2013/04/23(火)09:57
切りぬき帖
だらだら薬の効き目だろう(前回の「うふふ日記」を読んでくださると、だらだら薬のことがわかります)、だらだら薬服用の翌日は、からだがだるくなった。
張りつめていた心身がゆるんだゆるんだ。そう思うと、うれしくてならない。幸運にもその日は急ぎの用事が少ししかなかったので、午後から蒲団にくるまった。
目覚めたのは午後5時過ぎで、そのとき初めて枕に頭をのせてから2時間半が経過していることを知った。時間がどこかへ消えてしまったかのような、深い眠りだった。寝つくまでのあいだに読もうと思って携えていた本の表紙に触れることもないまま、たちまちわたしは蒲団の国に到着したらしかった。
睡眠のことを時間旅行のように考えているわたしが、その旅先を「蒲団の国」と呼ぶようになってから、もうずいぶんたつ。
「蒲団の国」のはなしはかつて書いたことがある(『親がしてやれることなんて、ほんの少し』オレンジページ刊)。中学時代に、教科書に載っていた吉行淳之介の短篇小説「童謡」(*1)が、ことのはじまりだ。忘れられない小説だった。
大人になってから、図書館でさがしにさがし、やっとのことで再会したときはうれしかったなあ。わたしが小説の題名を「微熱」とあやまって記憶していたために、みつけるのに手間どった。吉行淳之介全集に収められた「私と教科書」という随筆によって、自分の記憶ちがいを知った。短篇の題名は「微熱」ではなく、「童謡」。
ごく縮めて記すなら、少年が高熱を出し、急激に痩せたかと思うと、こんどは太り、もとに戻るというものがたり。病気という体験を通して、少年は自分から欠落していったもの、あらたに加わったもののあることを感じている……。
本との再会はあまりにもうれしく、それからというものわたしは、眠ることを短篇「童謡」のなかに登場する「蒲団の国」ということばで思うようになった。蒲団なしでも、その国には行ける。ありとあらゆる車中、ありとあらゆるベンチ、ありとあらゆる木の根方、ありとあらゆる……で、わたしはその気になれば、造作なく「蒲団の国」へ行ってしまえる。ときにはその気がなくても眠っているが、その気というのがどんな気なのかは、はっきりしない。その気のあるなしの境目もじつにあいまいで、もしかしたらわたしの拠点は「蒲団の国」にあって、こちら側にやってきているのかもしれないと、考えることがある。
さて、何のはなしをしていたのだったか。
そうだ……。平日の午後2時間半も眠りこけてしまったなど、あまり大きな声で発表できないなと胸の奥で恥じているのだ。わたしはじたばたと、そのことを正当化してみせようとする。「このところ、ちょっと忙しかったからね」とか、「あしたは、うんとがんばるからさ」と、へらっと正当を訴える。誰に訴えるのかと云えば……、もちろん自分に。他人(ひと)にどう思われようとかまわないが、自分の信頼を失うのは困る。判断基準がずれてしまう。
ところで午睡の正当化には、ほら、奥の手、わたしがそも、「蒲団の国」で暮らしていて、こちら側にときどきやってくる存在だというあれもあるのだったな。
2時間の深い眠りからもどってきてみると、からだが軽くなっていて、夫がつくってくれた晩ごはんを食べ、ゆっくり湯につかったあと、なんだか蒲団の国に帰るのが惜しくなった。
——そうだ、あれをしよう。
何年も二つ折りのファイルにはさんではためていた新聞の切りぬきを、整理してスクラップブックに貼りつけようというのである。
こういうのは、なんとかしたいと思いながら、「いずれね」と云ってひきだしの奥にしまいこんでしまう、そういう種類のしごとだ。それを、わざわざ奥のほうから引っぱりだして見直そうというこころは、安定していると云えるのではないだろうか。
だらだら薬、それにつづく午睡の効き目のあらわれにちがいない。
切りぬきを1枚1枚ならべてゆく。すると、過去のわたしの関心の向く方向が知れて、じつにおもしろい。おもしろいと云えば、友人がくれた切り抜き、友人宅でちぎらせてもらった記事が混ざっているところだ。
1枚の切りぬきには、隅っこに「ふんちゃん、部屋の片づけをしたら、これが出てきました。いいでしょ。あげます。Hより」と書いてある(この切りぬきに年月日と新聞名のないことが残念。切りぬきにこれらは不可欠と、思う)。白洲正子(*2)の能のはなし。もっと云えば友枝喜久夫(*3)のことを書いた随筆だ。この切りぬきを持っていることはおぼえていた。自分の行く道を照らす灯(ともしび)のように思ってもいた。が、このようなものと、切りぬき帖のページをめくるだけで対面できるとしたら……。灯がますます明るく、わたしの足もとを照らしてくれることだろう。
切りぬきの整理は、午睡と同じ2時間半で終了。
つぎのめあては、住所録の整理だ。
* 1「童謡」:『吉行淳之介全集 第二巻』所収(吉行淳之介/新潮社)
* 2白洲正子:(1910−1998)随筆家・美術評論家。能は4歳のころから親しみ、関連の著書も多数ある。
* 3友枝喜久夫:(1908−1996)友枝家は熊本藩主細川家お抱えの能楽師の家筋。晩年に目を病み、1990年「景清」をさいごに能舞台かあらは退くが、謡や仕舞いはつづけ、最晩年まで現役だった。
切りぬき帖。
いろいろ考えて、B5判のサイズの紙が貼れる
スクラップブックを選びました。
切りぬき帖づくりは、いまのわたしにとても効きました。
こころが軽くなりました。
(この切りぬき帖は、わたしがこの世から旅立ったあと、
誰かに譲ってもかまわない。……そんなようなものでもあるなと
思います。日記や写真帖は譲れませんけれどね)。