2013/01/03(木)19:58
紅白歌合戦がイマイチなわけ
年末恒例の紅白歌合戦が面白くない。
視聴率は毎年下がる一方で、NHKもあの手この手を使うが面白くない。
かつて、年末の国民的番組は今いずこなのである。
その原因はなにかと考えると深く考えるまでもなく、いい歌がないからだ。
では、なぜいい歌がないのか?
それは、心に染みる歌詞がないのだ。
1960年代~70年代には、いい歌があった。
その時代には阿久悠がいた。
なかにし礼がいた。
■安井かずみ■がいた。
■岩谷時子■がいた。
彼ら、彼女らの詩には、これまでにない新鮮な言葉が多い。
私は、安井かずみ■よろしく哀愁■というタイトルに魅かれる。
■おしゃべりな真珠■も目新しい言葉だ。
こういう言葉のプロがいた時代の歌は、いい歌が出来て当然だ。
■阿久悠は■生前、
「いまミュージックはあるけれどソングはない 」と語っている。
歌が人の心や記憶に残るのは、リズムやメロディーではなく"詞"なんです
でも今を振り返った時、人々が一様に思い出せる歌があるかどうか?
(歌というのは)本来、"詞"が作りだした一つのイメージを、さらにどうふくらませるか?
もっと効果的に伝えるにはどんなメロディーを作るのか?
作曲家が、色々と工夫してくれる最初のものが"詞"であった訳です。」
最近、本当の詩、詞を書けるプロの作詞家がいなくなった。
たまたま、書いた詩のようなものを曲が補うような形になっている。
しかし、曲とて、またプロの作曲家ではなく、シンガーソングライター。
つまり、みなほどほどの詩がかけ、ほどほどの曲を書き、ほどほどに歌う・・・。
中には歌が下手だという歌手さえいる時代だ。
だから大ヒット曲がでないし、いい曲が出来るはずがない。
紅白歌合戦が面白くないわけだ。
出でよ、プロの詩人!
出でよ、プロの作曲家!
出でよ、プロの歌手!
そして、出でよ、名曲!
■阿久悠作品、一部■
本牧メルヘン / 時の過ぎゆくままに /ざんげの値打ちもない
白い蝶のサンバ / 街の灯り / 青春時代 / 水中花
嫁に来ないか / せんせい /あの鐘を鳴らすのはあなた
津軽海峡・冬景色 / 北の宿から / どうにもとまらない
狂わせたいの / 勝手にしやがれ /絹の靴下
また逢う日まで / みずいろの手紙 / さらば涙と言おう
五番街のマリーへ / ジョニイへの伝言
■なかにし礼の作品、一部■
* 朝丘雪路 - 「雨がやんだら」(1970年)
* アン・ルイス - 「グッド・バイ・マイ・ラブ」(1974年)
* いしだあゆみ - 「あなたならどうする」(1970年)
* 奥村チヨ 「恋の奴隷」(1969年)
* 北島三郎 - 「まつり」(1984年)
*北原ミレイ 「石狩挽歌」
* キャンディーズ - 「哀愁のシンフォニー」(1976年)
*黒沢年男/なかにし礼 - 「時には娼婦のように」(1978年、作曲も担当)
*島倉千代子 - 「愛のさざなみ」(1968年)
*菅原洋一 「知りたくないの」(1965年)
「今日でお別れ」(1969年、第12回日本レコード大賞受賞)
*ザ・タイガース 「花の首飾り」(1968年)【補作詞】
*鶴岡雅義と東京ロマンチカ - 「君は心の妻だから」(1969年)
* ザ・テンプターズ - 「エメラルドの伝説」(1968年)
* ザ・ドリフターズ-「ドリフのズンドコ節/大変歌い込み」(1969年)【補作詞】
「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん/冗談炭鉱節」(1970年)【替詞】
「誰かさんと誰かさん/ドリフのおこさ節」(1970年)
「ドリフのツンツン節/ドリフ音頭 北海盆歌より」(1971年)
* ハイ・ファイ・セット - 「フィーリング」(1976年)
*ピーター - 「夜と朝のあいだに」(1969年)
*ザ・ピーナッツ 「恋のフーガ」(1967年)
*弘田三枝子 - 「人形の家」(1969年)
*ペドロ&カプリシャス - 「別れの朝」(1971年-日本語詞)
*氷川きよし - 「櫻」(2012年、第45回日本作詩大賞受賞)
*細川たかし -「心のこり」(1975年)
「北酒場」(1982年、第24回日本レコード大賞受賞)
*黛ジュン 「恋のハレルヤ」(1967年)
「霧のかなたに」(1967年)
「天使の誘惑」(1968年、第10回日本レコード大賞受賞)
「夕月」(1968年)
*由紀さおり - 「手紙」(1970年)
*ロス・インディオス - 「知りすぎたのね」(1968年、作曲も担当)
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◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。
★2013年1月2日**