693086 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

山本ふみこさんのうふふ日記

全300件 (300件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 30 >

生活

2014/03/04
XML
カテゴリ:生活

 前回、友人の有り様(よう)を「変態」、「変態」と書いていたら、すっかり変態づいてしまった。何を見るにも、「変態」を想像する。すれ違う散歩の犬さんに「変態は?」と訊いて吠えられる。
 われながら頓狂(とんきょう)なことである。これはきっと、わたし自身の「変態願望」である。
 ひとは願望を持つだけで、そこへ近づくもののようだ。

 願望を持つだけでそこへ近づくものだとすると、願望の持ち方には気をつけないといけないことになる。そこで、わたしはしばし、「変態」に願望を持つことはどうだろうかと考える。
 ……いいんじゃないかと思えた。
 「変態願望」を持つことを支持したい。そう思った。
 とは云え、とつぜんひと皮剥ける(脱皮である)わけはなく、また、あたらしい手足が生えてくるわけではない。
 つまらないなあ……。
 ヘビやカエルの向こうを張って、これまでのわが変態を省みるうち、そんな時期には、がらりとあたりの風景が変わることがあったのに思い当たった。気がつくとまわりの人間関係が変わっていたとか、仕事の内容が変化していたとか。みずからの「変態願望」は支持したいが、大がかりな変化を受け入れる覚悟はあるのかと問われたら、威勢よく「ありますとも」とは答えにくい、いま。
 「ちょっとならありますとも」、「少しずつなら、かまわないです」というのが正直なところだ。
 そういうわけなので、いつものやり方を少し変えることにしてみた。
 
 遠まわりをして目的地まで行く。
 甘いものを食べる。
 ヒョウ柄の服を買う。
 仕事の順番を変える。
 夜道でスキップする。

 やり方を少し変えるだけで、ふだんしないことをしてみることで、「変態」とまではゆかないものの、自分の殻を壊す練習ができたような。


 
ブログ梅のつぼみ.jpg
庭の梅の、蕾。
雨上がりの様子です。
花の色は、薄紅。
梅は褒められようとして咲くのでなく、
「変態願望」なんかというおかしな考えも持たず、
ただひたすらに咲くのです。







最終更新日  2014/03/04 09:35:23 AM
コメント(35) | コメントを書く

2012/07/31
カテゴリ:生活

 久しぶりに思いだした「共働き」ということばが、目の前でくるくる踊っている。 
 とつぜん、「くるみ割り人形」(チャイコフスキー作曲)第3曲「金平糖の踊り」が耳の奥で鳴りはじめた。好きな曲だ。その不思議な旋律がのなかで、ことばが踊る。
 「共働き、共働き、共働き」と踊るのだ。

 「共働き」ということばは、記憶の底から、就職、主婦(母親)業と職業の両立というイメージとともに浮かび上がってきた。 
 そして「共働き」が置かれてみると、どうだろう。このことばが持つ奥行きに、わたしはしばらくのあいだ驚かされつづけることとなる。

   ウチは「完全分業制」です。
   けれど夫は、洗濯ものをたたむのはていねい。これは見習わないと……。

   いま、夫の仕事を少し手伝いながら家事を主にしています。
   こういう共働きもありなんやなあと、思います。

 上記は、わたしが書いた「共働き」のはなしを読まれた読者の、たより2通のうちの、それぞれ一節。
 これを読んで、はっとした。
 まず、ひとつめの「完全分業制」なることばの前でしばしぼんやりする。
 ——なんだろう、完全分業制って。料理はわたし、掃除はあなたという分業だろうかしら。
 と考えたりした。
 やっとそれがいわゆる職業を持つ夫、専業の主婦である妻のことだわかったとき、自分の勘違いが「共働き」ということばの解釈の門をひろげているのに気がついた。そこに、ふたつめの「こういう共働きもあり」という一節が待っていてくれたのだった。
「共働き」が、夫婦が共に働いて一家の生計を立てる(「共稼ぎ」に同じ)意味だけでないという解釈に導かれていたのである。役割分担はどうあれ、暮らしを立ててゆくお互いは、すべて「共働き」なのだと。
 気づいたというよりも、思いだしたのかもしれない。いずれにしても、「暮らしを立ててゆくお互いは、すべて共働き」という明快な1行が胸に刻まれて、わたしはすっきりとして、うれしい。
「暮らしを立ててゆくお互いは、すべて共働き(この場合は、ひらがなで「ともばたらき」と書くとしよう)」は、ひとつ屋根の下で暮らす誰も彼もに、もちろん子どもたちにも伝えなければならないし、それぞれがみずからに問うて確認しておく必要もあるだろう。
 後者の、みずからに問うておくというほうは、ひとひとり暮らしてゆく上での整理とも、決心とも云えるだろう。
 ひとり暮らしのひとも例外ではない。むしろ、いっそうはっきりとした整理やら決心やらが必要になるような気さえする。

 その日1日の予定を追いかけ、あるいは追いかけられながら、ときどきわたしはうんざりする。整理もせずに予定を抱えこもうとするくせに決心不足。そのことがわたしをうんざりさせるのだ。
 その上わたしは、1日のはじめにみずからの予定と対面するとき、つい気後れするような質(たち)である。

 ——全部やりきれないかもしれない。
 ——夕方、機嫌よく台所に立っていられるだろうか……。

 何と云うか、弱腰。
 これまで何とかやってきた実績や、経験が身につけてくれた実力はあるはずなのだ。たとえそれらが頼りないものであったとしても、予定を前に、いちいち気後れするには当たらない。
 これは、おそらくわたしに省エネ機能がついていないせいなのだ。
 順番もなく、大小の区別もなく、はたまた公私の区別もなく、目の前の予定と向きあうたび、同じだけのエネルギーを放出。というわけなので、1枚のはがきを書くだけで……、メールに返信するだけで……、玄関先にやってきた「○○を買ってください」というひとに帰っていただくだけで……汗だくになっていることも少なくはない。なんとかしてこういうのを長所として証明してみせたいが、ほんとうは自覚している。ただただ不器用なのだ。
 だから、1日にいくつも予定をこなし、あちらへも出かけ、こちらの人助けもする、というようなひとに会うと、もうもう、縮み上がる。こんなふうに縮み上がるときにも相当なエネルギーを使う。もっと静かにそっと畏れ入ればいいのに。

 こんなにも不器用な自分自身とわたしも、「ともばたらき」なのだと思う。
 ——もう少し自信を持って、さりげなく頼みます。  

 

ブログがんもどき.jpg
この夏凝っているのが、これ、
がんもどき作りです。
こういうしごとは、わたしにやすらぎを
与えてくれます。

     *

〈がんもどき〉
木綿豆腐(布巾に包んで重しをして、水をきる)……………2丁
にんじん、ごぼう、ひじき(※)、枝豆など…合わせて100gくらい
山芋(すりおろす/なければ卵1個と片栗粉小さじ2)…大さじ2
砂糖……………………………………………………………
小さじ1
塩………………………………………………………………
……少し
揚げ油、しょうゆ、辛子
………………………………………適宜
※ひじきを加えるときは洗ってもどす。芽ひじきはそのまま、
 長ひじきはきざむ。

(1)木綿豆腐をすり鉢ですり、山芋と、調味料を加えてさらにする。
(2)具(みじん切り)も加えてする。
(3)食べやすい大きさにまるめ、油で揚げる(170℃くらい)。
※しょうゆと辛子を添えて。
※つくり方の
(1)(2)の工程は、フードプロセッサーを使ってもよいでしょう。
※こうしてつくったがんもどきが残ったら、翌日含め煮に。
 でも、残ったことはありません。……残念。







最終更新日  2012/07/31 12:57:05 PM
コメント(34) | コメントを書く

2012/07/24
カテゴリ:生活

 「共働き」ということば、いまもあるのだろうか。 

 この半年、胸のなかで「共働き」ということばが音をたてて鳴っていた。ブリキの塊がふたつ、ぶつかり合うような鈍い音だ。 
 カチカチッ、カチカチッ。 
 ――あ、また(鳴った)。 

 わたしが若いころは、このことばの全盛期だった。 
 短大を卒業するとき(1970年代終わり)、学友たちはほとんど「就職」を希望した。同級生のなかには就職せずすぐに結婚したひともあったが、その場合も結婚に家業を継ぐという一面が組みこまれていた。ともかく職業を、とくに女性の職業を意識する時代だった。
 「就職」は、数年ののちポイント(鉄道の転轍機)を経て「共働き」へと切り替わる。結婚後も仕事をつづけるという線路へ。「共働き」ということばは当時目新しく、女を励ましもし、つよくもしたのだった。
 子どもができると、新たなポイントが待ち受けている。そのまま「共働き」をゆく線路と、「就職」の線路から引きこみ線に入って、「家庭」へと向かう線路とがのびていた。当時はまだ、後者の線路をゆくひとが多い時代だった。
 そのころから考えて、いま、女の人生の選択肢はふえたのだろうか。
 たぶんふえてもいるが、そのじつ、「就職」が幅を利かせ過ぎて、「家庭」に入って腕をふるいたいという生き方が選びにくくなっているような。

 わたしは、「共働き」の道を来た。
 気がついたらその線路を走っていた。ただ、途中のポイントで会社勤めからフリーランスに替わった。
 仕事(職業)は、縁あるものはすべてするという具合にやってきた。その点で単純明解だったと云える。が、家のしごとに関しては考えこむことが少なからずあった。つねに、家のことをもっとしたい、家のことをする時間をふやしたい、と希いつづけてきた。
 その希いはかなえられることもあったけれど、かなえられないこともあった。それでも、そう希っているという立場で暮らしてこられたのは、大きい。わたしの平安はその希いに集約しているというほどに。
 かなえられることもあり、かなえられないこともあるというなか、わたしの平安を保ちつづけてくれたのが夫だった。つまり「共働き」の相方である。たいてい機嫌よく相方として、家のしごとをしてくれたのだった。
 夫のおかげで、わたしは「共働き」ということばを忘れて暮らした。わざわざそのことばを持ち出さなくてもすんでいたからだった。

 カチカチッ。
 「共働き」ということばが音を立てはじめたのは、半年前だった。そのころ、夫は映画の製作のただなかにあった。
 機嫌もわるくなく、顔を合わせれば「久しぶりに『夏目漱石』を読んだんだよ」と話したり、 「靴が壊れたから、買うよ」と云ったり、そういうところはいつもと変わらなかった。
 ただ、だんだんわたしの相方としてはちょっと虚ろなひとになった。正確に云うなら、わたしの「共働き」の相方として。たのめば買いものもしてくれたし、昼の蕎麦も茹でてくれた(家にいるとき、わたしたちは昼は、蕎麦を食べる)。どうしてだろう。わたしはゆっくりと、これまで保たれつづけていた平安が薄れてゆくのを感じていた。 カチカチッ、カチカチッ。 つい先日のことだ。
 「あー。家のこと、ぜんぜん手につかなかったのが、なおったぞ」
 と夫が云う。
 そう云いながら、食器洗いをしている。
 「……」
 「なんだかね、映画のことに浸かって、出てこられなかったんだ」
 「すると、いま、ご帰還?」
 と訊く。
 「映画が完成し、なんとか公開に漕ぎつけたからだろうね。うん、帰ってきた感じ。さっき、家のまわりの蔦も切ってきた。きれいになったぞー」
 目の前のこのひとは、この半年、家のなかにありながら(仕事場も家のなかにある)、家にはいない自分だったと打ち明けているのである。
 「あのさあ、そういうことははっきり云ってくれない? こっちは、カチカチッと、そりゃ大変だったんだから」
 「かちかち山? そりゃ大変だ」
 「ちがう、ちがう。かちかち山じゃない。帰還のときだけじゃなく、いなくなるときも云ってほしかったよ。しばらくいなくなりますって。あ、食器、拭いてくれるの? レッドカーペット敷いてよ。え、レッドカーペットもわからない? レッドカーペットっていうのはね……」


ブログレッドカーペット.jpg
レッドカーペットです。

東日本大震災後、
食器洗い乾燥機の「けんちゃん」が資料保管役に転職した
(『不便のねうち』/オレンジページ刊参照)あと、
台所の「じゅっぷんばたらき」が復活しました。
食後のあと片づけを、みんなそろって10分間でしてしまうと
いう働きのことです。
布巾で拭いたあとの食器をひとまず置く場所にレッドカーペットを
敷くことにしました。
ちょっと置いて、ここから、つぎのひとがしまいます。

レッドカーペットを敷くことにしたのは、ことしの5月。
夫は、レッドカーペットのことを2か月あまり知らずにいたと
いうわけです。

レッドカーペット=
山形国際ドキュメンタリー映画祭(2011年)の手ぬぐい。
映画のフィルムがデザインされています。

ブログ山形映画祭紙バッグ1.jpg
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、2年に一度開かれます。
東日本大震災のあった昨年10月も、開催されました。
同映画祭に参加した夫が、手ぬぐいと、
古新聞紙でつくられた手提げ(映画祭のプログラムと資料を入れ
る)を持ち帰りました。
スタッフが皆で手作りしたという手提げが、
震災を経験したわたしたちの道標(みちしるべ)のように思えて、
いまも、わたしの部屋に飾っています。

ブログ山形映画祭紙バッグ2.jpg
布で編んだ持ち手がついています。
なかには、ほら、ポケットまで。

こんな手提げを生み出す山形国際ドキュメンタリー映画祭に、
来年は行ってみたいと夢見ています。







最終更新日  2012/07/24 09:59:45 AM
コメント(26) | コメントを書く

2012/07/17
カテゴリ:生活
 「エッセイを書いてみよう」の講座がはじまった。 
 そのときの様子は、あとで少し記すつもりだけれど、その前に書いておかなければいけないことがある。 
 このたびのなりゆきについて。 
 これまでわたしの目の前にあらわれたなりゆきのなかでも、このたびのは「妙(たえ)なる」なりゆきだという気がした。 
 自分が誰かに、エッセイの指南をする日がくるなど、思ってもみなかった。この話が持ちあがったとき、だから、「へー?」と思った。 
 ——こりゃまた、ものすごいなりゆき。
 そう思った。

 初めて受講の皆さんのエッセイを読んだ日(講座のAセンターから自宅に送られてきた)、遠くなつかしい光景がよみがえった。
 出版社の編集室。
 20歳代のわたしの目の前には、いつも仕事が山積みだった。わたしは、勤勉と怠けを織りまぜ織りまぜ、仕事をした。怠けてばかりではだめだということは幼い頃からおしえられつづけていたけれど、勤勉だけでもまた立ち行かぬことは、みずからの経験がおしえた。
 当時は、取材も原稿書きも、割りつけ(いまで云うレイアウト)も、校正も、ざっとした云い方になるが、「何もかも」自分でしなければならなかった。それでも、いまのように総合力が重視されていたわけではなく、編集部内で、お互いの不備、不得手のようなものは補いあっていたような気がする。
 たとえば、わたしは原稿書きは苦にならなかったが、校正の力はてんでなかった。が、そのあたりのことは、暗黙のうちに了解しあっていたのである。
 さて、当時の仕事のなかに、こういうのがあった。
 毎号タイトルを決めて読者にエッセイの投稿を募る。送られてきたエッセイをひとつ残らず読み、掲載作品を選ぶ。少し添削して紙面にのせる。というものだった。
 このページの担当になったときは気がつかなかったが、はじめてみたら、たのしくてたまらない。会ったこともない誰かさんのエッセイを読むこと、すぐれた作品を選ぶこと、そしてほんの少し手を入れることが、ひと連なりのたのしみになった。後年、編集長から「座談会の仕事をまかせたいから、読者の投稿ページは後輩に譲ったらどうか」と云われたときも、「投稿ページだけは、もう少し担当させてほしい」と懇願した。
 何がたのしかったのだろう。
 それは……、誰かさんの書いたものが、ほんのちょっと手を入れるだけで、見違えるような文章になるところだった。
 いちばんさいごに好物をゆっくり味わって食べるような気持ちで(ただし、食べるときには、わたしはこうはしない。好きなものはとっとと食べてしまう)、読者の投稿ページの仕事は、いつもさいごのさいごにとっておいた。
 ほんのちょっと手を入れる。
 書きだしを数行うしろに移動させるだけで……、不要な説明を1、2行削るだけで……、不要だがおもしろい説明を際立たせるだけで……、反省することを我慢してもらうだけで……、文章はぐっとよくなる。「ほんのちょっと手を入れ」てもぜんぜんよくならない場合は、その文章になかみがないか、またはわたしには理解できない類いの傑作であるか、のどちらかだ。
 雑誌ができ上がってから、「自分のエッセイが掲載されて、どんなにうれしかったことか。気のせいかもしれないが、書いたときより、少しよく見えるのは不思議なばかりだ」というはがきが舞いこむようなときには、小躍りしたものだ。

 はじめての講座を(講師の立場で)経験したとき思いだしたのが、このときの小躍りだった。ひとは、長い、長い時間を経て、何かをわかることがある。何かを得ることが、ある。
 わたしはこのたび、妙なるなりゆきによって、目の前に好きな仕事を運ばれたのだった。

「エッセイを書いてみよう」の講座でわたしがしたはなしを、少し記しておこうと思う。
 文章はどんなものでも、たとえば日記のようなものでさえも、読者を持つという宿命を背負っている。ここに、書くときの覚悟がもとめられる(とわたしは考えている)。
 読者の信頼を裏切らない、がっかりさせないという覚悟。
 日記も……? もちろん日記も。
 未来の自分という読者の信頼を裏切らないと誓うことこそは、最も大事な覚悟かもしれない。というはなしをしたのである。


ブログ多肉植物1.jpg
ある日。
かつての自分を彷彿とさせるような雑誌編集者の長女が、

新聞紙をひろげ、おだやかな顔をして何かをつまんでは、
ぶつぶつと……。
「こんにちは、赤ちゃん」
多肉植物の赤ちゃんを、植え替えているそうです。


ブログ多肉植物2.jpg
赤ちゃんが、親元を巣立ちました。

ここでもまた、
長い、長い時間を経て……ということを
おしえられてしまいました。
多肉植物の赤ちゃんにおしえられ、
救われた日曜日の昼下がり。








最終更新日  2012/07/17 09:48:45 AM
コメント(31) | コメントを書く

2012/07/10
カテゴリ:生活
 玄関で足先を、靴のなかにすべりこませるとき、何か云わなくてはならないような気がした。出かける前の約束という意味で。
 「きょう、たのしみに出かけてゆくことにしない? わくわくと。ね」
 「ああ。ぼくは、もう、たのしいよ。小さな旅だと思っている」 
 隣りで靴を履いていた夫が云う。 
 最寄り駅で友人のマリ子さんと待ち合わせて3人、熱海に出かける。熱海から車で20分ほどの、山のなかの家に男(ひと)を訪ねようというのである。 
 夫とわたしにとって大事な友人、マリ子さんにいたっては加えて幼なじみでもあるこのひとは、昨年、東京から静岡県にうつってひとり暮らしをしている。長年、忙しい上にも忙しいというほどの生活をしてきたのだが、50歳を目前に思いきってその生活をたたみ、あらたな一歩を踏み出したのだった。
 あまりの潔さに驚かされながら、彼のした決断に拍手を送りたくもあり、いささかうらやましさも感じていた。
 ときどき東京にやってきて、地元のおいしいものを届けてもらうなか、あたらしい仕事のはなしも聞いた。
 その彼が倒れて、緊急の手術を受けたことを知ったのは、6月のことだった。手術は成功し、あっという間に退院したものの、退院後のひとり暮らしには困難があり、この先の治療の方針も決めかねているらしかった。

 3人で出かけるのは、見舞いなのである。
 入院中にも彼を見舞っているマリ子さんから、いちばん大変だった時期のはなしを聞き、想像もしてこの日を迎えた。ほんとうのところ、胸のなかには重たい石が置かれている。それでも、たのしみに出かけてゆきたいと思わせるものは、彼とわたしが共通して持っている質(たち)だ。わたしが同じ立場だったら、そんなときだからこそ呑気にやってきてほしいと希うだろう……彼もそうにちがいないのだった。
 タクシーで坂道を上がってゆくと、道の傍らに、そのひとは待っていた。赤いポロシャツが緑のなかに映える。
 「ここからの道が、わかりにくいからね」
 と云いながら彼はタクシーに乗りこみ、その案内のもと家までの最後の急勾配を上がる。
 --少し痩せたな。だけど……、思いのほか元気そうだ。
 家に着くなり、手術のとき内視鏡で写しとった腸内の腫瘍の写真を見せられる。大きな腫瘍だったが、それは手術で全部取ることができたという。おもしろ可笑しく語るのを聞いて、笑う。大きな声であははと、笑う。
 男ふたりを残し、マリ子さんとわたしは彼の愛犬ゴンと散歩に出る。ゴンは14歳、老犬である。歩きつづけると、疲れるのだろう。立ち止まってつぶらな瞳でわたしたちを見上げる。瞳に負けて、ときどき抱いて歩く。おそらく8キロくらいだろう。犬をかつぎ上げての山道の散歩は楽ではなく、さらには、迷子になりかかる。
 「ここ、どこだろうね」
 「ここ、どこかしらね」
 と、頼りなくことばを交わしていると、目の前に黒い富士山があらわれた。曇り空に浮かぶかたちで、いきなり、にゅうっと。マリ子さんとわたしは、立ちすくみ、ゴンもつきあって立ちすくみ、息をのんでいる。
 「鳥肌が……たった」
 「怖いくらいのうつくしさだね」
 家にたどりつき、持ってきた弁当で昼食をとる。
 弁当のご飯だけ、彼のはお粥にする。
 車で、下の町まで買い出し。
 大根と梅干しがほしいと云う。それに、うなぎの蒲焼き、佃煮、納豆、温泉卵を加えて買う。
 家に帰って、マリ子さんはもう一度ゴンの散歩に出かける。夫は掃除。
 「茄子の焼きびたしと、ポテトサラダをつくって」
 と頼まれる。
 初めての台所で料理というのは、緊張する。
 鍋を出し、戸棚の調味料を使って、勝手にどんどんゆく。焼きびたしというのは、ええと、と一瞬考えこむが、ガス台のグリルで焼いて、皮をむいて煮ることとする。新じゃがなので、皮つきポテトサラダにし、玉ねぎを加える。料理をはじめると、たのしくなってくる。モノが多過ぎず、整理された使いやすい台所。
 さいごに夫とふたりで、手術のあとの長さ30cmもあろうかという傷を見せてもらう。胃から腸にかけての傷。途中、おへそを迂回した傷になっている。
 「おへそは、避けるんだね」
 「そうなんだよ、おへそって、やっぱり大事なんだなあと思ったよ」
 熱海まで、彼に車で送ってもらう。
 送り迎えつきなど、見舞いとしては落第だが、それでよし。

 新幹線の乗客になり、3人で云う。
 「きょうは、たのしかったね」
 「ほんとうに、いい日だった」
 「うん、うん」

 彼のいまの生活には、悲しみや不安が透けて見える。にもかかわらず、その一部分をともにして、つくづく思う。
 佳き日とは、こういう日のことをいうのだなあ。

ブログちらし寿司.jpg
友人の食生活の助けにと、
・小松菜と厚揚げの煮びたし
・根菜煮なます(れんこん、大根、にんじん、干ししいたけ)
・ひじきの煮もの(にんじん、油揚げ)
・かぶのあちゃら漬け
をつくって持って行きました。

つぎは、これをつくって運ぼう……と思いながら
台所に立つ日がつづきそうです。
こんな思いは、離れた場所からの声援になると、
信じようと思います。
昨日は、五目寿司の声援。







最終更新日  2012/07/10 01:26:09 PM
コメント(40) | コメントを書く

2012/07/03
カテゴリ:生活

 「もしもあなたに、これから3か月好きに使っていい時間が与えられたら、何に使いますか?」 

 --へええ、3か月も? 
 折しも電車の座席に腰をおろしていたわたしは、膝の上に詰め将棋の本を開いたまま、うとうとしていた。いくら考えても詰めず、あせっているうちにまぶたが落ちてしまったらしい。耳に「もしもあなたに……」という、くだんのささやきが飛びこんできたのは、そんなときだ。 
 わたしの隣りに坐っている若い女(ひと)に向かって、目の前で吊り革につかまり立っている友人らしい女(ひと)がかけた問いだった。
 「もしもあなたに、これから3か月好きに使っていい時間が与えられたら、何に使いますか?」
 わたしは寝ぼけ眼(まなこ)ながら、みずからに問われたかのように、聞いているのである。
 3か月という自由な時間は、誰にとっても夢のような贈りものだという気がした。咄嗟に考えただけでも、わたしにも少なくとも9人はそれを贈りたい友人が、ある。そして、こっそり自分の分も確保したい。
 と、舞い上がりかけたけれど、数秒ののち、われに返る。
 ふわっと浮き上がったお尻がゆっくり座席に沈んでおさまった。最近の電車の座席には、臀部のおさまりのいいように凹みをつけて(バケットシートというらしい)設計されたものがある。凹みの数が定員数を示してもいて、「ここには全部で7つのお尻がおさまりますよ」という警告にもなっている。
 お尻を浮かせた数秒のあいだにわたしが頭に描いたのは、昼寝、読書、散歩、山歩き、そしてまた昼寝(どれだけ昼寝が好きなのだか)だった。
 が、それをのべつまくなししているところを想像するなり、答えが出た。
 --いらないや。
 いらないや、とは、せっかく手に入りかけた(?)3か月を返上することを意味する。昼寝、読書、散歩、山歩き、そしてまた昼寝は、どれも、いつもの暮らしのなかに割りこませることができるか否かという抜き差しならなさのなかにあって、初めて輝くものだからだ。そればかりしていたのでは、意味も、値打ちも、輝きも半減してしまうだろう。
 そしてもしも、うっかり3か月を受けとってしまったなら、わたしは、いつも通りに暮らしたい。
 「好きに使っていい時間」と云うけれど、それはいつも(いまも)与えられていて、わたしは好きなようにやっていると思えるもの。
 --なんだ、わたしがもらいつづけている贈りもののはなしじゃないの。
 と、呆気ない夢ものがたりの結末にしみじみしていると、お隣りの問いは進んでいる様子。
 「過去にもどれるとしたら、いつにもどりますか? もどったそこで何をしたいですか?」
 という問いが、あらたに聞こえてきた。
 ふたたび、みずからに問われたかのように、聞く。 
 そして、こころのうちで叫ぶ。座席からはお尻が浮き上がっている。
 --小学3年生! そこで、将棋をおぼえたい!

ブログ鰯の梅干し煮.jpg
ふたつの問いに、翻弄された電車から降りた家までの道の途中、
スーパーマーケットで、きれいな鰯(いわし)と目が合いました。
一度、通り過ぎたのですが、また、もどりました。
こういう魅力的な出合いをなかったことにするのなんかは、
時間を与えられている意味をわかっているとはとてもいえないと
思いなおして……。

〈鰯の煮つけ〉
材料
 鰯(1尾50gとして)………………………………………5~6尾
 塩………………………………………………………………少し
 酢………………………………………………………………50cc
 しょうが(半分は薄切り、半分はせん切りに)………1片
 合わせ調味料 
  砂糖………………………………………………………大さじ1
  しょうゆ、酒、水……………………………………各大さじ2
 梅干し…………………………………………………………1個

(1)鰯の頭を切り落とし、わたをとってよく洗う。
(2)鍋に、鰯がかぶるほどの水(分量外)と酢を入れて火にかけ、
  煮立ったら鰯を入れて、1~2分煮る。煮汁は捨てる。
(3)鍋に、合わせ調味料と薄切りにしたしょうがと梅干しを入れて煮立て、
  鰯を入れて煮る(中火)。煮汁がなくなる寸前まで煮る。
(4)器に盛りつけ、せん切りのしょうがをのせる。
※ほかの青い魚の煮つけも、この方法で煮ると、さっぱりと仕上がります。

〈お知らせ〉
『毎日の手紙のようなお弁当』(PHP研究所/1400円)を刊行しました。
弁当をつくってきた16年間のまとめみたいな本になりました。
どこかでご覧いただけましたら……。                  ふ








最終更新日  2012/07/03 09:46:21 AM
コメント(40) | コメントを書く

2012/06/26
カテゴリ:生活

 「こういうのも、再会と呼べるかな」 
 とつぶやいたとき、悟った。 
 それは、たしかに再会にちがいなかった。 
 ある日曜日。 
 友人宅に夫とふたりで招かれ、おいしいランチをごちそうになる。目の前で夫人の宣子さんが手まり寿司をこしらえ、夫君T氏がハンバーグステーキをこねてまるめて焼くまでを眺める。この光景も、ごちそう。
 手まり寿司は、宣子さんがお母さまから受け継いだものだという。
 「母がよくつくってくれたの。きれいだし、おいしいし、大好き」
 ハンバーグ当番のT氏は、この日の朝、気に入りの肉屋に行って牛肉を挽いてもらってきたそうだ。畏れ入る。ソースは、ケチャップと中濃ソースを混ぜたもの。
 「ソース、格好つけたかったんだけど、いつも通りがいいと思ってね」
 と云う。
 いいところを見せようととくべつなことをして失敗、という図式は、わたしにも経験がある。いつも通りがいい。

 そら豆(莢ごと焼いてある)。
 チーズ数種とオリーブの実。
 サラダ。
 吸いもの(みつば、手まり麩)。
 手まり寿司(いくら、炒り卵、きざみ青菜など)。
 バゲット。
 ハンバーグステーキ マッシュポテト添え。
 杏仁豆腐。

 「珈琲はテラスで」
 というT氏の声で、陽当たりのいい居間を横切って移動する。
 宣子さんがひょっと足を止め、何かを持ち上げながら云う。
 「これ、この春いただいた花束のいまの姿なの。いいでしょう」
 見れば、ドライフラワーだ。鮮やかさをとどめた不思議な乾燥花。

 ことし2月19日、夫とわたしは「文京シビックホール」(東京都文京区)で上演されたオペラ「ランメルモールのルチア」の観客になっていた。
 宣子さん所属の区民参加オペラ「CITTADINO歌劇団」による舞台だ。CITTADINOとは、イタリア語で「市民」という意味。
 昨年の「椿姫」(ヴェルディ作曲)がわたしたちの、区民参加オペラCITTADINO歌劇団初鑑賞だった。そのときの感動は、たちまち1年1回のたのしみを授かった感謝へとつながり、わたしたちはことしの公演を指折り数えて待つに至った。
 「ランメルモールのルチア」の舞台にもまた、「椿姫」に劣らぬ悲劇的な愛の世界がひろがっていた。ひとという生きものに宿る「愛」の深さ、運命とのかかわりは、それを座席で受けとめるこの身に、息さえつかせない。

 上演から10日あまりが過ぎたころ、宣子さんにお礼の気持ちをこめて小さな花束を贈った。そのときの花束が、ドライフラワーになってこうして目の前にあらわれた。再会である。
 おいしいランチも、たのしい会話も何もかもすばらしかったけれど、この再会が、もうひとつよろこびを加えてくれたかたちだった。ただのよろこびではなかった。花束との再会は、わたしにしきりに何かをおしえようとしている。……何だろう、何だろう、何をおしえてくれようとしているのだろう。帰り道、夫の傍らで視線を低くして歩きながら、考えている。

 わたしたちには、そのとき起こっていることしか見えていない。たったひとつの小さな花束の行く末すらわからない。のちのちのことを知ることは、許されていないのだ。
 のちのちのことを見通せなくとも、わたしたちには、信の領域があるのではないか。
 信の領域。それは、未来を信じること。
 いま起きていることが、如何なる苦しみ、如何なる悲しみのなかにあったとしても、信じること。苦しみ、悲しみが力を与え、その力が拓き、導く未来の到来を信じること。

ブログドライフラワー.jpg
これが、再会の花束です。
なんだか、何かを語っているようでしょう?


ブログアイビーの根.jpg
ことし2月、若い友人の結婚披露宴で、
卓上花を、包んでいただきました。
花たちは驚くほど長く元気でいたのですが、
やがて枯れました。が、アイビーから根が出ていたのです。
小さな植木鉢に植えつけ、新婚の友人夫妻に贈ろうと思います。
わたしが贈りたいのは……、再会。

         
〈お知らせ〉
6月30日(土)、映画「オロ」が公開されます(渋谷ユーロス ペース※)。
監督:岩佐寿弥 プロデューサー:代島治彦 撮影:津村和比古 
音楽:大友良英 絵・題字:下田昌克 編集:代島治彦 整音:滝 澤修 
通訳・コーディネーター:ツェワン・ギャルツェン ボランチ:南椌椌 
制作・配給:スコブル工房 企画・製作:オロ製作委員会
2012年/108分/日本/チベット語・日本語/HD/カ
ラー・ステレオ/日本語字幕付き

夫・代島治彦(本ブログの写真係でもある)が製作と編集を担当 しました。
映画の主人公オロは、6歳のときチベットから亡命。
現在イ ンド北部の町ダラムサラで、
チベット亡命政府が運営する「チベッ ト子ども村」に寄宿し、学んでいます。
オロ少年の置かれている状況は、あまりにも厳しく、悲しい……。
が、その姿は、この多難な 時代を生きる「地球上のすべての少年少女」
(福島第一原発事故により、避難を余儀なくされた少年少女も!)に
共通するものです。 少年少女の未来を灯すこの映画を、
子どもたちとともにも観ていただけたら、と希っています。
なお、今回の「のちのち」に登場のT氏は、
この映画の撮影 を担当した津村和比古氏です。
そのうつくしい映像も必見です。
※渋谷ユーロスペースから上映がはじまりますが、
 その後、全国に上映の輪がひろがる予定です。
 映画「オロ」のホームページ参照。








最終更新日  2012/06/26 11:43:45 AM
コメント(33) | コメントを書く

2012/06/19
カテゴリ:生活

 たったいま下りてきたばかりの階段を、1段飛ばしで駆け上がる。 
 大急ぎ、洗濯ものをとり入れて、家のなかに干しなおす。
 がっかりする。でも、いったい何に?  

 朝からどんよりと曇っていた。 
 雲は厚く、それに黒っぽい。いつ降りだしてもおかしくない空模様だと思った。 
 ところが。 
 天気予報士が、テレビのなかで云う。
「いまは曇っていますが、じき晴れてくるでしょう。きょうは、傘なしで出かけられます」
 雨つづきだったので、それを聞いたわたしはぽんと手を打ち、洗濯機にもう一度働いてもらうことにした。そして、前の晩にすませておいた洗濯ものと合わせて3階のベランダいっぱいに干す。
 --洗濯は、干すときがいちばんおもしろいなあ。
 なんかと思いながら。
 干し終えてほっと一息ついて階下に降りるや、窓越しに筋が見えたのである。雨の筋。
 がっかりしたのはこのときだ。
 干したばかりの洗濯ものを室内に干しなおしたことにもがっかりしたが、それより何より、自分にがっかりしていた。みずからの目で見て「いつ降りだしてもおかしくない空模様」と踏んだわたしの……、この勘は、いつどこでないことになったのか。まったく失礼なのにもほどがある。がっかりしながらも、わたしはみずからに非礼を詫び、最新の技術をもちいてはいても天気予報はあくまでも「予報」なのだということを、胸におさめなおした。

 大阪府八尾市の友だちから、上京するという知らせ。
 しかも、半日時間があるという。そうとなったら、こちらも仕事をせっせと片づけて、半日分の時間をつくって待つばかりだ。
 八尾からやってくる知子ちゃんを、東京都現代美術館に案内しようと思いつく。大好きな美術館だし、開催中の展覧会も興味深い。館内のレストランで向かいあっておいしいものを食べよう……。われながらいいことを思いついた。
 インターネットの「乗り換え案内」に、こちらの最寄り駅と、現代美術館にいちばん近い清澄白河駅、到着予定時刻を打ちこみ、経路と出発時間を割りだして、その日を待った。
 そして当日。
 朝からそわそわしながら、家のこと、雑用にとり組む。
 ふと、
 --出かけるまでに、やけに時間があるなあ……。
 という思いが湧く。
 え? わたしは知子ちゃんと美術館のレストランで昼ごはんを食べるのではないのか。それなのに、時計を見ると11時半をまわりかけている。え?
 待ち合わせは……11時だったのではないのか。口から心臓が飛びだすという表現を聞いたことがあるけれど、「それは、いまのわたしだー」という気持ち。大あわてで足を靴につっこむ自分が総毛立っているのがわかる。
 運のわるいことに、携帯電話同士がつながらない条件もかさなって、わたしはひとり地下鉄のなかで足踏みしている。知子ちゃんは慣れない東京で、どんなに心細い思いをしていることだろう。
 インターネットに出発の時間をおしえてもらうとき、11時と打ちこむはずの到着時刻を13時と打ちこんだのだった。数字に弱いわたしは、ときどきこういう失敗をする。……弱いにもほどがある。

 天気予報を参考にする。インターネットで調べておく。
 それがわるいわけはない。わるいのは、自分の勘を無視したり、あるいは考えてみることもせず鵜呑みにすること。頭の上にあきらかに雨雲とおぼしき雲が浮かんでいるのを見ているのに、それをなかったことにしたり……。その日の朝からの行動をみずからたどってみることなしに、インターネット任せにしたり……。
 このような便利にからみとられたしくじりをするなど、わたしのすることが中途半端である証だ。不便が好きなどと云っておきながら。
 しかし、ここで手痛い目に遭ったことで、わたしにしくじりの記憶が刻まれた。ひとは、経験をひとつずつみずからに刻むことで前にすすめるのだと、思い知る。こうして、やっとこさ勘や思考が鍛えられる。

 ところで。
 あの日、八尾の知子ちゃんとわたしはどうなったか。
 知子ちゃんは、清澄白河駅からひとに尋ね尋ね、現代美術館に行き、お茶を飲みながら待っていてくれた。
 結局1時間半も遅れて到着したわたしを見るなり、知ちゃんが云ったことばこそは特筆すべし。

「ああ、おふみさーん。どこからも血も出ていない元気なおふみさんと会えてほんとうによかったわ。あのな、わたし、自分がおふみさんだったら、と考えてん。そしたら、先にここへ来てお茶飲んで待ってるのがいいなあと思ったの」

ブログ洗濯干し器.jpg
洗濯ものを干す、というはなしを書いたので、
そのつながりで、洗濯干し器について。
写真は、長年働いてくれている洗濯干し器です。
同じものを2つ持っています。
干し器はこのほかに、小型を2つ、
折りたたみ式のスタンドタイプ(ベランダ用)を1つ使っています。

かつては、洗濯ものを種類ごと色ごとにこまかく分けて
干していましたが、近年、簡略化をはかりました。
それぞれの収納場所に合わせて、
(写真の)洗濯干し器(1) → 3階に収納のもの。
               (2) → 2階、1階に収納のもの。というふうに、干します。
こうすると、衣類をしまうときの動線が短くなります
外から見えては困る下着類も干すので、
左右に布を干し渡します(下記イラスト参照)。

写真の洗濯干し器左側についている白い洗濯バサミは、
(1)と(2)を連結させて、風が吹いても動かぬようにするためのモノ。

fumiko.jpg
このように、布をふたつの面に干し渡して、
目隠しにします。
無精干しでございます。








最終更新日  2012/06/21 05:16:54 PM
コメント(44) | コメントを書く

2012/06/12
カテゴリ:生活
「そろそろ、やろうぜ!」 と母が云う。  
 なぜだか、「あれ」に誘うとき、決まって母は「やろうぜ!」と云う。 
 ふだんはていねいなことばで話す母が、「やろうぜ!」と云うと、だから、どきっとする。
 どきっとするのは、それを合図に気力をあつめなければならないからでもある。どきっとして、あわてる。
 母が誘う「あれ」とはGAME (ゲーム)だ。
 ——ほんとにやるのー?
 と、誘われるたび思う。気後れして。
「そろそろやろうぜ!」
「わたし、麻雀(マージャン)がいいな」
 と長女が答えている。
 ——ま、麻雀?
 気後れに次ぐ気後れ。
「麻雀牌(パイ)、出してくるな」
 と父が云うのが聞こえる。

 長女とふたり、わたしの実家に泊まりにきている。
 夕方から入浴し、お酒をちょっと飲んだ。つづいて素朴だがやけにおいしい夕食を食べたあと、そのときがきた。
 どういうものか、父も母もGAMEが好きで、人数があつまると、いつの間にかそれがはじまる。小さいころからそうだった。ダイヤモンドゲーム。百人一首。花札。トランプ。マージャン。
 ときには、それらが国際試合になる。
 母が長年つづけてきた留学生の母親運動(YWCA )の、アジア・アフリカの留学生を交えて車座になってトランプや花札をするのである。ことばもまだよくわからぬ、不馴れな他国での生活に緊張している留学生が、GAMEをはじめるなり、胸の中心あたりの塊(かたまり)を溶かしてゆくのを幾度となく見てきている。片手を挙げルールについて母国語混じりの日本語で質問したり、同じGAMEの自分の国のルールについて説明しようとしたりする。その熱っぽさたるや、つい数時間前、「ハジメマシテ。タイカラキマシタ○△□デゴザイマス。ドーゾ、ヨロシクオネガイシマスデス」などと自己紹介していたのとは別の人物のようだ。
 GAMEの成績は、参加したひとの名前とともに帖面に書きこまれる。GAMEに誘うのと、この帖面つけが母の役目。おそらくこの帖面は、母の宝ものだろう。
 帖面をめくると、わたしのかつてのボーイフレンド、昔夫だったひと、いまは会う機会がなくなってしまったなつかしい名前がある。こんなところで古い名前と再会するのは、いかにもくすぐったい。
 ——どうか、元気でいてください。
 ページを繰りながら、ぴりりと祈る。

 ところで。
 今し方麻雀牌をとりに行った父が、裏側が麻雀のマット面になっているテーブル板もいっしょに運んできて、すっかり準備がととのった。
 わたしも中学生のころ、麻雀をおしえこまれたが、さいごに実際に打ったのは10年ほど前ではないかと思われる。それで、
 ——ま、麻雀。
 と、怯(ひる)んでいるのである。近年おそわって、実戦も経験している長女が満面の笑顔で両手をこすり合わせているのとは、えらいちがいだ。
 88歳の父、83歳の母、27歳の長女と卓を囲んでいると、胸が軋(きし)む。歳月の重みが軋ませるのである。年老いた両親を心配する気持ちは、ことにからだに納めにくく、苦くせつない。
 しかし、場の風が変わるころには、こすれ合って音を立てていた苦いものせつないものが均(なら)されていた。自分の「手」にこんがらかるたび、父に、
「ちょっと見て。これ、どうしよう」
 と相談する。
 GAMEに誘うのと、帖面つけが母の役目であるのに対し、ルールをおしえるのは父の役目だ。弟とわたしのみならず、孫である子どもはみんな、父からGAMEのルールをおそわった。
「どれどれ。……ああ、もう、こういうのはどんどん切ってゆくことだよ」
「ともかく▲と●待ち。がんばってつもりなさい」
 相談するたび、父はきっぱりとわたしの迷いを吹き飛ばす。
「ふみこちゃん」 
 と母が、めずらしくちゃん付けでわたしを呼ぶ。
 困ったような、猫撫で声。
「それ、ロン」
「えーーーー」

 中学で英語の「GAME」という単語をおそわったとき、綴りをローマ字読みの「ガメ」とおぼえてからというもの、GAMEを「ガメ」と密かに呼ぶようになった。うちでするどんなGAMEも、生きものみたいだったからだ。「ガメ」はたしかに家に棲んでいた。
「前頭葉を鍛えるために……、いまでもときどきふたりだけで麻雀をするのよ」
 と母がおっとりと云う。
「ふたりで4人分やるの?」
「そう。ひとりふた役」
 わたしが育った家に「ガメ」の棲んでいたこと、じつはものすごいことだったのではあるまいか。わたしの前頭葉もすこしは鍛えられていただろうか。いや、そんなことではない。

 ……ありがたきかな、「ガメ」である。

ブログ麻雀牌.jpg
古い古い麻雀牌です。
象牙製で、重みがあります。
この日は母が大勝しました。
何度、母に「ふみこちゃん、ロン」と云われたことか。









最終更新日  2012/06/12 09:48:00 AM
コメント(30) | コメントを書く

2012/06/05
カテゴリ:生活

 口癖なのだと思う。 
 気がつくと、係、係と云っている。計算係、ゼリー係、繕(つくろ)い係、宿題係、バラ係というふうに。  
 たとえば計算係。 
 3人以上で会食し、会計するときに、それぞれの分を計算する係だ。こういう場面で役に立たないわたし(計算が、おそろしくおそい)は、か細い声で「計算係さん、計算係さん」と云って救いを待つ。
 たとえばゼリー係。
 うちの冷蔵庫に常備しているゼリーをつくる受け持ちのことだ。1単位1000mlのジュースで(以前は500mlだったのだが、それだとすぐになくなるので、昨年から1000mlとした)、ゼラチンゼリーと寒天ゼリーを交互につくっている。長年、わたしがしてきたゼリーづくりを、近年誰もができるようになった。「きょう、ゼリー係するね」という具合。
 たとえば繕い係。
 くつしたをはじめ衣類の綻(ほころ)びを繕う受け持ち。これは、いまのところわたしのしごとだが、ちっとも手がつかず、溜めに溜めてしまったようなとき、みずからに向かって「ほら、繕い係、しっかり!」と叱咤激励するのである。このしごとははじめればたちまち片づいて、思いがけないほどの達成感があるのを知っているのに、手がつかないことがあるのはなぜだろう。気持ちのもち方だろうか。ゆとりをつくる状態に気持ちをもってゆけないと、手がつかない。
 たとえば宿題係。
 これはおもに中学生の三女に向かって云う。「山のように宿題が出た」と頭をかかえる娘に、「あなたは宿題係だからさ。さくさくやっちゃいなさいな」と声をかける。
「……人ごとだと思って」
「いやいや、係だからさ。ね」

 さて、バラ係。
 じつはバラ係のはなしをしようとして、寄り道をしていたのである。
「バラが咲いたよ。切ろうか? 白とピンクとどっちがいい?」
 と、バラ係が云う。
「ピンク?」
 うちには「サマー・スノー」という種類の、その名のとおり白い花を咲かせるつるバラがあるばかりだというのに。ピンク色とは、どういうことだろうか。
「ことし、ところどころピンクの花がついたんだよ。不思議だよね」
 とバラ係。
「誰かがピンクに塗ったのかしら。ほら、『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル作)に、赤いバラの木を植えなくちゃいけないところに白いバラの木を植えてしまった園丁たちが、女王に首をちょん切られまいと必死で白い花を赤く塗りかえる場面があるでしょう」
「でも、うちの女王陛下は、白い花好みだよ。ピンク色に塗ったりしたら、逆に首をはねられるよ」
 紹介しそびれていたが、こんな人聞きのわるいことを云うバラ係の正体は、夫だ。もう15年ほども前のことになるだろうか。まだ神奈川県川崎市に「向ヶ丘遊園」(※)があったころ、夫とふたりで遊園内の「ばら苑」で、つるバラの苗をもとめた。夫は園芸にとくに興味があるわけでなかったが、以来バラ係をつとめている。
 わたしは、花が咲く季節のほかはバラをほとんど忘れて過ごしているが、バラ係は通年、水やりをしたり、肥料を施したり、つるの這わせ方を工夫したりしている。ときどき、ぼんやりと「アブラムシ……」とつぶやくのを聞くにつけても、かのムシたちとは、おわらない闘いをつづけているというわけだろう。
 バラ係が、切ってくれた花を居間のピアノの上に飾る。
 白いのと、ピンク色のと。
 不思議だ。突然変異というのだろうか。かつてのわたしだったら、白と思って持ったものが、とつぜんピンク色混じりになったりするのを、好まなかっただろう。『不思議の国のアリス』に登場する恐ろしい女王のように「首をちょん切るぞ!」とは云わないまでも。
 ところが。いまは、とつぜんピンク色の花を咲かせて見せるバラに、底力のようなものを感じている。これもひとつのうつろいなのだと、思える。
 うつろいながらもバラがバラとして生きてゆくこと、ひとがひととして生きてゆくことが愛おしい。バラにもひとにも、そのいのちにはそれぞれ寿命があるけれど、バラのいのちはまた別のバラにひき継がれ、ひとのいのちもまたひき継がれてゆく。

「サマー・ピンクもわるくないね」
 バラ係が云う。

※ 向ケ丘遊園
1927年から2002年まで営業していた遊園地(小田急電鉄経営)。
「花と緑の遊園地」として手入れされた園内は、
いつ行っても緑と花にあふれていた。
(筆者は、最終日、三女とふたりで出かけてゆき、
向ケ丘遊園に感謝の気持ちを伝えた/2002年3月)。
向ヶ丘遊園内にあった「ばら苑」は、
神奈川県川崎市が生田(いくた)緑地と合わせ管理を継承、
ボランティアが手入れを行い、
現在も春と秋、一般に向け公開している。

ブログ白とピンクのバラ.jpg
バラ係撮影のバラ。

※お知らせ
「エッセイを書いてみよう」朝日カルチャーセンター・新宿(東京都新宿区)において、
7月から月2回、定期の講座をもつことになりました。
日時:2012年7/11、8/8、8/22、9/12、9/26    
   (水曜日10:30−12:00)
受講料:会員15,225円(入会金5,250円)、一般18,375円。
あたらしい旅のはじまりだなあ、という気がしてわくわくしています。
ご興味のある方は、朝日カルチャーセンター(でんわ03−3344−1941)に
お問い合わせください。
 







最終更新日  2012/06/05 04:55:38 PM
コメント(45) | コメントを書く

全300件 (300件中 1-10件目)

1 2 3 4 5 6 ... 30 >


© Rakuten Group, Inc.