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2013.10.01
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ヴェニス最後の日。

水上のB&Bをチェックアウト。
船主のファビオは本当に親切でよかった。
この人に会えただけでも、ヴェニスに宿を取らなくてよかったと思えた。

そして船上の宿もくつろげ、またここに戻って来れたら、、
と思うほどに愛着を感じた。

ただ、ヴェニスにもう一度来たいかどうかと言われると、
そんなにワクワクはしない。
あと10年後くらいならどうなるか分からないけどね。
なんか今を生きている町ではないよね。
古い文化と歴史と街並、、、そしてそれに便乗しただけの観光業。
ノスタルジックなセクシーさも俺にはそれほど感じられなかったし。

「一生に一度は訪れたい場所」ではあったが。
「何回でも行きたい場所」にはならなかった。

さて水上バス、ヴェポレットに乗ってサンタルチア駅まで辿り着き
この古い街並の最後の光景を伺う。

DSC05941.JPG

列車に乗り、またミラノへ向かう。
次の日の帰りの飛行機に乗るための待機の日だった。

ミラノに着いても、船の中で寝泊まりしたせいか身体がゆらゆら揺れていた。
これは、グラウンディング率下がってるな〜、、、と思った。

この日唯一やりたかったイベントはダヴィンチの「最後の晩餐」を見ることだった。
旅行の初日、ミラノに来たとき何日も前からもうチケットが売れ切れていて、
とても普通の料金で入れる感じではなかった。
それであきらめていたのだけど、やはりフィレンツェでも美術館に行けなかったし
イタリアの美術作品を見るチャンスがほとんどなかったことが少し心残りだった。

なので、ヴェニスにいる間イタリアに在住している知人に問い合わせて
チケットを手配しているツアー会社を教えてもらった。

しかし、なんでたった一つの作品のためにこんなにチケット入手困難なんだ?
世の中傑作と言われる芸術作品はたくさんあるけどたいてい美術館などに行って
いろんな作品と一緒にまとめて観るもの。 
この作品のようにこの一つの作品だけのためにこれだけの料金を出して
(ツアー会社料金32ユーロ>現地購入料金8ユーロ)
なんなんだよ!! と少々理不尽な気持ちもあった。

そんなこんなをぶつくさ考えながら、作品のある
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ向かった。
作品はその教会の、元々修道院の食堂として利用されていた場所にある。

教会、修道院、そしてこの作品は世界遺産に登録されていた。
そのことを知って、なるほどね、だからみんなわざわざこの一作品の為に
ここに訪れるのか、、と納得したが、理由はそれだけではない。

というのは観に行く当日初めて知った事実、この作品は壁画であり、不動産だということ。
(ていうか知らんやったんかい!!)しょんぼり 
つまり普通の絵画のように他の場所へ移せるものではない。
この場所のために創られた、ここだけで観れる世界の宝なのだ。

レオナルドダヴィンチについてはおなじみドランヴァロ・メルキゼデクもよく触れるように
『ウィトルウィウス的人体図』はマカバの星形二重正四面体、また黄金律を表していると言われる。
彼はそういった宇宙の法則を芸術作品の中に組み込む天才だ。

そしてこの「最後の晩餐」に関して俺が非常に興味深い事実を知ったのは20代前半、
精神指導者、GI・グルジェフの著書「ベルゼバブの孫への話」に書かれている内容だった。

その一節はこのように語られている。

この献身的な、イエス・キリスト自身が秘儀を伝授した寵愛の使徒は
<ユダ>と呼ばれていた。
 これから真の知識を得ようと望んでいる者が現存する版の聖書を読めば、
このユダという男は考えうる人間の中でも最も低劣で、良心などかけらもなく、
二枚舌のとんでもない裏切り者だといった確信を抱き、
おまけにその確信は彼の本質にまでしみこんでしまうだろう。

 しかし実はこのユダこそ、イエス・キリストの身近にいた信奉者の中で最も信仰深く、
献身的だったのみならず、彼の理性と知性があったればこそ、
この聖なる個人の業は実を結ぶことができたのだ。

この実は、たとえこれら不幸な三脳生物の器官クンダバファーの特性の諸結果を
完全に破壊する基盤とはならなかったとしても、それでも、この二十世紀間、
彼らの大多数の荒涼たる生存に養分を与え、霊感の泉となり、
少なくともわずかばかり耐えうるものにしてきたのだ。

 このユダの真の個人性と、彼が表現したことが未来においてもつであろう
重要性がはっきり理解できるように、まず次のことを話しておこう。

ある目的のために、地球の人間の惑星体をもって天から遣わされた聖なる個人イエス・キリストは、
その目的にふさわしい生存状態を完全に整えたとき、天が彼に与えた使命を遂行しようと決意し、
そのための方法として、自分自身で十二のタイプの人間を彼らの中から選び出し、
特殊な覚醒を与えて準備させ、その人間たちを使って地球上の三脳生物の理性を
目覚めさせるという方法をとることにした。

 しかしながら、彼の聖なる行為の真っ最中に、彼とは無関係な周囲の状況は
彼の意図が実現することを許さない方向に展開していった。
すなわち、ある宇宙的真理を説明する時間も、
未来のために必要な指導を与える時間も十分もてないままに、
彼は自分の惑星上での生存が停止するのを受け入れることを強制されたのだ。
 
その時彼は、ある意図のもとに彼自身が秘儀を伝授しておいた十二人の人間とともに
、聖なる秘儀アルムズノシノーの力に頼ることに決めた。
彼らはみな、すでにこの聖なる秘儀を成就するためのデータを体内に得ていたので、
その執行プロセスはよく知っていた。
つまりまだ宇宙個人の状態にいた彼は、これを使えば、
天から与えられた使命実現のための計画を成就すべく始めた
準備を終えることができるかもしれないと考えたのだ。
 
それでだな、坊や。
以上のような決心をして、さてこの聖なる秘儀に必要な準備を始める用意をすべて整えたとき、
これは完全に不可能であることが判明した。
遅すぎたのだ。
彼らはみな<衛兵>と呼ばれる人間たちにとりかこまれており、
逮捕とそれに付随するすべてのことが今にも起ころうとしていた。

このときユダは、つまり今は聖者になっており、
その当時はイエス・キリストから切り離せない献身的な助力者であったにもかかわらず、
おまえの惑星の奇妙な三脳生物たちの無邪気な無分別のために<憎まれ>、<呪われ>ているこのユダは、
まさにこの時、進んで偉大なる客観的奉仕をしたのだ。

後世のすべての三脳生物は彼のこの奉仕に深く感謝しなければならない。
 彼の行なった賢明でしかもきわめて困難な、自分のことなどまったくかえりみない
献身的な行為とは次のようなものであった。

すなわち、聖なるアルムズノシノーの成就に必要な予備的手続きを完了することは
とうてい不可能なことを確認すると、使徒たちはみな自暴自棄になってしまったが、
この時、今は聖者となっているユダは、坐っていた場所から急に立ち上がり、急いでこう言ったのだ。

 『君たちが邪魔されずにこの聖なる準備を完了できるように私が行って手はずを整えるから、
すぐに仕事にかかってくれ』

 こう言うと彼はイエス・キリストに近寄り、
内密に少し話して彼の祝福を受けると、急いで立ち去った。
 そこで他の者たちは、実際何の妨害も受けずに、聖なるプロセス、
アルムズノシノーの成就に必要な準備をすべて完了した。

 ここではっきり理解しなければならんが、わしが今話したことの後で、
おまえを魅了している地球上の三脳生物のうち、前に話した二つのタイプの者どもが、
さまざまな利己的目的のためにすべての真実をひどく歪めてしまい、
そのせいで、今は聖者となっているユダ----まさに彼のおかげで、
この二十世紀の間というもの、彼らの不毛な生存をやわらげる祝福された心の平安が生まれ、
今も存続しているのだ----に関して、後世のすべての人間の体内に、
前代未聞の不公平なイメージが結晶化してしまったのだ。

 わしは個人的に思うのだが、ユダが彼らの聖書の中にこんなタイプの人間として
記されているとすれば、それは前に述べたいくつかのタイプに属する人間のうちの誰かが、
ある目的でイエス・キリスト自身の重要性を矮小化するためにそうしたのではなかろうか。

 つまり彼はあまりに単純で、予感したり予見したりできなかったので、
一言でいえばあまりに不完全だったので、このユダと長い間ともに暮らして
よく知っていたにもかかわらず、この自分の直接の弟子がとんでもない不信の徒であり、
裏切り者であって、三十個ばかりのくだらない銀と引きかえに自分を売り渡すであろうことを
見抜けなかったのだ、というふうにこじつけたのだ。




DSC05946.JPG

作品を見るために人数は15分おきに25人程度ときめられていて、
セキュリティー体制万全な面持ちで入っていく。

そして入り口に入り壁に描かれた絵と対面した。
Leonardo_da_Vinci_(1452-1519)_-_The_Last_Supper_(1495-1498).jpg

最初にこの作品に対面したときは、この存在感に圧倒された。
想像以上にデカい!! それにこの壁画というものに何か普通のキャンバスとは違う
奥深さを感じた、、、例えば洞窟の壁画、ネイティブアメリカンなんかが描いているもの
をさらに進化させたような。
そして、この絵の中に潜む様々な物語と、神秘、宇宙の法則、芸術性、、、
それに直面した時、ハートが熱くなってきた。

いや〜これだけを見に来る価値あったね。 
さっきまでブツクサ言ってたのが、吹っ飛んだよ。

この作品を旅の最後の日に見れて本当に完璧なタイミングだったと思う。

このあとは俺たちにとっても旅の最後の晩餐をする夜を迎えた。

典子がネット検索で見つけた人気のレストランに行くと、まだ開店していなかった。
オープンは6時45分頃と言われたので近所のワインバーで時間稼ぎ。

DSC05959.jpg

そのなも『Wine Road』 日本語なら「ワイン道」みたいな、、、

ボードに記されているワインメニューを見るとどれをとってもうまかろう
様々なワイン。 そして案の定うまかった。
DSC05961.JPG

さっきのレストランに戻るとやはり俺たちは一番乗り。
そしてここでもワインをオーダーし(イタリアで飲むと量のわりになぜかあまり酔わなかった。。。
やはり質が違うのかな。。)
この店で有名な「からすみのサラダ」をオーダーした。
日本人好みのメニューだった。
開店からいる俺たちの後に来るお客さんはどういうわけかほとんど全員日本人だった。
現地人もあとで少し入って来たけど、ここはどうやら日本人御用達のお店だったらしい。

DSC05962.JPG

俺たちの「最後の晩餐」、、、それは俺にとって闇を抜けるための
イニシエーションだったのかもしれない。

続く





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最終更新日  2013.10.04 01:10:53
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