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山本ふみこさんのうふふ日記

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profile:山本ふみこ
随筆家。1958年北海道生まれ。つれあいと娘3人との5人暮らし。ふだんの生活をさりげなく描いたエッセイで読者の支持を集める。著書に『片づけたがり』 『おいしい くふう たのしい くふう 』、『こぎれい、こざっぱり』、『人づきあい学習帖』、『親がしてやれることなんて、ほんの少し』(ともにオレンジページ)、『家族のさじかげん』(家の光協会)など。

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2012/07/24
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カテゴリ:生活

 「共働き」ということば、いまもあるのだろうか。 

 この半年、胸のなかで「共働き」ということばが音をたてて鳴っていた。ブリキの塊がふたつ、ぶつかり合うような鈍い音だ。 
 カチカチッ、カチカチッ。 
 ――あ、また(鳴った)。 

 わたしが若いころは、このことばの全盛期だった。 
 短大を卒業するとき(1970年代終わり)、学友たちはほとんど「就職」を希望した。同級生のなかには就職せずすぐに結婚したひともあったが、その場合も結婚に家業を継ぐという一面が組みこまれていた。ともかく職業を、とくに女性の職業を意識する時代だった。
 「就職」は、数年ののちポイント(鉄道の転轍機)を経て「共働き」へと切り替わる。結婚後も仕事をつづけるという線路へ。「共働き」ということばは当時目新しく、女を励ましもし、つよくもしたのだった。
 子どもができると、新たなポイントが待ち受けている。そのまま「共働き」をゆく線路と、「就職」の線路から引きこみ線に入って、「家庭」へと向かう線路とがのびていた。当時はまだ、後者の線路をゆくひとが多い時代だった。
 そのころから考えて、いま、女の人生の選択肢はふえたのだろうか。
 たぶんふえてもいるが、そのじつ、「就職」が幅を利かせ過ぎて、「家庭」に入って腕をふるいたいという生き方が選びにくくなっているような。

 わたしは、「共働き」の道を来た。
 気がついたらその線路を走っていた。ただ、途中のポイントで会社勤めからフリーランスに替わった。
 仕事(職業)は、縁あるものはすべてするという具合にやってきた。その点で単純明解だったと云える。が、家のしごとに関しては考えこむことが少なからずあった。つねに、家のことをもっとしたい、家のことをする時間をふやしたい、と希いつづけてきた。
 その希いはかなえられることもあったけれど、かなえられないこともあった。それでも、そう希っているという立場で暮らしてこられたのは、大きい。わたしの平安はその希いに集約しているというほどに。
 かなえられることもあり、かなえられないこともあるというなか、わたしの平安を保ちつづけてくれたのが夫だった。つまり「共働き」の相方である。たいてい機嫌よく相方として、家のしごとをしてくれたのだった。
 夫のおかげで、わたしは「共働き」ということばを忘れて暮らした。わざわざそのことばを持ち出さなくてもすんでいたからだった。

 カチカチッ。
 「共働き」ということばが音を立てはじめたのは、半年前だった。そのころ、夫は映画の製作のただなかにあった。
 機嫌もわるくなく、顔を合わせれば「久しぶりに『夏目漱石』を読んだんだよ」と話したり、 「靴が壊れたから、買うよ」と云ったり、そういうところはいつもと変わらなかった。
 ただ、だんだんわたしの相方としてはちょっと虚ろなひとになった。正確に云うなら、わたしの「共働き」の相方として。たのめば買いものもしてくれたし、昼の蕎麦も茹でてくれた(家にいるとき、わたしたちは昼は、蕎麦を食べる)。どうしてだろう。わたしはゆっくりと、これまで保たれつづけていた平安が薄れてゆくのを感じていた。 カチカチッ、カチカチッ。 つい先日のことだ。
 「あー。家のこと、ぜんぜん手につかなかったのが、なおったぞ」
 と夫が云う。
 そう云いながら、食器洗いをしている。
 「……」
 「なんだかね、映画のことに浸かって、出てこられなかったんだ」
 「すると、いま、ご帰還?」
 と訊く。
 「映画が完成し、なんとか公開に漕ぎつけたからだろうね。うん、帰ってきた感じ。さっき、家のまわりの蔦も切ってきた。きれいになったぞー」
 目の前のこのひとは、この半年、家のなかにありながら(仕事場も家のなかにある)、家にはいない自分だったと打ち明けているのである。
 「あのさあ、そういうことははっきり云ってくれない? こっちは、カチカチッと、そりゃ大変だったんだから」
 「かちかち山? そりゃ大変だ」
 「ちがう、ちがう。かちかち山じゃない。帰還のときだけじゃなく、いなくなるときも云ってほしかったよ。しばらくいなくなりますって。あ、食器、拭いてくれるの? レッドカーペット敷いてよ。え、レッドカーペットもわからない? レッドカーペットっていうのはね……」


ブログレッドカーペット.jpg
レッドカーペットです。

東日本大震災後、
食器洗い乾燥機の「けんちゃん」が資料保管役に転職した
(『不便のねうち』/オレンジページ刊参照)あと、
台所の「じゅっぷんばたらき」が復活しました。
食後のあと片づけを、みんなそろって10分間でしてしまうと
いう働きのことです。
布巾で拭いたあとの食器をひとまず置く場所にレッドカーペットを
敷くことにしました。
ちょっと置いて、ここから、つぎのひとがしまいます。

レッドカーペットを敷くことにしたのは、ことしの5月。
夫は、レッドカーペットのことを2か月あまり知らずにいたと
いうわけです。

レッドカーペット=
山形国際ドキュメンタリー映画祭(2011年)の手ぬぐい。
映画のフィルムがデザインされています。

ブログ山形映画祭紙バッグ1.jpg
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、2年に一度開かれます。
東日本大震災のあった昨年10月も、開催されました。
同映画祭に参加した夫が、手ぬぐいと、
古新聞紙でつくられた手提げ(映画祭のプログラムと資料を入れ
る)を持ち帰りました。
スタッフが皆で手作りしたという手提げが、
震災を経験したわたしたちの道標(みちしるべ)のように思えて、
いまも、わたしの部屋に飾っています。

ブログ山形映画祭紙バッグ2.jpg
布で編んだ持ち手がついています。
なかには、ほら、ポケットまで。

こんな手提げを生み出す山形国際ドキュメンタリー映画祭に、
来年は行ってみたいと夢見ています。







最終更新日  2012/07/24 09:59:45 AM
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