テーマ:ヨーロッパ旅行(4171)
カテゴリ:海外旅行
凱旋門を見なければと、シャンゼリゼ大通りに行った。
凱旋門に上る前に、腹ごしらえと、晩ごはんは、近くのカフェでとった。 ベジタリアンな私は、ここでも野菜サラダ・・・。 凱旋門の階段。 しかしこんなに人がいないのは、珍しい。 後から後から人が登ってくる。 途中にはお店もあって、商売上手なパリ! やっと、上にたどり着いた。 9時前のパリの夜景。 毎正時には、エッフェル塔がシャンパンの泡のようのようにキラキラと輝く■「シャンパン フラッシュ」■が見られるのが。 9時になるとキラキラと輝くエッフェル塔に、見ていた人たちから、 「わー」という歓声が上がった。 凱旋門=シャルル・ドゴール・エトワールから、ホテル=プラス・ドォ・クリシーは、乗り換えなしで、帰れた。 ■パリ・メトロ地図■ パリの象徴的な建造物の一つで、単に凱旋門と言えばこのエトワール凱旋門を指すことも多く、世界有数の観光名所となっている。 この凱旋門を中心に、シャンゼリゼ通りを始め、12本の通りが放射状に延びており、その形が地図上で光り輝く「星=?toile」のように見えるので、この広場は「星の広場(エトワール広場) la place de l'Etoile」と呼ばれていた。 エトワール凱旋門は、前年のアウステルリッツの戦いに勝利した記念に1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。 ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。 ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時であった。 古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。 エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦の無名戦士の墓がある。 第二次世界大戦ではナチス・ドイツのパリ占領に際してナチス・ドイツ国旗が掲げられ、ヒトラーが戦車で凱旋した。 ■ロンドン:パリ■ ■9月7日 夜、関空発 ■9月8日 ロンドン着 ■9月9日 (ここから現地時間) ロンドン市内観光バスとヴィクトリア&アルバート館→リトル・ベニス ■2010年9月10日(金) ウィンザー城 → コッツウォルズ・ブロードウェイ →コッツウォルズ・バイブリー ■2010年9月11日(土) ユーロスターで、ロンドンからパリへ。→モンマルトルの丘 ■2010年9月12(日) ヴァンヴの蚤の市 → バスで市内観光 ■2010年9月13(月) ギマールの建築のある16区へ。(アール・ヌーボー、アール・デコの建築を見た) → 「メルシー」でランチ。→ リュクサンブール公園。 → 凱旋門。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2010年10月30日*道頓堀ダイブ * ・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.11.04 19:41:05
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