『エンデュアランス号漂流』を読んだ。
何か本物の冒険物語があるとすれば、それは――少なくとも、僕の知りうる限りにおいて――サー・アーネスト・シャクルトン以下28名の南極横断探検隊が経験した、この最も過酷な一年半の物語をおいて他にはないと思う。 原題"Endurance"とは「忍耐」、あるいは「不屈の精神」の意。これは同時に彼の探検隊が駆った船の名でもあり、そうした意味でこの本の題名には二重の意味が込められている。そして彼らの辿った数奇な運命を顧みると、この言葉は読む者に不思議な因縁のようなものを感じさせる。 時代は名高きスコットやアムンゼンらによる南極探検華やかなりし頃。シャクルトンは、スコットの探検隊に参加した経験を持ち、前述の二人と同様、南極という未知の大陸に魅せられた男達のうちの一人だった。彼は既に達成された南極点到達という偉業を上回る何かを成し遂げようと、犬ぞりによる南極大陸縦断を企図する。資金面を含み準備にあたって多大な労力が費やされ、かつ精緻な計画をもって臨まれたその一大事業はしかし、氷盤の圧迫による船の座礁という予想外の事故により、実行はるか手前で頓挫する事となる。 彼らは南極大陸を横断するどころか、そこに到達する事すら出来なかった。それどころか、いまや彼らには当初企図していた事業よりも、遥かに壮大で、しかもほとんど達成不可能かと思われるほど困難な課題に直面していた。 単純な話である。それはつまり、『生きて還る』ということであった。 この事業に先立ち、最高の技術を結集して建造された彼らの船エンデュアランス号。それが失われた今、彼らに遺されたのはわずか三隻のボートと少量の食料、そして犬ぞりだけだった。いつ砕けてなくなってしまうともわからない氷塊の上で、彼らはその心許ない装備に頼って生き延びなければならなかった。 かくして彼らの探検は、当初の予定とは別の形で過酷さを極めた。寒さや飢え、そして自然のありとあらゆる過酷な局面が彼らの前に立ちはだかった。しかしそうした数限りない試練に対して、彼らは敢然と立ち向かったのである。 それは唯一、絶えざる忍耐によってのみ可能となる旅だった。氷盤上での行進、キャンプ、氷盤から無人島へと至る航海、更に島でのキャンプ、そして救助を求める為の決死の航海…。畳み掛けて襲ってくる不幸を、シャクルトンはその比類なき責任感とリーダーシップによって乗り越え、そしてついに、一瞬たりとも死の影と隣り合わない事のなかった17ヶ月の月日の後、28人の探検隊は一人も欠ける事なく生還する――。 この真実の物語の前には、あらゆる言葉が陳腐化する。曰く「奇跡の物語」、曰く「事実は小説よりも奇なり」…。彼らが成し遂げ、そしてただ「当初の探検が成功しなかったから」という事だけの為に、スコットやアムンゼンの冒険談の陰で不当にも評価される事のなかった偉業は、そのような言葉ではおよそ語る事の出来ない壮絶さを孕んでいる。その困難さという意味において、この冒険は間違いなく、それに先立ついずれの南極探検をも凌駕するものであったからだ。 この物語を読み終わった時、読者は言い様もない感動と、『不可能を可能にする何者か』に対する畏怖を胸いっぱいに感じる事だろう。