2013/11/04(月)22:49
父の麦わら帽子・余滴:葉桜の下
今月の初めに、播磨の小京都、兵庫県・龍野市に桜を見に行った。
時が止まったような、ひっそりとした、龍野も、桜の季節は、大賑わい。
「赤とんぼ」の碑が立つ所から、龍野藩主の庭園までの小道、
そこを歩きながら私が言った。
「葉桜の頃に、お父ちゃんが、ここを歩いてる写真、あるよね。」
「あれは、川柳の会で来た時のやわ。」妹は言う。
2002年2月26日に死んだ父は、趣味が沢山ある人だった。
川柳の会にも入っていて、時々、会に出かけた。
作業着と地下足袋で川柳の会に行こうとする父に、母は
「背広で行かんと・・・。
ちゃんと、革靴も履いて・・・」と怒るように言った。
父は、
「ワシには、背広は似合わん。」と笑いながら反対したが、いつも母の勢いに負けた。
葉桜の下を歩く写真は、背広姿に、あごひげという、異様ないでたちの父・・・。
プロのカメラマンが、写真を撮らせてと言ったのは
麦わら帽子に、綿の仕事着、そして地下足袋・・・。
背広姿は、ほんとうの自分ではない・・・。
父は、そう思っていたのだと思う。
だから、背広は着たくなかったのだと・・・。
けれども、母の言うとおりに、背広に革靴姿で出かけていた。
生まれてから、いろいろなことと闘い続けた父も、母とは、闘わなかった。
去年(こぞ) ともに歩きし人よ「いない」ということ思い知る葉桜の下
俵 万智
■今日の体調■
*会社の近くの歯医者
■□■テレビしびれて■□■
★新撰組
◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★4月20日*「ねえや」と「たらい」と「産湯」と「湯かん」 *UP