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昨日は来訪した上総の友人に半日、育児体験を提供(押し付けた、の間違いか?!)、また、ひとの潜在意識に、よき刷り込みを施すことができたのではないかと思います。 すごく楽しんで、お世話してくれていた(ように見えた)から。 「私も赤ちゃん欲し~い!」と声高らかに言っていたし。 日本國では、まだまだメジャーでない、無痛分娩(麻酔は使うが、ふつうに、いきんで産める)の、我が体感データ、メリットを伝えてみたところ、かなり興味を持ってくれていました。 全く痛くないわけじゃないけれど、なかなか、いいものだと思います。 お産以外のことでもそうだけれど、日本のおなごは、必要以上に耐えてきたし、今も、必要以上に耐えちゃっている傾向が強い気がして。 忍耐、自己犠牲、そういったものが美徳になる場合もあると思いますが、必ず美徳になるというわけではないと思うのです。 お産においては、赤ちゃんが元気に生まれてきてくれることが第一だけれど、産まれるまでは、お母さんのカラダあっての赤ちゃんなのだし、まずは、お母さんの心身のコンディションを整えないとでしょ~ 安産で、するんと、すぐに産まれるんならよいけれど、それは事前にはわからないわけで、母子に小さくないリスクを背負わせてまで、自然分娩にこだわる、陣痛に耐えさせるメリットはあるのか? まぁ麻酔だの陣痛促進剤だのを使うリスクもあるわけだけれど、西洋医学の進歩、産化医療の世界の日進月歩っぷり、医療提供者の技術。。そういうのも考慮して、もっと利用したらよいのだと思う。 精神性、東洋テイスト、慣習。。そういうのにばかり偏るのも、それはそれで、どうかと思う。。というか、わたしは、そういうのは好きじゃない、ってかんじかなぁ。 分娩台の上での、うまれたてベビぺふとの2ショット写真(サービス精神旺盛な産院だったので、いっぱいある)を友人に見てもらったら「(ぺふが)マリアさまみたい♪」と言ってくれて、ごきげんちゃんになっちゃいました。 ぺふは、可愛いねぇとか頭がいいねぇとか、おしゃれさんねぇとか良妻賢母だねぇとかいわれるより(いわれたくないってわけではないが、いわれなくて構わない、というかんじだ)マリアさまみたいとか観音さまみたいとか言われるほうが嬉しいですねぇ。 結局、前者は、相対性、比較級、個人的な感情に左右されるレベルのものだけれど、後者は、絶対的で独自性を確立しているものだから。 そういうものは、他人には奪えないし、消耗することもないのだよ。たぶん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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