テーマ:大阪・大阪人(88)
カテゴリ:トリビア
三軒の茶屋とは「鶴の茶屋」、「萩の茶屋」、「車の茶屋」である。 「鶴の茶屋」の由来は鶴野町の段でも述べた通り、豪商であった松並竹塘が二羽の鶴を放し飼いにしたところからきており、その事を記した石碑が現在も茶屋町の一角に残っており、当時を物語っている。 今では考えられないが、当時はのどかな田園風景が広がっていたようである。 この「鶴の茶屋」について、昔を知る古老の話によれば、鶴の茶屋は黒塀に囲まれた趣のある建物で、二つの大きな門があり、船場の旦那衆が駕籠で乗りつけたそうである。 これら茶屋は、いわゆる現在で言うところの風俗店的な茶屋とは違い、当時の大阪の有力者の人々が、与謝蕪村が歌ったように「菜の花や 月は東に 日は西に」と菜の花や萩の花、月の風情を愉しむといった憩いの場として、前記の茶屋などの料亭が客を招いていたところであった。 映画館■テアトル梅田■があるので、茶屋町にはちょいちょい行く。 先日は、映画館ではなく、新しく出来た大型書店に行くために、茶屋に行ったら目にとまったのが、上の写真。 この写真があった所は■ヌー茶屋町+(ちゃやまちプラス)■の正面。 かつて、ここにあった鶴乃茶屋は、大勢の人で賑わっていたらしいが、今は、ファッションビルが建って、若い人で賑わっている。 たまに、私のような若くない人もいるが・・・。 この時代にタイムスリップしてみたいな・・・。 ■ヌー茶屋町+(ちゃやまちプラス)■碑のある所。 大阪市北区茶屋町8番26号 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2012年6月7日*昔語り:蛍/雨の名前:茅花流し(つばなながし)* ・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.06.10 19:44:44
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