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カテゴリ:四国旅行
わたしの人生初の本格的な旅行は3歳のときでした。
親戚の結婚式が四国の高知であり、父に連れられて行ったのです。 このときのことは30年経った今でもハッキリと覚えています。 以下、わたしの人生初の旅行記です。(笑) 飛行機嫌いな父は、四国の高知まで陸路で行くと決めました。 なぜか出発の前の晩に母がドーナツを大量に作ったのでリュックにドーナツを詰め、朝6時に出発。 通勤ラッシュで満員の常磐線に乗り、東京へ出て東京からは新幹線。 昼に岡山駅に着き、駅ビルの喫茶店で昼食をとりました。 喫茶店の窓から路面電車が見えました。 岡山からは宇野に出て、宇高連絡船。往路はホバークラフトでした。 ちょうどyoutubeに当時の映像がありました。 ![]() ![]() 宇高航路の急行便 とびうお号ホバークラフト こんなプロペラむき出しのホバークラフトだったんですね。 最初座った席が通路側の席でした。窓の外の景色が見たかったので、「窓側に座ろう」と父に言ったらで指定席だからダメ。と言われ残念でした。 乗下船のとき、ホバークラフトの舷側のゴムのスカートがブヨブヨでたまげました。 高松から高知へは土讃線のディーゼルの特急。 鉄橋を渡るたびにカメラで川の写真を撮ってました。 車内販売が来るたびにオロナミンCを買ってもらいました。 高知の手前の後免駅で車掌が『次の停車駅は高知です。いや、失礼しました。後免でした。ごめんなさい。』とわざと間違えたのかそんなアナウンスをしていました。 高知に着いたころにはあたりは真っ暗になっていました。 実に12時間以上かけて千葉から高知に着いたのでした。 翌日、高知観光に連れて行ってもらいました。 桂浜で何を思ったか、当然海に向かって走り出し、ズブ濡れになったところを親戚のおじさんに救出されました。汗 親戚の家は農家の元締めみたいな家で、農作物の出荷場がありました。 分銅で計る天秤計りがあり、わたしの体重を量ってもらいました。 結婚式では初めて見る皿鉢料理にびっくりしました。 復路も往路同様陸路で帰りましたが、海が時化ていてホバークラフトが欠航していました。 普通の連絡船は走っていましたので水色の連絡船に乗りました。 ![]() ![]() JR四国 宇高連絡船阿波丸の入港(高松港) 当時の連絡船です。映像はJRになってますのでわたしが乗ったのはこの10年ぐらい前だと思います。 連絡船の上のデッキに連れて行ってもらったら、手すりが塩だらけで、「船って塩まみれなんだな。」と思いました。 (いま考えると相当時化ていたんだと思います。) 自宅に戻ると食べるの忘れていたドーナツがそのままリュックに入ってました。汗 てな具合で自分の記憶力にもビックリしますが、三つ子の魂百までというだけあって今の旅行好き、乗り物好きの自分はこの頃に形成されたのかなと思います。 また、両親の新婚旅行も四国で、わたしもこのときに仕込まれたようです。 わたしの初旅行も四国で、今住んでいるのも四国ですので四国とは腐れ縁なのかも知れませんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.20 22:03:56
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