●「子規居士と女性・本田一杉」について



 先日、俳句文学館で、「ホトトギス」昭和八年四月号で他の記事
 を探しているとき、この本田一杉の論文が目に飛び込んできた。
 若くして病魔に襲われた正岡子規には、看病し続けた母と妹律以
 外に女性の影は無かったように、まだ勉強不足の私は思っていた
 ので、興味深く感じたからであった。が、子規も又、当時の男性
 と同じく傾城で遊んだりしたこともあったらしい。

 論文は、(二)子規居士の初恋、(三)子規居士の句に表はれた
 る女、(四)子規居士と遊び、となっている。以前に発表された
 (一)もあるのかとは思ったが、まだ探さないままである。

 (二)の大部分を紹介させていただいた。

 本田一杉(ほんだいっさん):明治二十七年生まれ。医師。昭和
 九年「ホトトギス」同人となる。ハンセン病療養所を巡り療養者
 の俳句を指導。

(二)子規居士の初恋

 子規居士が、その短い三六年の一生の中で、恋をなし得たかどう
 かといふことは如何にも馬鹿々々しい問題のやうであるが、然し
 よく考へて見ると、実に子規居士の文芸上に於いて、かつ又人間
 性に於いて、相当研究すべき価値のあることと思はれる。
 十七歳にして、松山を出て上京、二十三歳には、すでに喀血して
 いる。日清戦役に従軍して帰ってからは、神戸病院と須磨療院の
 生活となり、帰郷、根岸の庵に入ってより、いよいよ三十歳、病
 臥の人となったので、その間、女に対する問題は、起こりそうに
 も思はれないのである。
 松山人は、由来熱情型と理性型とがあると云はれてゐる。子規居
 士は、その理性型の一人である。然し赤色を好み、八百屋お七の
 戀ーーその天地をもとろかすやうな情火。賢、愚、善悪、人間、
 世間、天地万象、思慮分別の総てを無にし、たゞあるは神の如き
 恋人と、それに付随してゐる火の如き戀ーーを讃へた子規居士で
 ある。もとより熱情の人でもあつたが、これを押し殺すだけの理
 性意志が、より以上に発達し、堅固であったのである。深く熱情
 を蔵して、表さなかったのである。之は一は母性よりの、性格遺
 伝であり、一は幼時に於ける教育、家庭の薫陶の賜であったので
 ある。尚、病身であり、かつ又清貧であったことも、戀に走り又
 は肉を漁ることをゆるさなかったのであろう。子規居士にして、
 恒産を有し、壮健なる体格を有してゐたならば、華美なる、熾烈
 なる、戀を一絵巻が、必ずやその一生涯の一部を、かざったこと
 であろう。 子規居士の親友、その弟子達も子規居士と女とにつ
 いては、多くを語ってゐない。語る材料がなかったのである。
 僅かに、たゞ一つ子規居士の、初恋とも云ふべき問題が知られて
 ゐる。それは二十一年、二十二歳の時、向島長命寺境内の、櫻餅
 屋に脳神経衰弱を保養してゐた時に、宿の娘との間を友人だちに、
 やいやい云はれたことがある。子規居士は、このうはさを非常に
 気にして、「無何有州七草集」を作って、月香楼のいきさつを記
 し、彼の公明正大なることを発表してゐる。子規居士にして見れ
 ば友人からさう云ふうはさを聞くのが、不快であったであろう。
 何事によらず、負けぎらひな子規居士は、僅か一少女のために、
 人々から後ろ指をさゝれることは、堪へられざる恥辱と考へたで
 あらう。或は淡い初恋であったかも知れぬが、風聞を恐れて、そ
 れを清算し、未然に防いだのかも知れない。
(略)
 よしんば、宿の娘に対して、戀を感じたにしろ、それがかく友人
 間にまで、表面化されることは耐ふべからざる、恐るべきことで
 あったであろう。時恰も、脳神経衰弱にかゝってゐたので、彼の
 懊悩したのも、無理からぬことである。
 「戯れに書をかきて女の許へつかはすとて」
 と前書きして
  きみならで誰かに見せんおのれたに
        つたなしと思ふ水茎の跡
 と、三十一文字をならべてゐる。女の許につかはさんといふ、そ
 の女は、即ち宿の娘、お六であったのであらうと想像すると、ま
 んざら子規居士も、心を動かさぬでもなかつたのである。
 「月香楼を去らんとする三日四日前によからぬ噂の聞えしより頭
 の病も何となく重りし心地せらる、されどこゝにとゞまらばいよ
 いよ癒えがたかるべしと思ひ一日も早く都に帰らんと心を定めけ
 る」と前書して
  思ひきやかくまでなれし景色さへ
        今は恨のたねならんとは
  けふこそをかぎりと思へば浅草の
        鏡のひゞきも哀れなりけり
 と歌ってゐるところを見ると、この向島の景色には甚だ心をよせ
 てゐたのであるが、戀の問題が起こっては、今や一日も長居は出
 来ないと、乱るゝ頭脳に、こゝを去ることを決心したのである。
 虚子の「柿二つ」にも、この問題にふれてゐる。勿論「柿二つ」
 は小説ではあるが、然し子規居士の伝記として見ても、間違いの
 ないものである。

 その一節を記すならば

 それから其友人は向島の櫻餅屋の娘の噂をした。
 「あのお六ね。又此頃店に現れてゐるよ。もういくつかねえ。お
 前に九つ下だつたから二十三か。いゝ年なのだが、まだ島田なん
 かに結つて若やいでゐるよ。あれで不思議なものさ。あの頃の話
 をすると今でも初心らしく赤くなるからなあ。」さう云つて、其
 友人は笑つた。彼も青白い顔に愉快な影を漂はせて笑つた。
 其れは彼がまだ大学の帽子を被つてゐる二十四五の時であつた。
 喀血して間もない時で、向島の櫻餅屋の一間を借りて静養旁々一
 夏を読書に過ごした。其頃の彼はまだ其程衰へても居らず制服制
 帽に貴公子然たる風采を具へてゐた。彼は好んで写真を取つたの
 で其頃の物も二三枚は残つてゐるが、僅々数年間に斯く迄に姿が
 変るものかと其等の写真を見たものは執れも現在の彼の憔悴を痛
 ましく思はぬものは無かつた。
 彼は其頃を思ひ出して暫く病床の自分を忘れてゐた。お六といふ
 のは其の櫻餅屋の独り娘で、其頃まだ十五六の少女であつたが、
 其れが彼の友人仲間の岡焼の材料となつた。実際それが其少女の
 初恋といふものであつたかも知れなかつた。彼も流石に心を動か
 さぬではなかつたが、それが友人間の問題になつてゐるのを知つ
 た時、早速其処を引払つたのであつた。其後お六の品行は修まら
 ないで、何処か違ふ男と駆落したといふ噂を聞いた。
 其頃は彼は今日のKの年頃であつた。成程友人の言ふ通り、其頃
 の心持を思ひ出して見ると、病床に唯野心を命に生きてゐる現在
 とは大分相違が無いではないが其れでも尚今日のKの行動には同
 情の余地がなかつた。
 友人は又言葉をついだ。
 「此間も頻りにお前の事を聞いてゐたつけ、さうしてお気の毒で
 すねえ、とか何とか言つて大いに同情してゐたつけ、は、、、、。
 」
 友人は無造作に笑ふのであつた。けれどもさういふ事を聞く彼は
 つらかつた。白い若々しい皮膚と量り知られぬ未来とが女の前に
 無上の権威であつたことを思ひ出すと、流石に其女から憐みを受
 ける今の自分がつらかつた。彼の生命であり誇りである大野心も
 ふと瓦礫に等しい感じがして悲しくなつた。彼は友人と声を合は
 して笑ふことが出来なかつた。

 まづ、これを以て、鋼鉄の如き、雪山の如き理性に勝つ冷たき、
 子規居士の一生に、初恋としての一の華花を添へることも、決し
 て悪いことではないと思ふ。明治の俳聖と仰がるゝ子規居士の初
 恋、その人間味を味ふことは美しく、たのしきことである。
 子規居士を理性型の人とは言ふけれども、それは遺伝により教育
 により、或は家庭の薫陶によって来れるもので、静かなる理性の
 波の下にも、熱情の渦が巻き上がってゐたのである。
 「指かゞなへて十あまり、思へば夢の昔なり」と歌ひ出した、明
 治三十年頃の作、新体詩「おもかげ」を読むに、子規居士がまだ
 十八九歳の頃、見物がてら宮島へ初めて詣でた。波打つ鳥居、潮
 浸す古き回廊を徘徊し、牡鹿雌鹿をなつかしみつつ、一夜を宿に
 とまったのである。その夜半に琵琶を抱き給ふた、うるはしき女
 神に逢った夢を見たのである。醒めて見れば窓の外には、夜半の
 月がかゝってゐた。その日は海辺をたどって、広島へまはり道し
 て、次の日宇品へ下った。その舟の中で「夢に見えにしみめ形、
 ありし女神を其のまゝのをとめ乗りあふらうたけの、をとめうつ
 つおぼつかな、ひとりときめく心よな。」と女神に似たる少女に
 逢ひ、戀ひ慕ったのである。
 病によわり、詩に痩せたる子規居士は十年の後、再びこの広島を
 尋ねて、当年舟を渡した海にでゝ、少女やあると昔を偲んだ。
 「水に宿借る月影も、丸き形を満つれども、薄き光を打ち被ぎ、
 さびしさ破る顔ぞなき、我は昔にさかのぼり、猶もおとめを思ふ
 なり、をとめは今を何処に居て、月や見るらん、子を抱いて。」
 と詩を結んでゐる。舟中の少女、それも前夜夢に逢ひし女神に似
 たる少女を見て、心をときめかしてゐたのも、青年時代の子規居
 士の初恋ではなかつたらうか。
 詩に歌はれたるものを以て、子規居士の真実なりとし、体験なり
 とすることは文芸を鑑賞するものにとつては、危険である。然し、
 十七歳故里を出て遊学の途につくため、宮島をめぐつて、その舟
 の中で逢つた少女とすれば或は事実かも知れない。又、十年の後、
 須磨療養院を出て、故里に帰る時、広島にて当年の戀を思ひ浮か
 べて、舟を浮かべたとすれば、これも事実に近いやうである。然
 しこの詩には「たゞ見る我を距る二間、小山の如き蒸気船、月を
 隠して煙吐く、船に着きぬと声あらく、せかれて心ならねども、
 乗りかへてより、舳櫓、捜せど人はなかりけり、天がけりけん彼
 一人。」と小舟より汽船に乗って見ると、もうすでに、戀の少女
 は何処にも、影も姿も見えなかった。と歌ってゐるところを見る
 と、この詩も一編の架空的のものかもしれないのである。たとひ
 事実にあらずとするも、まづ子規居士が理想とする初恋の女を描
 いたものと、判ずることが出来るのである。
 子規居士には初恋があつた。一は現実的の月香楼の娘との初恋。
 一は霊的の舟中の少女との初恋であつたのである。

 この後で、『子規の回想』(河東碧梧桐)を読んで、更に、興味
 深い箇所があったが、それは、次回に紹介させていただきます。

                (み)



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