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一瞬、私は自分の目を疑った。
累々たる貝の死骸が、3,000ヘクタール以上という東京でいえば山手線の内側の約半分にあたる見渡す限りの広い地域に横たわっているのである。 巨大な貝塚にも見えるが、貝塚というものは、もともと貝の墓場であった。 生きる糧を与えてくれる貝の恩恵に感謝し、 貝の再生を願って古代人が作ったのが貝塚であるが、これは貝の墓場でもない。 これは、あのギロチンと名づけられた潮受け堤防の締め切り(1997年4月14日)以来、 海水が来なくなって、無残にも殺された貝の殺りく現場なのである。 ここ長崎県・諫早湾干潟は有明海の子宮と呼ばれた、もっとも豊穣な干潟であったが 生物学者の予測以上に、この海は豊かで、このような大量の貝が成育していたのである。 それがギロチンの落下以来、みごとに死の世界に化した。 もちろん死んだのは貝のみではない。 貝のように屍(しかばね)を残さない無数の水生動物も形跡もなく消えた。 ・・・(略) 私は堤防の閉め切り1年を経た干潟の風景を見ながら あのガス室で折り重なって死んでいる大量の人間の屍の姿を思い出した。 これはまさしくナチスのホロコーストに比すべき暴挙である。 しかし人間の殺害と動物の殺害は違うという人もあろう。 日本人は今でも、少なくとも形式的にはほとんど仏教徒であるが仏教の第一戒は殺生であった。 ・・・(略) ここは殺生戒の罪の現場なのである。 貝やカニやムツゴロウが殺され、またこの干潟を中継地とした渡り鳥も死ぬに違いない。 しかもその殺害には、確たる目的もなく、それを犯した人たちには、まったく罪の意識もない。 貝の霊を弔った古代人のあのやさしい魂はどこへ行ってしまったのか。 (つづく) 「諫早湾に思う」 梅原 猛(哲学者) 1998年7月1日・朝日新聞 ***************************************** ●長崎の12歳の少年の幼児殺人事件が毎日報道されている。 「なぜ??」という大人の問いに言いたい。 「大人だって、殺生をしてるではないか。 それも食べるために、やむなくではない無益な殺生を・・・。」 心の闇は、子どもだけの問題ではない。 「 殺生の現場は、罪の意識を忘れた日本人の心の風景かもしれない。」 *** 越後屋大売出し:本日のオススメ*** ★hasepさん お互い更新日記“日記読みによるお互いの更新” 長崎の12歳の少年の事件を書いた日記の二日続きの特集。 ◎◎◎えこもどき番外編「地球を救う127の方法・食」◎◎◎ 73.エビ、バナナなどの原産地の生態系を破壊してまで 日本に大量に輸入されている 食品があることに注意する。 **海老やカニなどの甲殻類を食べないという人を聞いた。痛風予防のためらしい。** ■□■テレビしびれて■□■ ★菊次郎とさき お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2003.07.11 23:05:53
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