おしゃれ手紙

2012/10/09(火)20:43

ソハの地下水道★ユダヤ人迫害

映画(1109)

■ソハの地下水道:あらすじ■ その暗闇はやさしい秘密を隠している。 1943年3月、ナチス支配下のポーランド。 地下水道の労働者・ソハは迷路のように入り組んだ地下を熟知しており、盗品をそこに隠しながら飢えをしのいでいた。 そんな中、ゲットーからトンネルを掘って地下に逃げ込んできたユダヤ人たちを偶然見つける。 最初こそ金目当てでかくまうが、ユダヤ人たちの運命がナチスに追い込まれていくにつれ、次第に彼らに気持ちが寄り添っていき…。 1943年ナチス政権下のポーランド。 迷路のように張り巡らされた地下水路にユダヤ人をかくまった、ひとりの男の真実の物語。 第84回アカデミー賞■外国語映画賞■にノミネートされた作品。    ナチスドイツによるユダヤ人の迫害は、これまでも数多く描かれてきた。 しかし、ポーランドにいるユダヤ人が地下水道に隠れていたということは知らなかった。 見ごたえのある映画だからと夫に勧めると夫は、このことを知っていた。 「ソ連軍がもっと早く*ワルシャワ蜂起軍*を援助していたら、ユダヤ人や蜂起軍の被害は少なかった」と夫は言う。 *ワルシャワ蜂起とは* ソビエト赤軍占領地域がポーランド東部一帯にまで及ぶと、ソ連はポーランドのレジスタンスに蜂起を呼びかけた。 7月30日にはソ連軍はワルシャワから10kmの地点まで進出。 ワルシャワ占領も時間の問題と思われた。 ポーランド国内軍はそれに呼応するような形で、8月1日、ドイツ軍兵力が希薄になったワルシャワで武装蜂起することをソ連軍と打ち合わせた。 ヴィスワ川対岸のプラガ地区の占領に成功したソ連赤軍は市街地への渡河が容易な状況にあったにもかかわらず、蜂起軍への支援をせずに傍観を決め込んだ。 ソ連赤軍と共に東方からポーランドへ進軍しプラガ地区に到着していたジグムント・ベルリンク将軍の率いるポーランド人部隊「ポーランド第1軍団」のみが対岸の蜂起軍支援のための渡河を許され、彼らポーランド人軍団はベルリンク将軍以下必死で蜂起軍の支援をしたものの、その輸送力は充分ではなかった。 ソ連赤軍は輸送力に余裕があったにもかかわらずポーランド第1軍団に力を貸さなかった。 のちにポーランド人民共和国最後の国家指導者で1989年の新生ポーランド共和国初代大統領となったヴォイチェフ・ヤルゼルスキはこのときポーランド第1軍団の青年将校として現地におり、物資補給作戦に参加している。 彼はこのときの燃え盛るワルシャワ市街を眺めながらソ連赤軍に対して涙ながらに感じた悔しさをのちに自伝『ポーランドを生きる』のなかで赤裸々に吐露している。 ソビエトはイギリスやアメリカの航空機に対する飛行場での再補給や、西側連合国による反乱軍の航空支援に対し同意せず、質・量に勝るドイツ軍に圧倒され、蜂起は失敗に向かっていく。 映画に描かれたユダヤ人の悲惨な生活に愕然とし、 映画では、描いていないことを知って、またまた愕然とした。 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。 ★2012年10月9日* 豆名月・栗名月・・・片見月* ・・・・・・・・・・・・・・     

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