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小渡樹(おどたつき)の部屋

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2005.03.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
 その訃報を聞いたのは昨日の事。
 職場のラジオでだった。
 享年75歳。

 沖縄芸能界の重鎮、リンケンバンドリ-ダ-・照屋林賢さんの父、コザ独立共和国大統領、沖縄のお笑いの第一人者etc・・・。
 一つでくくれない様々な顔を持つ巨人であった。確かに背は高い。

 初めて照屋林助(以後テルリン)さんを知ったのは高校時代だったと思う。1980年前後か。
 地元の民謡番組に登場し、一人漫談をやっていた坊主頭の大柄な変なおじさんというのが第一印象だった。この時に観たテルリンさんは最近のようなカラフルなコスチュ-ムではなくス-ツ姿であった。
 あの時はたまたまチャンネルをひねったら観てしまっただけなので、当時沖縄芸能に興味の無かった頃なので、
 残念ながらあの時のテルリン漫談の内容は覚えていない。

 そんなテルリンさんを再び目にする機会が訪れたのは約10年後、
 1989年映画「ウンタマギル-」でだった。

 この作品は同級生の間では、上映時は沖縄方言が字幕ス-パ-なのが恥ずかしいと言う意見が多かったが、私はハマった。
 特にテルリンさん演じる床屋の主人のインパクトといったら・・・。
 あれは衝撃だった。

 10年前の沖縄のヒ-ロ-の一人にボクシングジュニアフライ級世界チャンピオン具志堅用高がいた。だが、彼のウチナ-ヤマト口は聞いていてなんか恥ずかしく、偉大だと思う一方、複雑な思いであった。試合後のインタビュ-に行く前にチャンネルを替えたりして。
 「あいつ(具志堅用高)は沖縄の恥だ!」と当時言い切ったある石垣島出身者を私は知っている。
 それと同時に「沖縄のものは恥ずかしい」とか、「本土に比べて劣る」という雰囲気があり、1972年の本土復帰の際のキャッチフレ-ズ“本土並み”の影響力が強い時代でもあった。思えば文化破壊の時代だったのかもしれない。

 「ウンタマギル-」を観て後、私が普段しゃべっている言葉は別に恥でもなんでもない、もっと沖縄に自信を持っていいんだ、と目からうろこが落ちたのであった。

 自分の生まれ育った沖縄の文化に興味を持ち出したのがこれ以降であるのを考えると、
 テルリンさんは沖縄文化への自信と勉強する機会を与えてくれた先生でもあった。

 「ウンタマギル-」上映と同時期、テルリンさんの長男林賢さん率いるりんけんバンドのヒットと、テルリンさんを師と仰ぐ地元のお笑い集団笑築過激団の登場で、テルリンさんは注目される。
 その頃にコザ独立共和国というイベントで大統領に就任。

 1992年映画「パイナップルツア-ズ」での船長役や
 水虫薬「ポリカイン」CM出演で
 一躍時の人となる。

 この頃テルリンさんは自宅2階の小劇場テルリン館で時折ライブを行っていた。
 何度か観に行ったことがあるが、
 ある日お客さんが私一人の時があった。
 にも関わらず普段通りのライブを行っていた。
 今考えると贅沢なライブだったなあとつくづく思う。

 1998年にある地域興しの塾に参加した時、
講師の一人がテルリンさんだった。その頃には杖をついていた。相変わらずテルリン節は健在だったが。

 2002年に出身大学の沖縄地区の同窓会に出席した時、
 そこで余興をやってのはテルリンさんだった。
 その頃は車椅子だった。

 生のテルリンさんを拝見したのはそれが最後だった。

 以前購入し手元にあるテルリンさんの著作は今後私の宝物及び経典の一つになる事だろう。

 謹んでご冥福をお祈り致します。

 





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Last updated  2005.03.11 08:28:40
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