テーマ:懐かしい昔の話(540)
カテゴリ:父の麦わら帽子
銀の滴(しずく)、降る降るまわりに、金の滴、降る降るまわりに・・・。 有名なアイヌのユーカラの出だし・・・。 アイヌは文字を持たない民族。 彼らの伝説や神話は、全て、人から人へ、口から口へと伝えられた。 2002年2月26日に90歳を目の前にして死んだ私の父も 生まれつきか、産まれてすぐか、右半身が不随だったので、文字を書くのが苦手だった。 その代わり、彼は、口が達者で、面白おかしく、昔の話をしてくれた。 父の祖父(私の曽祖父)は、近くから婿養子に来たこと。 三人の男の子がいたが、三男を溺愛していたこと。 父の祖母(私の曽祖父)は、力持ちだったこと。 名前がハナといったこと。 父の父(私の祖父)は、明治10年生まれだったこと。 日露戦争に行った事。 その、軍事訓練は鳥取で行われたこと。 鳥取から、岡山へは、屋形船で帰ったこと。 おだやかな人だったこと。 父の母(私の祖母)は、岡山の奥の方から、嫁に来たこと。 夫が籠をつけた天秤棒をかつぎ、その片方に荷物、もう一方に、子どもを乗せて、歩いて里帰りしたこと。 手八丁、口八丁で、男どもを言い負かしていたこと。 そろばんを片手に、*フシ*の仲買をしていたこと。 私を、溺愛していたこと。 父のいとこは、母親が早く死んだこと。 病状がよくないことを知らせるために書いた葉書を、親が文字が読めず、長い間、懐にあったこと。 そのため、駆けつけたときは、すでに死んでいたこと。 あるときは、楽しく、あるときは、悲しく、父の話は続いた。 晩年、父は墓を建てた。 そこには、私の先祖の名前が彫られてあった。死んだ年や出身地なども・・・。 そして、こう言った。 「ワシが死んだら、誰も、このことを知っとるもんが、おらんようになる・・・。」と・・・。 父が見たり聞いたりしたこと、あるいは私の祖父母やそのまた先祖の語ったこと・・・。 父が私に、伝えてくれた、温かなぬくもりのある思い出話・・・。 それを私は、ネットという、はかないものの上で語り継いでいこう。 銀の滴(しずく)降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに・・・。 *******愛する私たちの先祖が用いた多くの言語、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、 それらのものも、みんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消失してしまうのでしょうか。 おお、それは、あまりにいたましい名残惜しい事で御座います。 アイヌに生まれ、アイヌ語の中に育った私は、雨の宵、雪の夜、暇ある海に打ち集って 私たちの先祖が語り興じた、いろいろな物語のうち、ごく小さな話の一つ、二つをつたない筆に書き連ねました。 「アイヌ神謡集」知里幸恵(ちりゆきえ)******* ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★6月26日*父の麦わら帽子:特別な日*UP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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