一年ぶり。
去年の今日にも、久しぶりに、ここに書いていたみたい。一年ぶりに現れてみました。皆さま、おげんきでしょうか。「おぺふ」というキャラクターで喋るのは久しぶり。口がわるく、とんがっていて、カオスな、おぺふさんというひと。今やリアルのわたしは、それを凌駕してしまったように思う。この一年で、また、いろんなことがありました。それまで生きてきて、やったことがなかったことを、いろいろ、しました。よいことも、わるいことも。。いっぱい。でも、よいこと、わるいことの基準って何なんだろうね?意外と優等生に生きてきたリアルのわたしが、この一年くらいは、感情的になったり、ひとを感情的にさせたりしました。手や足が出たり、出されたりもしました。いい大人が何をやってるんだか。まだ解決していないグチャグチャもあります。猛省しております。でもね。いいわけ。そこまでしないと、みえないものも、ある。きれいな思い出にだけしておくのは実は簡単。見て見ぬ振りすればいいだけだもの。わたしは、なんやかんやで愛のひとでヘンテコリンだけど、曇ったり屈折したりはしてなくてでも愛情表現が乱暴で好きになったひと(恋愛に限ったことじゃない)の奥まで土足でガツガツ入っていってそのひとが見せたくないものまで見つけて引っ張り出して大迷惑がられて「わたし、あなたを全肯定するわ!」って叫ばないと気が済まない。……あほか!うん、あほなんだと思う。全肯定しているからといって隣りにいられるかといったら別の話でそれで、話が違うじゃん、ってなったこともあった。よくもわるくも強烈な印象だけ遺してわたしは違う場所に行く。誰かが割と大きな選択を迫られるときわたしのエネルギーを入れる必要がある……のかもしれない。変わりたくないひとはほんと、わたしに関わらないほうがいい。変わってゆくことは自然なことだけれどね。台風なお仕事を、またひとつ終えて今は、ちょっと無気力なかんじもある。でも、わたしの隣には娘がいる。ありがちだけど子どもがいるから自暴自棄になりようがない。自己犠牲に徹することもできない。お母ちゃんはタフな生きものよの!一年前のわたしは、この一年で起こったことを全然、予測できなかった。ただ目の前のことに体当たりしていたらめちゃくちゃで面白い一年になった。さよならしたひともいるし新たに出会ったひともいるし変わらず傍にいてくれるひともいる。わたしは一般受けする人間じゃないから傍にいてくれるひとはわたしを好いてくれるひと。そのシンプルな構図は、ありがたい。このブログを自分で葬る気は今のところ、ない。読み返すことはないけれどね。でも、なんとなく遺しておく。存在に必要がなくなったらなんらかのチカラによって消されることでしょう。ひとの命もおなじ。今、生きてるということは存在が何かに活きている。誰かに幾ら存在を否定されたとしても。それぞれ最後まで咲き誇りましょうぞ!あ、冒頭の画像は先日、参拝した山形・羽黒山。また死んで生まれ変わってきたのですよ。なんやかんやで、すてきなお誕生ウィーク!生きてるって、すばらしい。生かされてることに、感謝。