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2011.04.15
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テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都
高瀬川・一の舟入り
高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以(すみのくら りょうい)・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河だ。
高瀬川が出来るまでは、木屋町はの辺りは、鴨川の中州だったらしい。

開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。
上りは、両側から人間が引っ張っていた。
橋もなく、今は家になっている右側の川辺には道があった。
川幅が狭く、舟の上りと下りがすれ違えないために、午前中は上りのみとしていたという。
なお、荷物の積み下ろしは、舟入りという所で行っていた。
舟入りは、高瀬川に四条までに9か所あったというが、今はここ、一の舟入りのみ

高瀬川は、二条大橋の南で鴨川西岸を併走する「みそそぎ川」(鴨川の分流)から取水する。
二条から木屋町通沿いの西側を南下し、十条通の上流で鴨川に合流する。

水運が終わった大正9年以後、高瀬川を埋め立てて、路面電車を通そうとする案があった。
しかし、残して欲しいという市民の要望が実って残った。
緑がかった桜 京都中心部三条から四条あたりにかけての高瀬川周辺は京都の歓楽街の一つとなっており、また桜の名所ともなっている。
4月14日(木)、高瀬川の歴史を教えてもらいながら歩いた。

両岸の桜は、桜吹雪と舞って花筏になって高瀬川を流れていた。
少し離れたところでは、薄い緑色の桜は、まだ蕾も多かった。

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昔◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2011年4月15日**さくら・さくら*メモ /四月一日さん*
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Last updated  2011.04.16 20:00:32
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