドイツのAEG製発電機を併用した。この発電機が50Hzであったのが、東日本標準50Hzとなったわけである。 一方、明治20年(1887年)、名古屋電灯、神戸電灯、京都電灯、大阪電灯が相次いで設立される。明治22年(1889年)、アメリカから交流発電機を輸入し、大阪電灯が交流式配電を開始する。この明治22年2月11日に大日本帝国憲法が発布されている。明治30年(1897年)、大阪電灯がアメリカ、GE製の発電機を増設する。この発電機が60Hzであったので、西日本標準60Hzとなったというわけだ。 ドイツのAEG製発電機を製作したAEGとは一体どういう会社なのだろうか。 AEGは、ドイツの電機メーカーで、Allgemeine Elektrizitats-Gesellschaft(アルゲマイネ・エレクトリツィテート・ゲゼルシャフト)の略で、英語訳するとGeneral Electricity Company、となる。どこかで聞いたような名前ではないか。 エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(Edison General Electric Company)とトムソン・ヒューストン・カンパニー(Thomson-Houston Company)の両社が1892年に統合してできた新会社が「ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(General Electric Company)」ではなかったのか。 AEGは1883年創業の会社で、トーマス・アルバ・エジソンの特許を取得したユダヤ人実業家のエミール・ラーテナウが、Deutsche Edison-Gesellshaft(DEG:ドイツエジソン社)を設立し、1887年にAEGに社名を変更したのだ。 AEGは1994年、スウェーデンのストックホルムに本社を置く世界的電機メーカー・エレクトロラックスの傘下となった。それ以降、「AEG」はエレクトロラックスの高級家電ブランドの名称となった。2005年よりブランド名は「AEG-Electrolux」へと変更されている。 GE(ゼネラル・エレクトリック)創設者 トーマス・エジソン、をご覧ください ![]() 大人の科学(新エジソン式コップ蓄音器) ![]() 未来を創るエジソン発想法
Last updated
2009.08.01 15:48:31
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