2012/07/17(火)09:48
長い、長い時間
「エッセイを書いてみよう」の講座がはじまった。
そのときの様子は、あとで少し記すつもりだけれど、その前に書いておかなければいけないことがある。
このたびのなりゆきについて。
これまでわたしの目の前にあらわれたなりゆきのなかでも、このたびのは「妙(たえ)なる」なりゆきだという気がした。
自分が誰かに、エッセイの指南をする日がくるなど、思ってもみなかった。この話が持ちあがったとき、だから、「へー?」と思った。
——こりゃまた、ものすごいなりゆき。
そう思った。
初めて受講の皆さんのエッセイを読んだ日(講座のAセンターから自宅に送られてきた)、遠くなつかしい光景がよみがえった。
出版社の編集室。
20歳代のわたしの目の前には、いつも仕事が山積みだった。わたしは、勤勉と怠けを織りまぜ織りまぜ、仕事をした。怠けてばかりではだめだということは幼い頃からおしえられつづけていたけれど、勤勉だけでもまた立ち行かぬことは、みずからの経験がおしえた。
当時は、取材も原稿書きも、割りつけ(いまで云うレイアウト)も、校正も、ざっとした云い方になるが、「何もかも」自分でしなければならなかった。それでも、いまのように総合力が重視されていたわけではなく、編集部内で、お互いの不備、不得手のようなものは補いあっていたような気がする。
たとえば、わたしは原稿書きは苦にならなかったが、校正の力はてんでなかった。が、そのあたりのことは、暗黙のうちに了解しあっていたのである。
さて、当時の仕事のなかに、こういうのがあった。
毎号タイトルを決めて読者にエッセイの投稿を募る。送られてきたエッセイをひとつ残らず読み、掲載作品を選ぶ。少し添削して紙面にのせる。というものだった。
このページの担当になったときは気がつかなかったが、はじめてみたら、たのしくてたまらない。会ったこともない誰かさんのエッセイを読むこと、すぐれた作品を選ぶこと、そしてほんの少し手を入れることが、ひと連なりのたのしみになった。後年、編集長から「座談会の仕事をまかせたいから、読者の投稿ページは後輩に譲ったらどうか」と云われたときも、「投稿ページだけは、もう少し担当させてほしい」と懇願した。
何がたのしかったのだろう。
それは……、誰かさんの書いたものが、ほんのちょっと手を入れるだけで、見違えるような文章になるところだった。
いちばんさいごに好物をゆっくり味わって食べるような気持ちで(ただし、食べるときには、わたしはこうはしない。好きなものはとっとと食べてしまう)、読者の投稿ページの仕事は、いつもさいごのさいごにとっておいた。
ほんのちょっと手を入れる。
書きだしを数行うしろに移動させるだけで……、不要な説明を1、2行削るだけで……、不要だがおもしろい説明を際立たせるだけで……、反省することを我慢してもらうだけで……、文章はぐっとよくなる。「ほんのちょっと手を入れ」てもぜんぜんよくならない場合は、その文章になかみがないか、またはわたしには理解できない類いの傑作であるか、のどちらかだ。
雑誌ができ上がってから、「自分のエッセイが掲載されて、どんなにうれしかったことか。気のせいかもしれないが、書いたときより、少しよく見えるのは不思議なばかりだ」というはがきが舞いこむようなときには、小躍りしたものだ。
はじめての講座を(講師の立場で)経験したとき思いだしたのが、このときの小躍りだった。ひとは、長い、長い時間を経て、何かをわかることがある。何かを得ることが、ある。
わたしはこのたび、妙なるなりゆきによって、目の前に好きな仕事を運ばれたのだった。
「エッセイを書いてみよう」の講座でわたしがしたはなしを、少し記しておこうと思う。
文章はどんなものでも、たとえば日記のようなものでさえも、読者を持つという宿命を背負っている。ここに、書くときの覚悟がもとめられる(とわたしは考えている)。
読者の信頼を裏切らない、がっかりさせないという覚悟。
日記も……? もちろん日記も。
未来の自分という読者の信頼を裏切らないと誓うことこそは、最も大事な覚悟かもしれない。というはなしをしたのである。
ある日。
かつての自分を彷彿とさせるような雑誌編集者の長女が、
新聞紙をひろげ、おだやかな顔をして何かをつまんでは、
ぶつぶつと……。
「こんにちは、赤ちゃん」
多肉植物の赤ちゃんを、植え替えているそうです。
赤ちゃんが、親元を巣立ちました。
ここでもまた、
長い、長い時間を経て……ということを
おしえられてしまいました。
多肉植物の赤ちゃんにおしえられ、
救われた日曜日の昼下がり。